2.ブランド
香水の甘い匂いが鼻につく。合格発表の掲示板前は、同い年の子とその両親たちでひしめき合っていた。
私も同じようにして、お母さんに手を引かれて番号を探す。とはいえ、受験票はお母さんの手にあって、私はぼんやり番号を眺めることしかできない。
少しだけ前の方から、きゃあ! という黄色い声が上がった。続いて、どこ? という男の子の声。聞き覚えのあるその声に目をやると、同じ進学塾の圭人くんの姿があった。
圭人くん、受かったんだ。同級生の合格を目の当たりにして、お腹のあたりがきゅうと苦しくなる。喉の奥から、妙に酸っぱい味がした。受験の日に散々書いた番号を思い浮かべて、掲示板に向き直る。そのとき、突然身体が宙に浮いた。
「莉子、あったよ! 合格!」
「あった?」
「あった! ほら見て!」
差し出された受験票と指先を辿る。2列目の少し下の方に、19095番はあった。
市内の中心部にある、県で一番賢い大学の附属中学校。同じ市なのに山の方にある私の家からは、電車を乗り継いで1時間はかかる。ここに、私は来年から通うことになるらしい。
同じ小学校の子はいない。祐花ちゃんとも美月ちゃんとも離れ離れになってしまうことをようやく実感して、指先が温度をなくした気がした。
喜ぶお母さんの顔を見る。冷え切った冬の突風が、ゆるいパーマの前髪を荒らした。慌ててお母さんに抱きついてみせる。偉いわねという高い声と、嗅ぎ慣れた甘い香りがきつく感じた。
その日、塾へはお母さんもついてきた。いつもはほとんどみんな一人で来るのに、今日だけは保護者らしき人が多い。
塾長先生に合格の報告をして、指定通りの席につく。始業の時間になってもいくつかの空席が目立って、それが今日の結果を主張していた。
受験をしない子だってたくさんいるのに、ひとつの不合格で簡単にダメのシールを貼り付けられてしまうこの環境が嫌いだ。
それでも、お母さんが喜ぶから、一生懸命勉強した。テストでたくさん100点をとった。遊びたいという言葉を何度も飲み込んで、毎日毎日塾に通った。
「莉子ちゃん、附属中受かったの」
「うん。圭人くんが来てたの見つけたけど、声掛けらんなかった」
「見られてたんだ」
圭人くんが、隣の席で苦笑いする。授業中にたくさん質問をする圭人くんは、きっと自分で受験することにしたんだと思う。帰りだって、私よりずいぶん先に電車を降りるから、家からもそう遠くないはずだ。
「圭人くんの小学校の子、他に誰がいるんだっけ」
「ここ通ってんのは全部で九人。今日休んじゃってるやつもいるけど」
「……附属受けたのは?」
「ここの九人と、ほかの塾に三人、それから塾通ってないのが一人。そいつ、超賢いんだ。附属本命って言ってたし、楽しみにしててよ」
「へぇ、そうなんだ」
楽しそうに話す圭人くんに、私も弾んだ声が出せただろうか。
やっぱり、圭人くんの友達はたくさん受験したらしい。そして、少なくとも今日来ている子は受かったのだろう。つまり、圭人くんは中学生になっても、今の友達が一緒にいるということだ。
塾に行く日が増えだしたころ、合格したら遊ぼうねと言ってくれたことを、祐花ちゃんと美月ちゃんは覚えてるかな。いいなぁと零れた小さな音は、幸か不幸か、始業のチャイムに掻き消された。
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