母の思い出話

 1月の日曜日に、姉一家と母と私で買い物に行った時のことである。

 そのスーパーのレジ近くの一角には、ちょっとした本やcdが並んでいるスペースがあった。そこで姪っ子たちが、絵本を買うというので、お金を払っている間、そこにどんなcdがあるのか、母に見てもらうことにした。

 坂本冬美、森昌子、鳥羽一郎、三橋美智也…。

 80年代や、90年代のJ-popや、ニューミュージック物のcdを期待していたのだが、残念ながら、そこに並んでいたのは、ほとんどが演歌のcdだった。

 なーんだ、と思っていると、ふと母が言った。

「ねえ、三橋美智也があるなら、あの人もないかねえ」

「誰?あの人って」

私がそう尋ねると、母は少し考えてから、

「村田英雄」

と言った。

「誰その人?」

たぶん初めて聞く歌手の名前だと思う。

「ほら、「王将」とかしらない?」

「えー、知らない」

そう答えた瞬間、ふと思い出した。某オンラインイベントで、友人の一人が、「王将」を歌っていたことを。

 たぶんその曲のことだろう。その友人には申し訳ないのだが、私自身、あまり演歌には興味が無いので、そこまで意識して聞いていなかった。

 そんなことを考えていると、母は言った。

「三橋美智也と、村田英雄は、お父さんが好きだったんだよ」

「お父さんって?」

「福島のおじいちゃん」

「あー…」

「お父さんタクシーの運転手してたから、その頃には珍しい、でっかいラジカセみたいな機械持っててねえ。子供の頃の朝の音楽は、三橋美智也か、村田英雄だった」

「へえ、そうなんだー」

私は母のお父さん、つまり母方の祖父には1度も会ったことがない。というのも…。

「ねえ、福島のおじいちゃんって何歳で亡くなったんだっけ?」

「42歳だよ」

「42歳?!そんな若かったんだー」

母が小学校高学年か、中学生の頃に、父親を亡くしていることは知っていた。でも、何歳で亡くなったかまでは、今まで聞いたことがなかった。

 現在母は63歳。言う間でもないが、亡くなった父親の年齢をとっくに超えている。

 私の父は現在61歳。自分が小学校高学年から、中学生の多感な時期に、42歳で父親が亡くなるなんて、全く創造がつかない。きっと言葉ではどう表現すればいいのか分からないほど、それは寂しく、辛いことだっただろう。

 母は、5人兄弟の3番目に生まれたが、その兄弟の3人を、すでに亡くしている。その内の一人の妹は、ダウン症だった。

 今でこそ世の中の認知が進みつつあるダウン症だが、50年ぐらい前の福島の田舎では、ダウン症に対する認知も理解も無く、いろいろとたいへんだったそうだ。具体的にどうたいへんだったのかは聞かせてもらえなかったけれど。

 そんな中母は高校に進学したものの、授業料が払えなくて、すぐに退学して働きに出たとも聞かされた。

 と、これまでにも母の苦労話は何度か聞いてきたけれど、父親との思い出話を聞いて、母もいろいろと苦労してきてるんだなあと、改めて思った。それは、自分自身の年齢を重ねるごとに、実態を伴って浸透していくようだった。なんてことない、日曜日の午後の一コマでも。

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