※過去エッセイ※鈴木光司さんの後援に行ってきました

 先日(2019年6月)、浜松氏出身の小説家の鈴木光司さんの講演を聞きに行ってきた。いやあ、いろんな意味で刺激的な1日だった。

 まずこの日は梅雨入りしたばかりとあって、外はひどい大雨だった。

自宅からバス停まで移動する間のわずか10分の距離だけでもかなり濡れた。

 そこからバスに揺られることやく20分。バスを降りても、まだ雨はひどかった。

講演を聞く前に、ホールから少し離れたところにあるカフェでランチをする予定だったのだが、あまりにも雨がひどいので、ホールの中のカフェスペースで食べることにした。

 ホールに向かう途中にも、大きな水たまりがあったりしたので、やはりここでもかなり濡れてしまった。変えの靴下は持ってきていたけれど、洋服までは持ってこなかったので、ホールのある建物の中に入ると冷えて寒かった。これで風邪をひかないだろうかと不安になった。

 相方がトイレに行くついでに、カフェスペースを探しに行ってくれている間、私はロビーで持ってきていたタオルで足をふいて、靴下を履き替えて待っていた。

 ところが5分待っても、10分待っても、15分待っても、相方が帰ってこない。じつは相方も私と同じく過敏性腸症候群を持っているため、トイレに入ると、しばらく出てこないことが多いのだ。これもいつものことだろうと思っていたのだが・・・。

 しばらくして戻ってきた相方から、カフェスペースが無くなっていたことを聞かされた。前にヘルパーさんとこのホールに来た時に、「あそこにちょっとしたカフェスペースがあるよ」と教えてもらったんだけど・・・。

 仕方なく、またどしゃぶりの外に出て、飲食店を探すことになった。

 ホールを出てすぐの信号を渡ったところに、定食屋を見つけた。相変わらずひどい雨の中を歩くのもたいへんなので、そこで昼食を食べることにした。

 定食屋に入ったとたん、相方はすぐにトイレに駆け込んで行った。このひどい雨で冷えたのだろうかと、少し心配になった。

 トイレから戻ってきた相方に、メニューを読んでもらった。だが食べたいと思うような物が、これと言ってなかった。定食屋と言うところは置かずが多いし、大きなお皿に入ってやってくるので、全盲の私にはよけい食べにくいからちょっと苦手と言うのもあるのだが、ここ数日間、精神的な不調からあまり食欲が沸かなかったのが、前の日の夜から少しづつ戻ってきたところだったので、まだがっつりした物を食べる気にはなれなかったのだ。

 それでも何も食べないわけにはいかないので、とりあえずカツカレーを頼むことにした。残ったら相方に食べてもらえばいいやと、その時は思っていたのだが・・・。

「あなたは何食べるの?」

と私が尋ねると、

「俺ご飯いいわ」

と相方は言ったのだ。

「どうしたの?調子悪いの?」

私がそう聞くと、

「うん」

と答えた。

「この雨で冷えたの?」

と私がさらにたずねると、

「いや、気持ち悪い」

と答えたのだ。

「えっ・・・?!」

さすがにびっくりした。その時丁度店員さんが来たので、カツカレーを注文した。

 店員さんが立ち去ると、相方は再びトイレに向かった。

(本当に調子悪いんだなあ)

ようやくそこで自体を把握した私は、いよいよ不安になった。そして焦った。

 相方はそれからも数分おきにトイレに立っていた。店員さんからも、

「どうされました?」

と心配される始末・・・。

 カツカレーを運んできてくれた店員さんが、

「顔色悪いですけど」

と言ってくれた時は、本当に助かった。全盲の私は、相手の顔色を見られないので、相手の方から体調が悪いと申告してくれないと、気づいてあげられないからだ。

 店員さんが去った後、相方は話してくれた。どうやら前の日に、ヘルパーさんに作ってもらった豚汁の残りを、今日の朝に飲んだところ、それが痛んでいたようで、当たったらしいのだ。

 前日の夜に、豚汁が残っているか確認しなかった私も悪いけど、それにしても、痛んでいると分かっていながら食べたあなたもどうなのよ?!食べずに捨てればよかったのに・・・。

 そんなことを思いながら、私はカツカレーを食べていた。

「ねえ、食べ終わったらタクシー呼んで帰るか。そんな状態じゃ、この後1時間2時間後援聞くのたいへんだろうし、帰りもバス乗るのしんどいでしょう。私はそれほど聞きたい後援じゃないから、無理に行かなくてもいいよ」

カツカレーを食べながら、私がそう言っても相方は、

「いや、だいじょうぶ」

と言って聞かないので、定食屋を出てから、再びホールに戻ることになった。

 講演会が始まった頃には相方の体調も良くなったようなので安心した。


 で、鈴木光司さんの講演なのだが、「リング」や「らせん」などの怖い小説を書いている人とは思えないぐらい軽快な語り口で、「リング」の創作秘話や、当時はまだ珍しかった、父親が育児をすると言うことについてなど、おもしろいお話をたくさんしてくださった。

 中でも印象的だったのが、子供が生まれたら、自分は小説なんか書けないんじゃないかと思っていたけれど、逆に子供が生まれたことで小説家としての道が開けたと言う話だ。

 これは私も考えることがある。もしも私に子供が生まれたら、自分はどんな詩や小説を書くのだろうか。読んでみたいような気もするのだけれど、でも実際は子供が生まれたら、守るべき物ができるし、自分のことは二の次になるだろうから、物書きなんてしなくなるんじゃないかなあとも思うのだ。育児が忙しくて、物理的に時間も取れないだろうし、心にも余裕が無くなってくるだろうから、文章なんか書いてる暇が無いような気がするんだよね。

 だけど、ここ最近姉が3人目を妊娠したことや、32歳と言う年齢もあって、自分も誰かの親になるかもしれないと言うことが、他人事とは思えなくなってきたのだ。

 私も母親になったら、今よりももっと誰かの心に響くような、優しい詩や小説が書けるようになるのかもしれない。

だからと言うわけではないけれど、子供を産むと言う経験も、人生の中でしてみてもいいのかもしれないと、鈴木光司さんの講演を聞いて、ちょっとだけそう思えてきたのだ。

まあ今のところは、その予定も見込みもないんだけどね

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