第8話 自分が選ぶもの――選びたいもの

 照明の熱と観客たちの熱気に汗だくになりながら、大きな拍手を受けてステージを降りる。体育館の裏口から外に抜け、新鮮な空気を肺に吸い込む。


「いやー、なかなか盛り上がったな。」


 バンド演奏を終えた俺たちサッカー部面々は、充実感に包まれ、楽器を抱えたまま温かな陽光を受ける中庭の芝生に座り込んだ。周囲は生命力あふれる芝の青い香りが立ち込めている。


「すごく楽しかったです!」


 ちろるは興奮冷めやまぬ様子で言った。汗で前髪がぺたっと張り付いている。どうやら全力を出し切れたようだ。ちろるはとてもよく声が出ていて、体育館にキュートかつ、ポップでロックに響いていた。


「ちろるの歌もよかったが、俺たちの演奏もなかなか上手くいったんじゃないか?」


 池上は芝生に寝そべりながら、同意を求めた。それに対し、剛田が深く頷いた。


「あぁ、確かになかなかいい演奏だった。」


 剛田の力強いドラムに、池上の一定の安定したベースのリズムが重なる。そこに俺の弾くギターと月山の奏でるエレクトーンの音が合わさる。個々の演奏の拙い部分はあるが、調和のとれた演奏であったといえる。


「そうだな……いい演奏だったな。」


 芝生に横になっていると、ほどなく穏やかな眠気に襲われた。何とも言えない多幸感に包まれる。これほど心地よい居眠りは久しぶりかもしれない。


「……ん。あっ……、やば……寝てた。」


 ふと目を開けると、頭上にあったはずの青空はオレンジ色へと変わっていた。そのオレンジ色の空をバックに、ちろるの顔があった。


「目が覚めましたか?」


「あれ……ちろるん。」


 この位置関係と頭の後ろにある柔らかな感触から察するに、どうやらひざ枕をされているらしい。相変わらず健気というか、なんというか。


「ぐっすりでしたね~。起こそうかと迷ったのですが、あまりに熟睡してましたので。」


「そっか……。ありがとう。」


 寝起きのぼやけた脳に、ようやく鮮明さが戻ってきた。膝枕してもらっていた事に礼をいい、身体を起こす。


「サッカー部の部長で、次期生徒会のメンバーで、文化祭も大忙しで、ギターの演奏もきっちり練習して、大変でしたよね。」


 ちろるは最大限の労いの言葉をかけながら、何ともくすぐったい言葉をかけ続ける。


「しれっとこなしちゃってるから、みんな気づかないけど……、多くのことを同時にこなして、全部上手くやるなんて……普通はできないですよ。本当は大変な仕事なのに、それを表に出さないのが、先輩のすごいところです。」


「いや……、全然そんなことないよ。」


 けっこう弱音をすぐ言ってしまうし、部活と生徒会と受験勉強を完璧にこなす姉貴と比べると、何も褒められたものではない。


 サッカーも、生徒会も、バンドも、特別な想いをもってするのではなく、何となく流されて始めたことばかり。そして“やりたい”よりも、“やらなければ”という想いでこなしているものが多い。


 そんな中途半端な自分が、自分で選ぶもの――選びたいものを、最近はようやく意識し始めた。


 ちろるの顔をじっと見つめる。秋の穏やかな夕風に、彼女の柔らかな髪がそよそよと揺れている。


「……?」


 ちろるは俺にじっと見つめられ、頭上にはてなマークを浮かべながら、少しそわそわと落ち着かないような表情を見せた。


――俺が選ぶもの。


     ――俺が選びたいもの。


 ふと腕についている黄色の腕章が目についた。


「あっ、記録の腕章つけたままだったステージ上がってたのか……。午前中に各クラスの写真とかは一通り全部撮ったけど、もう少し写真撮りたかったな。」


「まぁまぁ、まだ文化祭は後夜祭もありますよ。」


「あぁ、そうだな。」


「あの……先輩……。」


 ちろるは少し強張った表情で、もじもじと切り出した。


「その……よかったら何ですけど……、後夜祭……先輩はお時間があるのですかね……。何というか……私と一緒に過ごしたり……」


 少しぎこちない申し出だが、ようするに後夜祭を一緒に過ごしたいという事だろう。


「うん、そうだな。生徒会の仕事があるかもだけど、それ以外は多分大丈夫だ。」


「ほんとですかっ!? やったー!」


 ちろるの花開くような笑顔とともに、風に乗って金木犀の香りが鼻孔をかすめた。

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