他問自問
「じゃあ、とりあえずここまでにして、残りは来週にまた時間を取りましょうか」
「そうですね、時間も遅いですし……お疲れさまでした」
「お疲れさまでした」
一日の振り返りという名の要件確認会が終わる。
本来は単に
場合によっては会議時間として定めてる一時間を超えることも多々ある。佐藤を含めたメンバーの全員が、互いに意見を出し合いながら議論する姿は、ある種の熱を感じさせるものがあった。おかげで事務所の中では、ちょっとした名物化されてるのを佐藤は気づいてない。
「佐藤さん、今日の夜はどうされるのですか?」
佐藤が会議を終えて席に戻ると、先程まで一緒の会議に出ていた隣の遠山が、親しげに予定を聞いてきた。遠山は常駐なのだが、入ってきた当初から本人のコミュ力もあり、佐藤とも話が弾むので、二人ともこういう仕事外の会話をよく交わしている。
佐藤も未だ独身なので、ここまでなると二人の間に桃色の
「そうですね、ケンチキにでも寄ろうかなぁと」
「またですか、先週もそうではありませんでしたか? 太りますよ?」
「それでもケンチキに罪はない」
ほぼいつもの会話を繰り返しながら二人とも退勤準備をぼちぼちと進めてたが、そこで佐藤の動きがふと止まる。
佐藤のモニターの画面に写っている文書のタイトルには《〇〇年半期評価シート》と書かれていて、ほぼ全ての項目が空欄のまま残っていた。
佐藤の会社は半期――六カ月ごとにこういった評価シートというものを作成しなければならない。
評価項目は本人の業務内容や実績を評価する実務評価と、協調性やマナーといった普段の行いを評価して点数をつける職務評価がある。この二つを評価対象の本人とその上司でそれぞれ評価するという評価方法を取っていた。
【本当に勘弁してくださいね】
佐藤の脳裏にはお昼に聞かされた鈴木の言葉が蘇り、お昼に感じたどす黒い感情は再び胸の奥で顔を上げようとする。
画面に釘付けになったまま動かない佐藤を見て、横にいた遠山は佐藤の視線の先を確認し、気づいたように声をあげた。
「ああ! そういや評価期間でしたよね、期限は大丈夫ですか?」
「まだ余裕はありますが、いい加減やっておくべきでしょうね」
「他の皆さんもここ最近、それで忙しいですよね……」
「遠山さんは……大丈夫ですよね」
「そうですね、こっちは外注ですので――よっと」
自分の荷物を持ち、立ち上がる遠山を見る佐藤の目には少しの
「お疲れさまでした」
「お疲れさまでした、良い休日を!」
そう言って事務所を出ていく遠山を目で追い、完全に姿が見えなくなってから佐藤は自分の画面の方へと向き直った。
しかし体は向き直っても、心まで向き直ったかといえばそうでもない。相変わらず向くべき場所も定まらず彷徨うばかりだった。
真っ白な空白、佐藤自身の評価をここに書かなければならない。今までだったら迷わず適当に書いただろうけど、今日だけはそうもいかなかった。鈴木から刺された言葉は時間がたつほど広がっては心を
自分のどこが悪く見られたのか、どこをどう直せば良いのか、自分の短所を知り尽くしている佐藤にはどうしても答えが見つからない。どこを優先的に治すべきかすらも選べずにいた。
短所は直せば良い、あるいは長所として受け取れば良い。他人にとっては短所だったとしても、自分にとっては長所だと思う箇所もある。しかしあんなことを言われると、どうしても開き直れない佐藤であった。
――――自分は自分だと完全に開き直れるのなら、きっと幸せになれるのだろう
それが仮に罪なことであって、許されざる行為だったとしても、そうできる人はきっと幸せな人間だ。よっぽど自分に自信がある人間に違いないだろう。しかし、自信もプライドもボロボロな自分には関係ない話だと佐藤は苦笑いする。
悩んでも答えは見つからず、結局佐藤はいつものように適当で当たり障りのない単語で中身を埋めては会社を出た。
「ふぅ……」
時間も夜遅く花金なのもあって、町中には酔っ払ってる人や、飲み会から抜けてタバコを吸っている人もそれとなく目につく。
そういう人の群れがあっちこっちで何グループを通り過ぎたり見かけたりする中で、佐藤は見知った人たちを見つけた。まさに今日、佐藤自身の悩みの種にもなっている鈴木と、同じ部署で勤務中の営業部員たちである。
傍から見たらただの酔っ払いの群れであり、人の目を気にしろと言った割には鈴木が一番酔っ払ってるようにも見えた。鈴木からしたら、まさかここに佐藤がいるとは思わないだろうし、そもそもあの調子だと佐藤が近づかない限りわからないだろう。
だから佐藤は鈴木たちを無視して自宅への帰路を急ぐ。理不尽さは感じども、それだけであった。
だって、あの人たちは笑っていて自分は笑っていないのだから。
だったら、アレは正しくて自分は間違っているのだろう。
だから、自分は自分の行動に気をつけないといけないのだろう。
その考えが屁理屈であり、その自覚があったとしても、そこに違和感は感じない。世界はそんな風に、声の強い人間が勝つものであり、そこに理屈も理論もいらないというのが彼の常識であった。
しかし、そんな佐藤の動きは横断歩道を前にして再び止まった。視線の先にはお馴染みのコンビニがあって、ちょうど一人のお客さんがビールとタバコを買って店を出ている。
信号が変わり、コンビニと横断歩道の両者の間でしばし視線を交互に移す。
そして信号が点滅し始める頃、佐藤は走って横断歩道を渡り、そのままの勢いで家に向かって走っていく。その様はまさに何かから逃げるように見えていた。
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