元博物館 逃げる人々 襲撃
最初にその気配に気づいたのは沢崎だった。
天井を通り越して空を飛ぶ何かを見るように、視線をゆっくり巡らせる。
藤間が同様に天を見上げ、そして息を呑んだかと思うと、震えて蹲ってしまった。
何かがこの建物の上空を飛び回っている――東谷も感じた。そして後悔した。実際に遭遇していたのが藤間だけだったということもあり、黒崎達への対応を優先していた。怪物の存在を、意識したわけではないのだが軽んじていた。
「どうした?」木戸が沢崎に訊く。
「怪物……いや、黒崎達が言うところの、Mがついに現れたようだ」
言いながら、沢崎は窓に寄った。そこから空を見上げる。すぐにその横に駆けつけたのは國府田だった。
藤間は蹲ったまま「ダメだ。もうダメだ」と呟き始める。
「しっかりしろ」
木戸と板谷が両脇から支えるようにしたが、藤間は首を振って彼らの腕をふりほどいた。
国広家族が、小さな沙也香が隠れてしまうほどに身を寄せ合う。長尾もその側で震え始めた。
梨沙が阿田川にしがみつくようにする。その横で、絵里香は銃を手にしながら顔を強張らせていた。
「見えるか?」東谷が沢崎に訊く。
「いや、わからん」
応える沢崎の横で、国府田が「本当に飛んでいるんですか?」と怪訝な顔になる。
「気のせいじゃないのか?」佐久間がそれを望むかのように、震えながら言う。
沢崎は応えなかった。ひたすら五感を働かせている。
重苦しく、しかも痛いくらいの沈黙があった。実際は数秒だが、密度は数時間以上だ。
ガシャーン――!
沢崎達がいる窓際とは逆側の窓が激しい音を立てて割れた。何か大きなものが投げ込まれた。
東谷と木戸が素早く駆け寄る。それは、道の駅に投げ込まれたのと同じ状態の死体だった。当たり所が悪かったのか、首がもげて頭が転がっていく。
「きゃあぁぁっ!」
長尾が、そして梨沙が叫んだ。
国広がみどりと沙也香の顔を胸に押しつけ、きついくらいに抱きしめた。
割れた窓に駆けつける東谷。外を見るが、既に何の気配もない。
ガシャーンッ――!
沢崎達がいた窓も割られる。放り込まれたのはやはり死体だった。どちらも黒崎の部下らしい。同じ様な服装をしていた。そして同じように内蔵が抉り取られ、なくなっている。
もはや誰も、叫ぶことさえできなかった。
沢崎が自動小銃を構えながら外を見る。やはり何も見つからない。
「ダメだ。もうダメだ。殺される、みんな……」
藤間の呪詛のような呟きが耳障りだった。
どこから来る? それともまた脅しだけか?
東谷も、沢崎も、木戸も、銃を構えながら、感覚をとぎすませてMの出現を待つ。遠藤と絵里香も身構える。板谷は国広家族や長尾を庇うような体制になっていた。
また、時が止まった。その状況だけで、人の感情をジリジリと締め上げ、判断力を霧散させるに充分な武器となる。
来ないのか?
東谷は沢崎と素早く目配せし合った。どちらともなく首を傾げる。
「脅しているだけじゃないか?」佐久間が常より上擦った声で言った。
「そうかも知れない。もしかしたら、建物の中には入ってこられないのかも。怪物とは言っても、所詮は動物だ。理解不能な場所には入ってこられないんじゃないかな」
どこまでも希望的な意見を口にする飛田。誰も賛同しなかった。
ガシャーンッ――!
3度目の激しい破壊音は、2階から聞こえてきた。今回はそれに続いて、ガラスの破片を踏みしめるような音もする。
「2階だ。怪物は上にいる。逃げよう」
岡谷が言って、真っ先に玄関に向かう。慌てて殺到する佐久間、飛田。
「待て、安易に外に出たら危険だ」
東谷が怒鳴るが、一旦恐怖の炎がついた感情は止まるものではなかった。ドアも施したバリケードもかき分け、乗り越え、3人の男はついに外へ跳びだした。
長尾や阿田川、梨沙、国府田達が、続くかどうか逡巡している。
「まだ動くな」沢崎が鋭く言った。そして2階へ続く階段の下に立った。
「行っちゃ駄目」絵里香が叫ぶように言う。
沢崎は首を振る。「違う。上には何もいない」
ハッとなり、東谷は玄関に走った。外に出て、ようやくMと名付けられた怪物を見た。
それは、走っていく岡谷の目の前に降り立った。
あれがMか――。
東谷も、沢崎も、絵里香も、遠藤も、木戸も見た。玄関口に立ち止まり、それが大きく羽を広げる様を。
「モスマン――」
後ろについていた国府田が呻くように言う。そう、道の駅で国府田が説明していた形態そのものだった。
「ヒィィィッ!」血相を変えて、佐久間と飛田が戻ってくる。
「戻れっ!」
東谷が自動小銃を構えながら岡谷に怒鳴った。
恐怖で硬直していた岡谷は、ようやく逃げようとした。だが、遅かった。Mは大きく広げた羽で岡谷をガッチリと押さえ込んでしまう。
「クソッ」
岡谷がいるので銃を撃てず、東谷は舌打ちした。
Mは岡谷を抱え込んだまま、スーと飛び上がった。
羽ばたきもせずに、何故飛べる?
