恩師に詩集を渡す-2

 「ヒカちゃん、ここまで一人で来たの?」

やく20数年ぶりの再会での恩師の最初の一言。小さなバッグと、白杖を持って、自宅から待ち合わせ場所のバス停まで来た私に、恩師は相当驚いたそうだ。自宅の周りは、引っ越してすぐに歩行訓練を受けているので、バス停の周辺ぐらいなら、何とか一人でも外出できるのだ。

 20数年ぶりの再会の喜びに浸りながら店に入って早速注文をしようとしたのだけれど、私も恩師もタッチパネル式のメニュー表に四苦八苦。こんなことならiPodtouchに入れているメニューアプリの「ユーメニュー」で予めメニューを調べておけばよかったなあ(アプリにそのファミレスが登録されているかは分からないが)とか、ファミレスじゃなくて、少し先にある蕎麦屋にした方がよかったかなあとか、いろいろと後悔。

 結局店員さんに手伝ってもらって、何とか注文を終えた。

 注文した品を待っている時に、私は恩師に第1詩集を渡した。

 恩師は早速詩集を開いて、序章に載せた「風穴」と言う詩の最後のフレーズが良いと褒めてくれた。他にもこの「羽田光夏」と言うペンネームや、今回詩集を出させていただいた出版社「読書日和」のキャッチコピーまで褒めてくださった(詩集の中に会社概要のチラシを入れていたため)。

 運ばれてきた料理を食べながら、私は恩師にいろいろな話をした。

幼稚部を卒園して、小学部から高等部普通科に上がるまでの間、同級生が一人も居なくて、寂しくて辛かった母校でのこと。

そんな日々を、ラジオや音楽に支えられていたこと。

高校の頃に、ロックミュージックに強く影響を受けたことで、自分もバンドを組んで、オリジナル曲を作りたいと思って、17歳の頃から詩を書くようになったこと。

音楽を勉強したくて入った京都の盲学校の選考科音楽科だったが、授業についていけず、人生で初めて精神を病んだこと。

それでも何とか卒業して、浜松に戻り、いくつかの作業所を転々としたけれど、全盲の私にやらせてもらえる仕事が無かったり、周りの環境に馴染めなかったりで長続きせず、最終的に再び精神を病んでひきこもってしまったこと。

そんな中でも詩の整理を始めて、そのうちに縁あって出版関係者の人と繋がって、今回このような詩集が出せたこと。

物書きは今でも続けていること。そしてこれから物書きとして生きていきたいと思っていることなど、話せることは全て恩師に話した。

 そんな私の話を、恩師は幼稚部の時と変わらぬ寛大さで受け止めてくれた。私はそのことが、とても嬉しかったし、ほっとした。そして改めて、恩師に詩集を渡すことができてよかったと思った。

 この詩集を出すことが決まってからのやく2年間、ここには書ききれないぐらい本当にいろいろなことがあった。まだ今はここには書けないけれど、じつは自分が今この環境、このタイミングで詩集を出すこと、出してしまったことに、正直自分の中でいろいろと思うところがあるのも事実だ。でもそれらのことは全て、幼い頃から自分の感情を表出するのが苦手だった私に、歌や詩を作ることで、自分を表現すると言う術を教えてくれた恩師に詩集を渡す、この瞬間のためにあったんだなあと思うと、とても感慨深い気持ちになった。

 帰り際、ファミレスの入り口まで手引きしてもらう時に、思っていた以上に小さくなってしまっていた恩師に触れて思った。間に合ってよかった。

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