第30話 将来の夢がお嫁さんなら、文理選択はどっちがいいのか

 後輩からのまさかのため口に愕然とする俺をしり目に、ちろるは台所に行き、湯気が立つ紅茶の入った自分のマグカップと、もう一つ別のマグカップを持っていた。


「先輩もどうぞ、ハチミツティーです。美味しいですよ。」


「おぉ、さんきゅー。」


 どうやらさっきのは何かの間違いで、先輩への敬意は復活したようだ。ちろるからマグカップを受け取ると、彼女は体操座りの姿勢で壁にもたれるようにして座った。


「先輩は数学好きなのに、どうして文系なんですか?」


「えっ――それは――」


 神崎さんが文系だったからだなんて言えない――多分そんな事いったら、もう一生俺には敬語を使ってくれないだろう。


「ほら……俺さっ……結構本読むのも好きだしっ……。」


 乾いた笑みを浮かべながら、俺は文系を選んだ理由を伝えた。決して一番の理由ではないが、これもまた嘘ではない。


 ちろるは両手でまだ湯気のたつマグカップを少し熱そうに両手で抱え、それに軽く口をつけながらジトっとした視線を送ってきた。


「雪ちゃん先輩……、何でそんなに慌ててるんです?」


「ハハッ? 何を言ってるんだいちろるちゃん?」 


「なんか怪しい……。」


 このまま追及されるとぼろが出てしまいそうだ。俺は必死に話題をそらそうと、さっきから思ってたけど黙っていたことを告げることにした。


「それよりちろる、その服で体操座りの姿勢は、結構際どいと思うよ。」


 彼女の今日の私服は、白のTシャツに、紺色のデニムスカート、くるぶしまである緑のソックスという夏らしいさっぱりした服装だった。


「――っへ?」


 ちろるはきょとんとした顔で、視線を下に向けた。


 彼女のひざ丈まである長さのデニムスカートは、体操座りをすると角度によってはスカートの中が見えてしまいそうだ。現状俺の位置からは見えていないものの、ちろるが動く度に思わずドキリとしてしまう。


「ちょっ! 気づいてたならもっと早くいってくださいよっ!///」


 頬を赤らめながら、ちろるはすぐさま、ぺたんっと女の子座り(正座を少し崩したような座り方)へと座り方を変えた。


「すまんすまん。ところで、女の子座りって、男でできる人ってごく一部らしいぞ。」


 自然な流れで、俺は完全に文理選択の話から、女の子座りの話題へと話をそらした。


「そうなんですか? 先輩ちょっとやってみてくださいよ。」


 ちろるに促され、俺も正座の座り方になった。そして両足の間を開きつつ、尻をその間に落とすように下げていく。


「っあ! 無理っ――膝がねじ切れる!」


「えっ、本当にできないんですか!? えいっ!」


 そう言ってちろるは俺の肩に手を置き、俺に乗っかるように体重をかけて押し込んできた。


「っ――!? 無理無理無理! 股関節がっ――骨盤がわれるっ!」


「もう雪ちゃん先輩ったら……大袈裟ですねぇ。」


「大げさじゃねぇから。こんなんできるのは女の子と男の娘だけだ。」


 くだらない事を言って騒ぐ俺を、ちろるは冷めた表情で見つめていた。


「それはともかく、文理の話に戻しますけど――なんで文系にしたんですか?」


「あり? その話はまだ続くのか……。」


 完全に話をそらせたと思ってたのに……。


「だって一年生は、二学期になったら文系か理系か選ばなきゃダメですし……。先輩がどうやって選んだのか参考に聞こうと思って……。といっても、数学とか化学とか苦手だし、このままいくと文系になると思うんですけどね。」


 文理選択――実際にクラスが文理で分けられるのは二年生からだが、一年生の秋頃に希望調査が行われる。


 確かに、普通科に通う高校生なら、多くの学生が一度は悩む問題だ。しかし、好きな子を追って文系に決めたなんて意見は、間違いなくちろるの参考にはならない。


「そうだなぁ……。やっぱり、将来就きたい職業や、学びたい学問に合わせて選ぶべきだろうなぁ。」


 俺がアドバイスできる立場ではないのは重々理解しているため、一般論でのアドバイスに留めた。


「なるほど……。先輩は将来の夢とかあります?」


「プロ野球選手か宇宙飛行士かな。」


「小学生ですか?」


「高校生だな。そして来年受験だ。」


「お言葉ですが……先輩も進路のこと、もう少し考えた方がいいのでは?」


「もちろん考えてるよ。でも考えても答えが出るかどうかは別の話だ。」


 将来の夢――姉貴や神崎さんみたいに、既に明確な夢を持って行動を早く移せる人がいる。でも、俺はまだそれができない。


「ちゃんと考えてはいるんだ――何がしたいか、何ができるか。」


「雪ちゃん先輩なら、きっと何でもできると思いますよ。 それより何がしたいかが大事なのでは?」


何でもできるか――そういえば、管理人の芝山さんも同じこと言ってたな。でも、それが俺にも当てはまるかはわからない。


「俺のこと買いかぶり過ぎだよ。そういうちろるは? 何か夢とかあるの?」


 ちろるはやや上目づかいで、恥ずかしそうに将来の夢を告げた。


「そうですね……。お嫁さん……ですかね?///」


「…………///」


 おっと――さすがに、これは聞いてる方も恥ずかしすぎる。俺まで頬を赤らめてしまった。


 これ、なんて返したらいいのだろう? 「誰の?」とか聞いたらしばかれるだろうし、今の俺は「任せろ! 俺の扶養家族になれ!」とか言える立場でもない。


「……///」

「……///」


「……それなら文系でも理系でもいいだろ。」

「……そですね///」


 何とも言えない気恥ずかしさで室内が包まれながらも、俺は小説の結末に意識を戻し、ちろるんは終わる目処が見えない宿題に意識をやった。

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