監視者たちの世界

琴張 海

他答自問

「先輩、もう少し人の目を気にしたほうが良いですよ」


 とある定食屋、そこにいる一人の男と、横で食事をしている先輩と呼ばれた男。

 二人とも首に名札をかけていて、片方は営業部の鈴木、先輩と呼ばれた方は開発部の佐藤と書かれている。

 鈴木の言葉を聞いた先輩――佐藤は忙しなく動かしていた食事の手が止まる。


「……そうかい」


 しかし、佐藤は適当に相槌を打っては、相変わらずの無表情な顔で黙々と食事を口に運んだ。そも、お昼の食事の時に言うような話題でもないのだが、指摘された佐藤本人は気にしていないように流している。しかし、指摘している方の口は止まらなかった。


「先輩だって自覚はあるでしょ? 裏でたたかれてるの」


「まあ、な」


「気にしないと言ったらそれまでですけど、会社の人たちが普段のストレス解消にどんだけ愚痴ってると思ってるんですか」


 散々な言われようだが、佐藤は返事を返さない。ただ横に置いてある茶碗の冷たいお茶を一気飲みしては、ただご馳走ちそうむさぼることだけに専念していた。

 まるで食事しか見てないかのような、無情で無関心に見える態度だったが、まだ食事が届いてない鈴木はそれらを気にせず言葉を続ける。


「先輩がそれだと、こっちまで悪く見られますから、本っ当に勘弁してくださいよね」


 佐藤の方はやがてご飯を食べ終えては、ぬるくなった味噌を一気飲みする。

 この店は食事の後にコーヒーもサービスしてくれるのだが、常連の彼はそれを待たずに席から立ち上がった。


「――善処する、先に帰るぞ」


 それだけ口にしては鈴木の返答も待たず、お代をカウンターに置き、そのまま店を出る。後ろからは何の声も聞こえなかった。


 冬の冷たい風が佐藤の服の隙間をくぐって来るが、お構いなく会社に戻るため歩き始めた。

 その頭の中を埋めていたのは、先程まで流していた鈴木の言葉。


 曰く、人の目を気にしろ。

 曰く、裏でたたかれている。

 曰く、こっちにまで被害が来る。


 鈴木は佐藤のことを先輩とは呼んでいるがそれは同じ大学出身で、佐藤が一年早く会社に入っているからだけの理由である。佐藤と鈴木の間にそれ以上の親交は存在しなかった。

 そのためか、心配しているかのようにも見える言葉の数々より、最後の一言が本音のように思えてならなかった。


 しばらく心ここあらずの様子で歩いた佐藤は横断歩道の前で、歩みを止める。

 信号が青に変わり周りの人々は迷いなく横断歩道を渡る。しかし、動かずそのまま止まっていた佐藤は方向を変え、少し離れたところにある自販機からコーラを買っては、その場で半分ほどを空けてしまう。

 その表情は先程まで無表情を貫いていた男と同一人物とは思えないほど複雑な感情が顕になっていた。

 後悔、怒り、嫉妬、恨みなど、いろんな感情が忙しなく交差していくも、その感情を発散することなく一度だけ目を瞑る。


「――はあぁ」


 最後には深くため息をつき、半分ほど残っていたコーラを投げるような勢いでゴミ箱へ差し込んだ。

 その後、両手をポケットに入れては本来の進んでいた道へと戻っていく。

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