元博物館 逃げる人々 襲撃②

 轟音が響き、建物の一角が破壊された。壁に大きな穴が空き、向こう側の部屋が見える。Mがいた辺りにモウモウとした煙と埃が舞い立つ。それが晴れたとき、その場にMが倒れているのが見えた。


 「やったか?」


 銃を構えたまま、沢崎、東谷、木戸、板谷、遠藤が大きくMを取り囲んだ。そして、ゆっくりその輪を狭めていく。


 絵里香達が固唾を呑んで見守った。


 人々の願いはあっさりとはねのけられた。Mがゆっくりと立ち上がる。赤い目の輝きが、徐々に元の強さを取り戻す。そして再び、大きく羽を広げた。


 「そんな……」


 「こいつはいったい……」


 さすがの沢崎も唖然としていた。


 「撃てっ」


 東谷の叫びとともに、Mを取り囲んだ男達が一斉に銃撃を始めた。Mの身体が揺れる。僅かに後退ったが、それだけだった。倒れない。


 Mが羽を大きく動かす。鷲が羽ばたくようだった。


 すると、強風に混じって小石のような何かが男達の体に次々ぶつかる。東谷はたまらず顔を守り、身を低くした。


 その場にいくつも落ちているのは、銃弾だった。東谷達が撃った弾は、Mの身体に受け止められ、そして跳ね返されている。


 男達は慌ててMから離れていく。


 「うわっ、よせ、放せ」


 逃げ遅れた板谷が、Mの羽に抱きかかえられた。


 「板谷っ!」


 木戸が駆け寄るが、Mはそのまま飛び上がった。3階にあたる高さまで一気に行く。


 「助けてくれ」という板谷の叫びが響き渡る。






 沢崎がサーチライトの光を向けたが、Mは目を閉じたかのように赤い光を消すと、その下にあった口を大きく開けた。ライトに照らされて、鮫のような歯が輝く。それが、板谷の首筋に突き立てられた。


 「ぎゃあぁぁぁぁっ」


 叫ぶ板谷。その声とともに、床にボタボタと血が落ちてきた。


板谷の声が止むと、Mはその身体を離した。グシャリと床に叩きつけられた板谷は、すでに事切れていた。木戸が近づこうとするのを東谷がとめる。Mが舞い降りたのだ。


 板谷の死体を挟んで、向こう側に仁王立ちのようにするM。赤い目の輝きが、増しては消え、増しては消えている。


 そして、一際強く輝いたかと思うと、Mは大きく口を開け、その鋭い歯を板谷の腹の辺りに突き立てた。グチャグチャとおぞましい音が聞こえ、誰もが後退る。


 次にMが上体を起こすと、その口元から、板谷の腸と思われる物が垂れていた。シュルシュルと、うどんでも吸い上げるようにそれを口に含んでいくM。


 恐怖で動きを忘れていた人々が、Mの目の輝きに晒されて我を取り戻す。


 「ヒイィィィッ」叫び声をあげながら、人々は外へと逃げ出した。


 中に残った東谷、沢崎、木戸、遠藤は、銃を構えながらも撃てずにいた。撃っても弾の無駄であることを思い知っていたからだ。東谷が手榴弾を取り出す。もうこれが最後だった。さっきは手榴弾でも倒せなかった。だが、一瞬でもダメージを与え、動きを止めることはできる。


 「こいつでMが倒れたら、すぐに全員で駆け寄り、奴の目を弾が続くかぎり撃つ」


 東谷が言うと、他の三人は無言で頷いた。もうそのくらいしか、思いつく攻撃方法がなかった。だが、それでもダメだったら――? 


 躊躇いながらも、東谷は手榴弾のピンに指をかける。その時、こちらの意図を察したのか、Mはまた凄いスピードで飛び上がった。一気に明かり取りを突き抜けてしまう。唖然として見上げる男達が、息を大きく吐いた時、外からいくつもの叫び声が聞こえてきた。


 「まずい」


 東谷は走った。他の3人も続く。


 外では、逃げ出していた人々の前に、羽を大きく広げたMが立っていた。一番近くにいる国広の家族が硬直している。沙也香が泣き叫んだ。






 沢崎が飛び出す。サーチライトをMの目に向けた。


 一瞬だが、Mが後退る。目の輝きが消えた。


 それに合わせて、国広達の後ろにいた絵里香が銃を撃った。Mの目の近くに命中する。Mは更に後ろへ下がった。広げていた羽が心なしか縮まる。


 「逃げろ、早く」


 沢崎が叫ぶように言うと、国広がみどりと沙也香を引っ張って逃げていく。その後ろにいた阿田川と梨沙、大久保、國府田達も慌てて散った。


 Mはまた飛び上がった。そして、さっきのように、凄いスピードで人々の間を飛びまわる。必死に逃げる人々だが、その羽に掠められて、遠藤が、木戸が、佐久間が、次々に吹っ飛ばされた。


