第27話 夢をもってない者には、きっとその気持ちはまだわからない
翌週からは、協賛資金の目処が概ねたったことから、予算配分や企画の見積もりなどで言葉先輩の仕事を手伝うことが多くなった。
部活後に言葉先輩と一緒に見積もりをしたり、予算配分を検討したりして時間を過ごした。
「ありがとう、弟くん。めちゃくちゃ助かるよー!」
「いえいえ、これくらいお安い御用です。」
実際大した仕事はしていないが、優しい言葉先輩は労いの言葉をかけてくれる。
「少し休憩にしますか? 何か飲み物買ってきますよ。」
「そうだね。っじゃあ私は紅茶を御願いしてもいいかな?」
そう言って言葉先輩は、自分のカバンから財布を取り出そうとした。
「あっ、別にお金はいいですよ。」
「いやいや、なんで何で? 手伝ってもらってるんだし、私の方が年上だし、むしろ私が奢らないと!」
「そんな、いつも姉貴共々お世話になってるんですから!」
財布を取り出そうとする言葉先輩と、それを静止する俺。
そんなやりとりをしていた拍子に、テーブルの上にあった言葉先輩のカバンが落下してしまった。
「あっ、すみません!」
地面に散らばってしまったカバンの中身を、俺は慌てて拾おうとした。
「全然大丈夫だよ~。」
朗らかに言う言葉先輩だったが、この直後に彼女の様子が豹変した。
散らばった物の中には、焦げ茶色の手帳らしきものがあった。特に中を見るつもりはなかったのだが、床に落ちた際にページが開いた状態になっていたのだ。
そこに書かれていた文字を、俺は無意識に口に出してしまった。
「小説……?……プロット? ある日……主人公の男の子は……」
「……ちょっと!!!」
驚くほど大きな怒声が、言葉先輩の口から発せられた。
そしてむしり取るように俺の手から、その茶色の手帳は奪われる。
驚いてみると、言葉先輩が顔を真っ赤にしていた。それは恥ずかしさと、怒りと焦りが入り混じった表情である。小刻みにぷるぷると震えながら、言葉先輩は小さく言った。
「帰って……。」
「えっ、言葉先輩……?」
「――帰って!」
激しく取り乱す言葉先輩は、無理やり俺を部屋から追い出した。
バタンと勢いよく部屋の扉が閉められ、俺はしばらく唖然としたままその場で立ち尽くした。
いつも優しい言葉先輩があんなに怒るなんて……。優しい先輩を怒らせてしまったという事実そのものに、かなりショックを受けている。
しばらく放心状態で、ふらふらと俺は校内を歩き回った。
外の風にあたるため校舎外へと出る。涼し気な秋風が吹き、やや長くなった俺の前髪をなぞった。
「はぁ~、やってしまった……。」
不可抗力だとしても、人の手帳の中身を勝手に読んでしまった。
「それにしてもあれほど言葉先輩が取り乱すなんて……。そんなに読まれたくない物だったのだろうか。」
大きなため息をつき、空を見上げる。もう一番星が瞬いているほどに闇が深まりつつあった。その時突然、大人の貫禄ある声が聞こえた。
「どうしたサッカー少年。」
大柄な身体に、野太く低い声。そしてこの呼び方で俺を呼ぶのはあの人しかいない。
「あぁ――芝山さん。こんな遅くまでお仕事ですか……?」
この学校の管理人の芝山さんは、大きな木材を持っていた。ぶんまわせば人を撲殺できそうな巨大な角材である。
「あぁ、文化祭に向けて、わしもいくつか装飾の飾りを作ってやろうと思ってな。」
「そうでしたか。ありがとうございます。」
「それより、大きなため息ついてどうした?」
「えっと、それがですねぇ……」
俺は先ほど起きた事の次第を、言葉先輩の名を伏せたうえで、かいつまんで芝山さんに説明した。
「なるほどなぁ……。つまり、手帳に書いてあったのは、その先輩の夢やったんやろな。」
「夢……ですか?」
小説……プロット……。
つまり、小説家になることが――言葉先輩の本当の夢。
「そうやな。その先輩は小説家になるのが夢で、本当の夢を少年に知られたことに取り乱した。」
そうだったのか。
小説家になる夢――いいじゃないか。言葉先輩ならきっと素敵なストーリーを紡げる。
それは決して、何も恥ずかしがるようなことではないと思う。
「本当の夢――それって、人に知られたら恥ずかしいものなんですかね?」
芝山さんはタバコに火をつけて、ふうっと大きく煙を吐き出した。夕闇に光る赤い炎が、どことなく幻想的に見える。
「そう思えるってことは――少年はまだ、本当の夢を持ったことはないんやろなぁ。」
「どういう……ことですか?」
「夢ってものは大きければ大きなるほど、夢への想いが強ければ強まるほどに、それに比例して人に言うのも恥ずかしくなるものやで。」
そんなものだろうか。本当の夢をまだ持ったことがない俺にはわからない。
「夢を叶えたいって真摯に願うほど、夢には届かない未熟な自分が浮き彫りになる。そんな自分が夢を語るのはおこがましいんちゃうか? 人に笑われるんちゃうか? きっとその先輩もそんな気持ちになって、取り乱したんやと思うけどな。」
「そんなっ……。夢を持つことは素敵な事だし、絶対に笑ったり、馬鹿にしたりなんかしませんよ! 夢を持てるってことは……、夢を追いかけることは素敵なことですっ!」
神崎さんの一心に夢を追う姿も、姉貴の壮大な夢を語る姿も、素晴しいものだと――カッコいいものだと心からそう思う。
「そうやなぁ。夢はみんなに笑われるより、応援してもらえる方がええな。」
芝山さんは短くなった煙草を地面で消し、携帯灰皿にしまった。
「でもなぁ、少年。夢ってのはやっぱり、最初は人に馬鹿にされたり、笑われたりするもんちゃうかな?」
「それは、俺には……まだわからないです。」
夢をもってない者には、きっとその気持ちはまだわからない。
「何にしても、その先輩が夢をまだ公にしたくない以上――とかく少年は、その先輩の夢をそっと応援してやるしかないやろ。」
「それは……、そうですけど……。」
芝山さんは俺の肩をぽんと叩き、「まぁ、がんばれや。」とほほ笑んだ。
「……わかりました。ありがとうございます。」
俺は芝山さんに礼をし、まだ灯りの灯る校舎内へと戻った。
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