第29話 可愛い後輩からのまさかのため口
休憩を終えてからさらに一時間ほど経過した。ちろるの宿題をみる合間に読んでいた小説『星降り山荘の殺人』は、500ページを超える厚めの文庫本だったが、もう物語も終盤まで迫ってきていた。
“どうなるんだ、これ……! 犯人が全然予想つかないっ……。あと本格ミステリなのに、麻子っていうヒロインっぽい子がめっちゃ可愛い。”
「っ――雪――先輩――、雪ちゃん先輩っ!」
「おおっ!? 何だ、ちろるんか。」
驚いて手元の文庫本から顔をあげると、ちろるが頬をぷくっと膨らませてこちらを見ていた。
「何だじゃありませんよー。もう、教えてほしいところあるから呼びかけてるのに、全然聞こえてないんだもん。」
「あぁ、すまん。読むのに集中しすぎてたわ。どの問題?」
「えっと……この問題です。」
「うーん――あぁ、これは一見複雑そうだけど、手順は一緒だよ。まずこの共通因数出して、因数分解でこう変形してから、この公式使って……」
「おぉ、なるほど! よく分かりました! 先輩、天才ですか!」
「別に普通だよ。でもまぁ、数学が一番得意教科ではあるし、数学が一番好きだな。」
その発言に、ちろるは狂人を見るような視線を送ってきた。
「意味わからないです……。数学が好きとか――変態ですよ。頭おかしいですよ絶対。」
数学が好きなだけで変態扱いされる風潮……。文系バーサス理系みたいな番組みたことあるけど、理系は論理的にメリットやデメリットとか説明する反面、文系はこういう感情論でぐさぐさ理系の心を刺しに来るよね。「理系ってなんか暗いし、オタクっぽいよねぇ。」みたいな――そしてこれが結構効くんだなぁ。
「おいこら、もう数学教えないぞ。」
「あっ、嫌だなぁ~冗談ですよ~!」
ちろるは営業相手のご機嫌を覗うように、少しぎこちない笑みを見せながら言った。
「ちろるには、数学の良さがわからんのか。この絡まったイヤホンが、するすると綺麗に解けた時のような快感が。」
そう言って、俺は手元にあったこんがらがって絡まっているイヤホンを見せた。
「えぇ? だってそんなの、絡まってるイヤホンを見た時点で気分下がるじゃないですか。数学嫌いな人は、そもそも解こうなんて考えないです。イヤホン絡まって喜ぶとか、やっぱり数学好きは変態ですよ。」
「っぐ、なるほど……確かにそうかもな。いや、でもそれだけじゃない。」
俺は多くの数学好きが言う言葉を、あたかも自分が最初に言いだしたかのように堂々と言い張った。
「人生におけるほとんどの問題が、確かな正解がない難問ばかりだ。しかし、数学の世界では、明確な答えが存在しているのだ。こんな確かな正解で満ちている世界! なんとも美しいではないか!」
数学の美しさを雄弁する俺に対し、後輩である桜木ちろるは非常に冷めた目で見ていた。
「紅茶冷めてるので、入れ直してきまーす。」
「ちょっ!? 話聞いてた?」
「聞いてた、聞いてたー」
ため口……だと……っ!? ここまで面倒くさそうな返事をするとは、もはや先輩に対する敬意が完全に消えている。
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