 銃を構えて狙う沢崎と東谷も、ツバメ以上のMのスピードに追いつけず、気がつくと体当たりされて地べたを転がる。


 東谷が痛みを堪えて立ち上がると、すぐ側に沢崎がいた。彼も同様にようやく立ち上がる。そしてその目の前に、Mが舞い降りた。


 「逃げてっ!」絵里香が叫んだ。


 だが、もう遅い。Mは沢崎と東谷、どちらを餌食にしようかと迷ったらしく、二人を交互に見るように体を動かした。


 ヒュー、という音が聞こえてきた。それとともに、Mの動きが止まった。絵里香が口笛を吹いている。


 東谷も思い出した。藤間が西田に会った時に聞かされていたことだった。


 出会ってしまったら、とりあえず口笛を吹いてみろ――。


 大久保が絵里香を真似て口笛を吹いた。続いて國府田、阿田川、遠藤。


 東谷と沢崎もそうした。そして、ゆっくり様子を見ながらMから離れていく。


 Mは止まったままだった。いくつもの口笛の音に戸惑っているかのように、赤い目が弱い光になっていく。


 Mから2メートルほど離れると、東谷は取り落としていた自動小銃を手にした。沢崎も同様に、Mに銃口を向ける。2人、顔を見合わせ、撃つべきかどうか思案した。






 Mは、しばらく止まっていたが、何かを振り払うかのように勢いよく羽を広げると、目の光をパアっと明るくした。その赤さは、東谷や沢崎の顔を照らし、そして、口笛を吹いている人々すべてにも向けられた。


 ダメだ。ほんの少し怯ませただけだ――。


 悟った東谷は振り返り、みんなに「森へ逃げろ」と叫ぶ。


 言われて皆は走り出した。だが、Mは素早い動きで飛び上がると、一番前の佐久間と飛田の前に降り立つ。


 「うわぁ」


 慌てて立ち止まった佐久間達だが、足がもつれてその場に倒れる。絵里香達が口笛を吹くが、もう通じないようだった。Mはのっしのっしと近づいてくる。誰を獲物にしようか、と睨めまわしながら――。


 飛田がようやく銃を撃つが、通じない。離れた場所から木戸も自動小銃を撃った。だが、やはりMは微動だにしない。


 Mの視線が、佐久間達を通り越し、一番小さな沙也香に向けられた。


 その隙に、佐久間と飛田は這うようにして逃げた。


 「や、やめろ……」国広が沙也香の前に立ちふさがる。


 Mがゆっくり近づいていく。


 「待ちやがれ」


 遠藤が駆けつけて国広と並んだ。


 沢崎がサーチライトをつけてMの目に向けた。


 「おまえの相手は俺がしてやる。さあ、来い」


 沢崎が叫んだ。


 Mは沢崎の方を見る。


 絵里香が必死にMを撃つが、弾切れとなってしまう。


 木戸もやけくそのように撃ち続けた。


 東谷は国広達のもとに駆けつけ、引きずるように沙也香とみどりを引っ張った。少しでもMから遠ざけたかった。 


 Mはそんな人間達をあざ笑うかのように飛び上がると、あっという間に東谷の目の前に舞い降りる。国広達を守るように、東谷は両手を大きく広げた。






 Mが迫ってくる。


 これまでか――。


 そう観念しかけたとき、不意にMの動きが止まった。目の光が弱まっている。後退り、キョロキョロとし始めた。


 東谷も、国広を促してMから離れ始める。


 Mはそれまでとは明らかに違っていた。人間達への攻撃、あるいは弄ぶような行動を忘れたかのようだ。何か不快なものを感じ、元凶を捜しているのか……。


 Mの視線が一点で止まった。その先を見て、東谷は「あっ」と声をあげる。


 「小川さん!」と藤間が叫んだ。


 そこには、Mに殺されたと思っていた小川が立っていた。口に笛をくわえている。音は出ていないが、吹いている。あれが、藤間が見た西田の笛なのだろう。


 Mは小川がゆっくりと近づいて来るに従い、逆に後退っていく。


 小川が腰の辺りから何かを取り出した。もう片方の手でライターを取りだし、火をつける。ダイナマイトだった。


 いつの間にあんな物を――? 


 東谷は息を呑みながら見守っていた。沢崎や遠藤、木戸達も、Mに銃を向けながらも様子を見る。


 ギギギギギ……。


 不気味な音が響いた。何か金属でできた歯車が軋みながら回るような音。


 Mだった。あれがMの鳴き声か?


 小川がライターの火をダイナマイトの導火線に近づける。


 キーッ!


 大きなコウモリの鳴き声か、あるいは列車の急ブレーキのようなMの声が響き渡った。絵里香や梨沙、長尾達は思わず耳を塞ぐ。


 Mは一声高らかに鳴いたかと思うと、スーと飛び上がり、あっと言う間に森の奥へと飛び去った。


 静寂が急に訪れた。東谷も、沢崎も、遠藤も、木戸も、ガックリと肩を落とした。


 藤間が腑抜けになってしまったのも理解できた。あれは、紛れもなく、人間では太刀打ちできない魔物だ――。

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