箱庭Z世代

南 美桜

1.ルーティンワーク

見慣れすぎた景色の中を、今日も今日とて走っている。先輩との体力差をまざまざと見せつけられた中一の春、僕は毎朝3kmのランニングを自分に課した。それから走る距離は少しずつ延びて、高二の夏からは10kmになった。そして、僕の所属するサッカー部は昨日、県予選の準決勝で敗退した。

高三の、夏の大会での敗戦。即ちそれは、引退を意味する。にも関わらず、僕は今日も明け方の街を走っていた。

始発が動き出したばかりのこの時間に走らなくたって、朝練はもうない。けれども、好きで始めたサッカーが終わって、すぐに受験勉強に切り替えられるほど、僕はまだ大人ではなかった。


アラームをかけたわけでもないのに、計ったように5時に目が覚めた。二度寝をしようにも寝付けなくて、結局ジャージを取り出した。サッカーのために始めたこのランニングは、しばらく辞められないんだろう。

みっともなくしがみついて、それで頑張った気になって、なんの成果にもならなくなったこの日課は、少なくとも卒業までは続くのだ。

早起きのご老人が歩いている。餌待ちの野良猫の輪に、いつの間にか子猫が増えた。潰れたはずのコンビニは、お洒落に塗り替えられてカフェになった。白み始めた朝の空気に、ゆっくりと、けれども確実に廃れていく街並みが照らされる。今どき地方なんてどこもそんなもんだ。先輩たちは、進学とともにこの街を離れていった。僕も、同級生たちだって、大半がそうするつもりでいる。


走り終えた時間も、朝の家族の行動も、あまりにも昨日までと同じだった。変わったのは僕が部活を引退したということくらいで、両親は普通に仕事へ行く支度をしているし、妹は皆勤賞のラジオ体操カードを提げて公園へ向かった。

結局僕も、朝練に間に合う時間の電車に乗った。バッグには、ジャージではなく参考書が入っている。早朝から進路指導室が開いていることは知っていた。そこに、夏期講習前の自主勉強をしている同級生が居ることも。


「はよー」

「おは…あれ、なんで?」

「準決敗退。遅ればせながら今日から受験生」

「おぉ、受験生がんばろうぜ〜」


進路指導室には一人、幼馴染の拓海がいた。部活への未練とか敗退の傷心とか、そういうところに無駄に触れてこない距離感が有難い。拓海の斜め前の席を陣取って、今日一限にあるはずの数学の参考書を開いた。

窓の向こうから、何かの部活の掛け声が聞こえる。数字と記号の羅列に苦手意識はなかったけれど、今日ばかりはどうにも目が滑った。

あのパスをもう少し早く出していれば、あのシュートをもう少し右に蹴りこんでいれば、今の景色も変わったかもしれない。

いつも通りに過ごしたつもりで、僕の思考はまだ昨日にある。こんなタラレバを考えたって、僕の高校サッカーが終わったことに変わりはないのに。


「祐介」

「あ…」

「まぁ初日はそんなもんよ。数学なんかよりさ、生物、問題出し合わん?」


俺も眠いんよね、と大きな欠伸を隠さないままに言う。笑った顔も、その気遣いも、14年前から変わらない。

不思議な、神様みたいなやつだ。どこか俯瞰的にものを見ていて、最適解を知っているような。僕がどうしようもなくなったとき、あくまで直接には触れないで、それでも手を差し伸べてくる。

その手に、何度救われたことか。

僕の返答を待ちもしないで、拓海は生物の教科書を捲っている。いつもより重いバッグから生物の問題集を取り出した。

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