エピローグ ~1年後~

 国広豊は、自宅マンションのリビングで新聞を読みながら、妻のみどりがいれてくれた紅茶を飲んでいた。今年小学校に入学した沙也香がそろそろ帰ってくる頃だ。


 今日は、あの天童の森での悪夢の一夜からちょうど一年が経った日だった。


 都内のマンションにあの事件以後引っ越して来た。高額ではあったが購入した。なぜか、政府が運営する助成金を受けられることになった。都心の一等地と言える場所だ。世間の多くの人は羨むのかも知れないが、監視する者がいた場合、その者達にとってこれ以上楽な場所はない。


 政府直轄の病院で家族揃ってPTSD(外傷後ストレス障害)の治療を受けていたが、それも大分良くなっていた。沙也香の回復が意外にも一番早かった。


 あの後、生存者は全員保護され、一時隔離とも思われる状況に置かれた。警察の、それもかなり特殊な部門の捜査官と思われる相手に事情を聞かれた。そして、世間を混乱させないためにも、その出来事は絶対にマスコミや他者に口外してはいけない、と半ば脅しのようなことを言われた。国広は自分と家族の安全を思い、従うことにした。


 それ以後、生活全般で何者かに見張られているような雰囲気があった。しかし、家族が安全であれば国広にとってはひとまずそれで良い。


 天童地区で多くの人が亡くなったあの出来事について、当局の発表は、野犬の大量発生とそれに伴う護送中の事故により、凶悪な犯罪者達が逃げ出し、争いが起こったための出来事――という強引なものだった。


 信じる者は少なく、多くの憶測がネットやアングラ系の雑誌を始めあらゆる場面で飛び交ったが、マスコミも短期間で報道を中止し、メディアに載らなくなったため収束もそう遅くはなく、一年経った今では殆ど話題に上らない。


 この一年の間、何度か東谷が訪ねて来ることがあった。我々の無事を確認しに来てくれているらしい。


 彼はまだ警察に属しているようだが、近いうちに退職するつもりだという。その後何をするのか訊いたが、どこかの田舎で静かにすごすと言った彼の表情からは、それが嘘であることは容易にわかった。


 彼も我々も、何者かに監視されているのだ。その会話まで聞かれている可能性が高かった。おそらく東谷は、その何者かに戦いを挑むのではないかと感じた。強い男だと思った。






 国広にはそんなことはできない。監視されているとしても、おとなしくすごしていれば時とともに緩んでくる。少なくとも沙也香が大人になる頃までは、国広はあの事件について何もするつもりはなかったし、みどりもそれを望んではいないだろう。


 強い男と言えば、沢崎は相変わらず行方が知れない。当然彼に監視などつけるのは不可能だろう。


 あの事件から3ヶ月後、警視庁の警備部長が何者かに殺害されるという事件があった。また、それ程時を隔てず、与野党問わず有名な議員が4人、不審な死を遂げている。更に、財界の大物と言われた男も2名急死した。そして、関東一円を取り仕切っている有名な広域暴力団の組長と幹部5人も何者かの襲撃を受けて死んだ。


 それらの事件に関連性を示す報道はなかったが、東谷の言うことには、それぞれの死体の横に、黒地に赤くMとKの文字が書かれたカードが置かれていたという。


 沢崎の顔が思い浮かび、痛快な気分になった。


 あの時の生存者達と連絡を取り合うことはなかったが、東谷を通じて近況を聞くことはあった。


 長尾美由紀はどこにも行かず、事件前の生活に戻ったらしい。どのように暮らしているかはわからないが、沙也香と近い歳の娘を育てているはずだ。そしておそらく、監視されているのだろう。


 沢崎以外にも行方の知れない者がいた。国府田だ。彼は事件後、大学を辞め、マスコミにも全く出なくなった。そして、東谷にも行方がわからないという。監視している者達の意向にそぐわない行動をとってしまい何らかの処分をされたのか、あるいはそのために自ら身を隠したのか。もしかしたら、我々を監視している側につき、何らかの研究を始めているのかも知れない、と東谷は言っていた。


 北沢絵里香は勉学に励んでいるという。しばらくしたら、何をしに行くかは知らないが、アメリカもしくはヨーロッパのどこかに留学するそうだ。日本ではできない事をするためだと言っているらしい。それに、あの事件後、実戦的な古武道や射撃を習い始めたともいう。


 彼女がこれからどんな人生を送るのか、興味を惹かれるところではある。だが、おそらく国広の家族や長尾美由紀とは全く違う道を歩むのだろう。多分、会うことはない。






 流し見ていた新聞記事の中のとある見出しが目につき、国広は驚愕した。息を呑む気配を感じとり、みどりも「どうしたの?」と傍らに立つ。


 観光会社大手の東西観光と開発業者のナンブリゾートが、共同で天童地区の開発を行う計画を発表した、という記事だった。


 『昨年悲劇の起きた神奈川県と静岡県の境にある天童地区の森で、そこを一大リゾート地として開発する計画が進んでいる』という。いよいよ実施に移ることになり、記者会見があった。


 3年の歳月をかけ、ホテル3棟とゴルフ場、プールやアーチェリーなどのスポーツ施設、そしてハイキングコースの建設・開発を行うという。森は極力残すが、人が足を踏み入れても安全なように整備をすると書かれてもあった。


 東谷の話では、森の大々的な調査により、黒崎をはじめほとんどの遺体は確認されたようだ。だが、あの怪物、Mが見つかったという情報はどこからも得られなかったらしい。当局がその死体を厳密に隠しているのか。


 それとも、Mはまだ……。


 みどりの震えが伝わってきた。国広も表情が青ざめる。


 「ただいま」と沙也香が帰ってきた。両親を見て「どうしたの?」と首を傾げる。


 「ううん、何でもないよ」ぎこちない笑顔を見せ、みどりはおやつの準備にかかる。


 国広も立ち上がり、沙也香の頭を撫で「早く手を洗っておいで」と言う。


 バルコニーに出て空を見上げた。


 赤く大きな目が、曇り空を背にしながら輝いている……そんな場面が目に浮かび、国広は大きく首を振った。


                                                                    Fin

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Ranaway~激突の森~ @hideT

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