そう言う女にはなりたくないと思っていたのに

古内東子さんの名曲「誰より好きなのに」は、女性は特に恋に打ちひしがれている状態の時には、絶対に聞いてはいけない曲だと思う。こんなにど直球で切ないラブソング、他にはあるだろうか。

 自分で言うのもあれなのだが、どちらかと言うと、私は恋愛に対して不器用な方だと思っている。と言えばかっこよく聞こえるかもしれないが、実際のところ要するに直な人間ではないと言うことだ。もっと分かりやすく言うなら「ツンデレ」と言う感じだろうか。そう言えば元彼からも「ヒカはツンデレだもんなあ」とよくからかわれたものだった。

 恋愛が無いと生きていけないほど、自分の人生においてそれほど恋愛は重要だとは思っていないが、それでも人間生きていく活力や、相手や自分にも優しくありたいと思えるきっかけを与えてくれるのは、やはり恋愛なのかもしれない。

 でも私は直な人間ではないので、恋愛恋愛している人や、そう言う自分を見ると、なんかいらっとしてしまうのだ。だけどその一方、自分が誰かに恋をしてしまうと、食欲が無くなったり、何も手につかなくなってしまうほど、相手や自分にやきもきしてしまうのも、これもまた事実だ。まあ人間そんな物なのかもしれないけど・・・。

 何を書きたいのか分からなくなってきたので、話を古内東子さんに戻そう。

 そんなわけで、直な人間ではない私は、古内東子さんをはじめ、大黒摩季さんや、西野カナさんと言った、いわゆる女が綴る、女に寄る、女のためのラブソング的な物をあまり好き好まない。ついでにそのような歌を聞いて共感すると言っている女にも、どうも引いてしまう。「何女の子女の子してんだよ」と、そのようなラブソングを聞きながら、好きな人を思い熱くなるその頬を、1発殴ってやりたくなるぐらいに嫌悪感を覚えてしまうのだ。

 そんな私がである。なぜそんなことになったのか、その詳しい経緯は読者の皆様のご想像に委ねるが(でもその創造をネットにばらまいたり、勝手な憶測にして周りに広めたりはしないでね)、古内東子さんの「誰より好きなのに」を聞いて、人知れずひっそりと一人で泣いてしまったのである。女が綴る、女に寄る、女のためのラブソングを、あんなにも気嫌いしていた私がである。

 かつてかなえたくても、なかなかかなえることのできない恋に打ちひしがれていた、地元の後輩の女の子の前で、この曲を歌うか、実際に聞かせてやるかして泣かせてやろうかと、割と本気で目論んでいたことがあった。人にしようとした悪いことは、自分にも返ってくるようだ。

 私は古内東子さんの「誰より好きなのに」を聞きながら、一人めそめそと泣くような、そう言う女には、そう言う女にだけは、絶対なりたくないと思っていたのに・・・。

 人生とは不思議な物である。

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