第8話 偉大なる母の血は確かに娘たちへ受け継がれている

 礼儀正しくぺこりと頭を下げて、校舎側へと駆けていくちろるの背中を見送る。


 藤棚の下で再び本を読もうとした瞬間、突然背後から声が聞こえてきた。


「ふーん、なかなか礼儀正しい子ね。あんたの彼女?」


 いつも聞き慣れた女性の声、姉貴よりもさらに時の重みが乗った母の声である。


「おぉ、母さん!? ……何で姉貴にしかり母さんにしかり、青葉家の女性は俺の背後に立ちたがるんだよ。」


「あんたの背中が隙だらけでがら空きだからよ。少しはゴルゴを見習いなさい。」


「闇社会の一流の狙撃手と比べられても困る。」


 母はサングラスにつばの広い白い帽子、腕には日焼け対策の黒い籠手みたいなのを付けており、完全なまでの紫外線対策をしていた。


 日も高く昇っていき、入場門の傍には芋臭い水色のジャージに身を包んだ中学生たちが集まり始めた。


 全員がきちっと並び終えたところで、頭から足先まで真っ白な運動服に包まれた男性教諭が指揮台に上がる。右腕を高く上げ、耳を塞ぎながら空砲を空に放った。


「入場しますっ!」


 ワシントン・ポストのBGMに合わせて、中学生たちは軍隊のようにきびきびとトラックの周りを行進した。


 その中に一人、気だるそうに歩く女子生徒がいる――うちの妹である風花だった。その隣には、風花の親友である絵梨ちゃんもいる。


「風ちゃん……、もっと足あげないと先生に怒られるよ……?」


 黒瀬絵梨は、隣りで気だるそうに歩く風花に話しかけた。


「えりりん、私は軍隊に所属してなければ、マーチングバンドに入った覚えもないよ。それなのに行進をしないと怒られるって、私には理解ができないんだけど?」


「うん……そうだね……。でも、みんなに合わせるのも、時には大事……かもしれないよ……」


「いやいや、これは同調圧力というものだよ。行進するのが普通だと思い込まされているんだ。一人が二人になると同調圧力は一気に減少するんだよ。えりりんも普通に歩こうよー。」


「えぇ……、もう……仕方ないなぁ……。」


 風花だけでなく、隣りにいた絵梨ちゃんも行進の足取りを緩め、普通に近い歩き方になった。きっと風花に言いくるめられたのだろう。


 それにつられて、風花たち周辺の生徒たちも先ほどまでのきびきびとした行進が、少しまろやかな行進へと変わっていった。


「風花は相変わらずだなぁ。母さんはあれでいいの?」


 俺は風花の反骨精神あふれる入場を眺めながら、隣りで扇子を仰ぐ母に尋ねた。


「まぁそれがあの子の良い所よ。別にあの子一人が行進しなかったところで、誰かが死ぬわけでもないでしょ。」


 全く寛容的というか、適当というか、この偉大なる母の血は確かに娘たちへと受け継がれている。しかし、どうも俺には引き継がれなかったようだ。


 たまに本当に俺は、ここの家の子供なのだろうかと思わなくもない。どっかの馬小屋にでも捨てられていたところを、拾ってもらったのではなかろうか。


「俺って、青葉家の長男だよな。」


「当たり前じゃないの。」


「どっかから拾ってきた子とかではなくて?」


 母はサングラス越しでも分かるほどに、きょとんとした表情を見せた。


「何言ってんのあんた? 私がお腹をいためて産んだ子に決まってるでしょ。」


「そっか。よかった。」


「あんたの性格は父さん似、見た目は私に似てるわよ。まぁ、もしあんたと血が繋がってなくとも、私たちは家族だし、あんたにも十分な愛情をかけてきたはずよ?」


 血は水より濃いなんてそんな言葉がある。血縁者同士の絆は、血の繋がっていない者同士のどんな深い間柄よりも勝るなんて言葉だ。


 俺自身その言葉には懐疑的である。血の繋がりがなくとも、心の繋がっている親子はいる。そしてまた血が繋がっていても、心が繋がっていない親子もいるのだ。


 母は難しそうな顔をする俺を見て、呆れたような笑みをみせた。


「……あんたは昔から色々と考えるのが好きねぇ。それとも年頃の男の子ってのは、哲学とかに嵌るものなのかしら。」


 母の言う通り、俺は昔からあれこれと考えるのは好きだ。


「なぁ母さん、他に俺が子供の頃に好きだったものとかある?」


「子供の頃……?」


 母は思案に耽るように、人差し指を唇のしたの窪みにあてた。膨大な過去の記憶を遡ってくれているようだ。


「そうねぇ、今あんたが首にかけているそれ。」


「……カメラ?」


「あんたが子供の頃、旅行や遊園地やらに行った時は、いつも父さんのカメラを貸してほしいって言ってたわね。」


「そうだったかな。」


「そうよ。だからあんたの子供の頃の写真少ないでしょ?」


「まじで? 俺の写真が少ないのは、二人目の子供だし、男だからあまり写真撮る気にならなかったからだと思ってた。」


「違うわよ。あんたにカメラ持たせてあげてたからよ。」


「そうなん? あんまり記憶ないけど。」


「あんたが小学校入ってからは、カメラよりも風花のお世話をするのに夢中になってたからね。あまりカメラを撮りたがる事も少なくなったかしら。」


 そうだったのか。言われてみれば、うっすらとそんな記憶も残っている気もする。しかし、カメラやビデオなど、見慣れない機械に興味を持つのは子供なら誰しもだろう。


「あんたが最近カメラ買ったのも、写真に興味があるからじゃないの?」


「うーん、何となくだけど、写真に残したいと思う機会が増えたからだよ。カメラそのものに興味があるのかはまだわからない。」


「ふーん。まぁせっかく新しいカメラ買ったのなら、写真撮影は任せたわよ。」


 そう言って母は、藤棚の日陰へと戻っていった。

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