toddle(トドル)を聞いて思い出した原点-2
私が詩を書くようになったのは、本格的にロックを聞くようになった17歳の頃だった。
すでにいろいろなところで話していることだが、もともと私は詩人になりたかったわけではなかった。音楽をやる人になりたかったのだ。ミュージシャンか、音楽プロデゥーサーになりたいと思っていた。
とは言うものの、祖父母や親から無理やり習わされていたこともあり、ピアノが少し弾けるぐらいしか、楽器はできなかった。
ぶっちゃけピアノはあまり好きではなかった私だったが、じつは中学の頃から、密にギターに憧れるようになった。高校に上がってから、お年玉やお小遣いを貯めて、自分のギターを買おうとしたこともあったけれど、なかなかお金がたまらなくて、結局挫折してしまった。
それでも、いつかバンドを組みたいと夢見ていた。そのバンドでオリジナル曲を作りたいと考えていた。その最初のきっかけとして、詩を書くようになったのだ。
その夢を果たすべく、高校を卒業してから、某盲学校の専攻科音楽科に進んだ。
そこで寄宿舎の仲間と、バンドを組むことはできた。私は主にボーカルを担当していた。
yuyさんや、木村カエラさんや、大塚愛さんなどの曲をコピーして、寄宿舎のイベントで演奏していた。それはそれでもちろんたのしかったのだけれど、そのバンドは、私がやりたいと思っていたバンドとは、全くかけ離れた物だったし、気の合う音楽仲間もあまりできなかった。
学校でも、音楽理論や、ピアノや声楽のレッスンの授業についていけず、心身共に体調を崩して、学校を休み勝ちになることも多かった。
自分は音楽をやるには、神経が細すぎる。そう思って、音楽の道を挫折することにした。でもその代わり、音楽ではなく、詩を書くことで、自分を表現すると言う、新たな生きるすべを見つけたことで、今に至っている。
それでも音楽の道を挫折して、仕事をするようになってからも、バンドをやりたいと思うことは多かった。
あにめ「けいおん!」のベース担当の秋山美緒ちゃんに憧れて、ベースをやってみたくなったことがあった。実際に買おうとしたこともあったけれど、その当時、点字の触読校正の仕事をしていたため、ベースをやることで、指先に支障が出るのも困ると思ったので、その時は諦めた。
その後触読校正の仕事をやめてから入ったa型作業所で、その作業所のテーマソングを作ったと言う利用者さんと、他にも楽器ができる利用者さんたちで、バンドを組もうと言うことになった(その時の私の担当はキーボード)。しかしメンバーの音楽性の違いにより、いろいろともめて、結局そのバンドはすぐに解散してしまった。
そして数年前、その作業所で知り合って、今でも仲良くさせてもらっている、音楽仲間でもある女友達と、二人でユニットを組もうと言うことになったのだけれど(この時の私の担当もキーボード)、彼女の急な入院により、この話もいつの間にか無しになってしまった。
と、こんな風に、今日に至るまで、バンドをやろうと思ったことは、何度もあった。このような現象を、個人的に「バンドやりたい熱」と呼んでいる。
それが今回、toddleを聞いたことで、その「バンドやりたい熱」が、何年かぶりに再発してしまったのである。
私もひさ子さんのように、ギター(あるいはベースでもいい)をかき鳴らしながら、自分の声で、自分の言葉を歌ってみたいと強く思った。それまで鬱鬱としていたけだるい脳内に、この時突然ぼっと火がついた。
そうなのだ。私はバンドをやりたくて、詩を書き始めたのだ。私が詩人になった原点は、バンドや音楽が好きと言うところにあったのだと、toddleを聞いて、改めて思い出したのだった。
お金や時間や心に余裕ができたら、こんどこそ本格的に、ギターかベースを始めてみようかな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます