京アニ放火事件の容疑者に思う

 京都アニメーションの放火事件の一報を最初に知ったのは、お昼過ぎに何げなく開いたネットニュースだった。

「どうせバカなオタクのいたずらでしょう」

とその時は正直そのぐらいのことにしか思っていなかった。それが最終的には36人の死者を出すほどの痛ましい事件になるだなんて・・・!

 京都アニメーション(以下京アニと記す)と言えば、「けいおん!」や「らき☆すた」や「涼宮ハルヒの憂鬱」などのアニメ制作を手がけたところとして有名だ。中学生以来、ラジオや音楽を聞くことに熱中するあまり、アニメなんてほとんど見なかった私に、改めてアニメにはまるきっかけを与えてくれたのが京アニ作品だったと、この事件により改めて気づかされる。

 容疑者の男は取り押さえられた際「ねたを盗みやがって!」と言うようなことを供述したと言う。それが日が立つに連れて、京アニ大賞に学園物の小説を複数策応募していたことが分かった。

 そうか、容疑者の男はバカなオタクじゃなくて、作家志望だったのかー。

「作家志望」と言うところに、私は何だかなあと引っかかる物を感じる。と言うのも私も作家志望だからだ。

 たぶん41歳のこの男は相当焦っていたのだろう。これがもしも20代だったら、「自分には小説の才能なんて無いんだ」とさっさと諦めて就職とかできたかもしれない。でも40代となると、新たな仕事を始めるにもなかなか難しいだろう。作家の夢を諦めようにも今更引き返せなかったのかもしれない。でもだからと言って、36人の人間を殺してもいい理由にはならないのだけれど・・・。

 それにしても、この男はある意味もったいないなあとも思う。せっかく小説を書いていたのだから、自分を認めてもらえないそのうっ憤を、自分の小説に落とし込めなかったのだろうか。

たとえば自分がイケメン売れっ子作家になって、いろいろな女の子とあんなこととか、こんなこととかをしまくる願望を書いた話とか、構想ビルに火を放った犯人を追い詰める警察官の物語を書いて、京アニではない別のところに応募してみたら、もしかしたら認められたかもしれなかったのに・・・。

 なぜそこまで京アニにこだわるのだろうか?

この男には、自分の感情を表出できる手段を持っていたはずなのに。

本当にもったいないし、残念だと思う。でもだからと言って無差別に人を殺すことは、けっして許されることではないのだが・・・。

 この事件に限らず、最近の世の中は特にそうなんだけど、私たちはいろいろな物事に対してもっと寛容になるべきだと思う。そりゃあ起こってしまったことは最悪なことだけど、容疑者だって私たちと同じ一人の人間なのだ。辛いことも、悲しいことも、理不尽なことも、たくさん経験してきたせいで、心が疲弊しきっているのだろう。

私たちだって毎日いろいろしんどいけど、罪を犯してしまう人たちだって、きっとものすごくしんどかったんだと思う。

重要なのは結果じゃない。なぜそんなことをするまでに至ってしまったのか、その過程だと思う。

そこのところを、今のこの社会に生きている私たちが、ほんの少しでも受け止めてあげることができたなら・・・こんな。痛ましい事件は起こらない、いや起こさなくてすむんじゃないかなあ。

 私は世の中がもっと寛容になってくれることを切に願っている。

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