海の人間、山の人間

 移住しようと考えていた、群馬県のみなかみから、故郷の浜松に戻ってきてから、もう2年が過ぎた。

 あれから2年もたっちゃったのかー。長かったような、あっと言う間だったような、そんな感じだ。

 じつは私自身、浜松に戻ってくるつもりは、全く無かった。みなかみと言う新たな新天地で、自分の人生を、1からやり直したいと考えていたからだ。

 しかし、もろもろの事情により、残念ながら、その思いはかなわなかった。

 それでも、きっと自分は、みなかみには住めないんだろうなあと薄々感じていたことも事実だ。

 そりゃあ住所を移せば、誰でも表面上は、その町の人間になることはできる。私だって、転出届と、転入届さえ受理されれば、みなかみの人間にはなれたはずだ。

 しかし、ここで書きたいのは、そう言うことではない。

 きっと私は、どうあがいても、みなかみの人間にはなれなかっただろう。みなかみの空気が、そう言っていたから。


 2018年の8月の終わりに、数日実家に帰省したことがあった。

 できれば会いたくない家族が何人か居るので、帰省する前はとても憂鬱だったけれど、みなかみではあまり食べることができなかったマグロのお刺身を、思う存分堪能できたり、久しぶりに地元のラジオが聞けたりと、たまになら帰省するのも良いもんだなあと思い始めているうちに、みなかみに戻る日になった。

 みなかみから浜松へは、上越新幹線と、東海道新幹線を乗り継いで帰ったけれど、帰りは東海道新幹線で東京まで出て、そこから先は在来線でみなかみまで戻った。

 15時台の新幹線で浜松を出て、みなかみの自宅に付いたのは、夜の10時過ぎだった。それなりに長い旅だった。

 その日浜松では30度を超える暑さだったのが、夜にみなかみ駅に降り立つと、一機に秋が来たのではと思うぐらいに涼しかった。浜松と、みなかみの温度差に、改めて驚かされた瞬間だった。

 そして改めて気づかされた。

(空気が違う!)

みなかみは、冬には雪がたくさん降る豪雪地帯で、冬以外の季節は、自然豊な山沿いの町だ。

 一方の浜松は、実家から歩いて数分のところに海があるような町である。

 みなかみでの初めての夏を迎えた時、「何かが足りない!」と強く感じたのを思い出した。

 その何かとは、ずばり海である。みなかみには海が無いのだ。その事実を知った時、なぜだかとても寂しくなった。

 これまでにも、京都や所沢と、浜松を出て他府県に住んだことは何度かあったけれど、海が無いことが、こんなにも寂しいと感じたのは、みなかみに住んだ時が初めてだった。

「おまえはこの町の人間じゃない。所詮おまえは海の人間だ。山の人間にはなれない。この町に住むべき人間ではない」

あの日、夜のみなかみ駅に降り立った時、山沿いの町特融の涼しい風を浴びた時、みなかみの町の空気が、そう言っているように感じた。

 みなかみに移住することを考えていた、負けず嫌いな私には、その宣告は、悔しくもあり、悲しくもあり、残酷ささえ覚えるような物だっただろう。

 しかし、負けず嫌いな私でも、その宣告を、なぜか自然に受け入れることができたのだ。

 と言うのも、みなかみに戻る前日の夜、実家の自室の窓を開けた時に入ってきた、海沿いの町特融の、塩の匂いを含んだ、ちょっとべとつくような、湿気を帯びたあの風を思い出したからだ。

 どうやら私には、そっちの風の方が会っているみたいだ。

 そう、私は山の人間にはなれない。なぜなら海の人間だからだ。それは生まれながらにdnaに刷り込まれているような、隠しようのない事実なのかもしれない。


 だからと言うわけではないが、それから約3か月後の11月、私は相方と共に、みなかみを出て、浜松の中心地に近いところに住むことになった。

 そして現在、より書くことに専念した生活がしたいと考えるようになり、中心地からも離れて、歩いて数分のところに海がある実家に、生活の拠点を戻した。

 こうして私は完全に海の人間になったと言うわけである。やはり私は、山の人間にはなれなかったのだ。

 それでも、このコロナが落ち着いた暁には、山沿いの町みなかみにも、またぜひ遊びに行きたいなあと考えている。

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