Mの動きをただ目で追うことしかできない東谷。
「た、たすけてくれぇ」
岡谷の叫び声が響いた。だんだん小さくなっていく。月明かりを背に受け、シルエットになったMと岡谷。その固まりから、ボトボトと何かか流れ落ちてきた。岡谷の血であるのは明らかだった。
ウッと口元を押さえる絵里香。さすがに木戸や遠藤も目を背けた。小さく、ボキボキボキボキ、と岡谷の全身の骨が壊されていく音も聞こえてきた。
沢崎が飛び出してきて自動小銃を構える。
「待て、まだ岡谷が」
「もう手遅れだ」
東谷の制止の声を遮り、沢崎は弾き金を引いた。リズミカルな銃撃音が響き渡り、合わせるかのようにMの身体が揺らめいた。明らかに弾は当たっている。だが、Mは岡谷を放しもしない。
Mが空を移動した。巨体にもかかわらず、軽い動きで、しかも恐るべきスピードだった。沢崎でさえ追い切れない。建物の裏側へと消えていく。
東谷達はすぐに中へ入る。その直後、吹き抜けの明かり取りのてっぺんが激しく割れた。蹲っていた藤間の目の前に、岡谷の死体が叩きつけられる。
「うわあぁっ」這いずるように逃げる藤間。
東谷と沢崎が上に銃口を向けるが、何も入ってこなかった。割れた窓から虚しく星空が見えるだけだ。
「外だっ!」木戸が叫んだ。
見ると、窓の外、一階の窓にそって、Mは低空飛行をしていた。さっきのスピードからするとかなり遅い。時折こちらを向く目が、赤く輝いている。
「この野郎っ」
遠藤と板谷が銃を放つが、Mは意に介さない。
怯えきった藤間、オロオロとする佐久間、飛田。震えながら抱き合う阿田川と梨沙。一塊となって震える国広家族。長尾はテーブルの脚にしがみついて泣いていた。
この建物の中は、今、恐怖でいっぱいだ。Mはそれがわかっているかのように、ゆっくりと、窓に近づいては離れていく。
國府田が、どこに隠し持っていたのかデジタルカメラを取り出した。それをMに向ける。
ここに来てまで自らの興味や研究を忘れないとは――呆れとも感心ともとれる思いを持つ東谷。
國府田がシャッターを切ると、ストロボがたかれた。その光がMの目を直撃する。これは思いのほか効果があった。Mは羽を大きく動かすと、上空へ飛び去った。
「夜行性で光が苦手なのかもしれない」興奮した口調で言う國府田。
「照れ屋で写真が嫌いなだけかもしれないぞ」
こんな状態でも軽口を忘れない沢崎。しかしやることはやる。落ちていたサーチライトを拾い上げ、次のMの接近に備える。
だが、Mの今度の動きは早急だった。ガシャーンッと激しい音を響かせ、別の窓を突き破って、Mが中へ入り込んだ。一階を飛び回る。
「きゃああぁっ」
「うわぁ」
男も女も、様々な叫び声を上げた。上から何か落とされた蟻の行列のように、バラバラと無秩序に逃げ回る。
銃で攻撃しようとした遠藤や板谷が、Mに衝突されて吹っ飛ぶ。大柄な二人がまるで人形のように軽々と飛んだ。壁や床にたたきつけられ、呻き声をあげる。
沢崎がサーチライトをMの目に向けた。それを嫌い、上昇するM。明かりとりから外へと飛び出していく。
だが、一息つく間など与えてくれなかった。今度は玄関を、バリバリバリっという音を立てながら破壊する。再び一階を飛び回るM。
東谷が銃を撃った。Mの頭部と思われる場所を集中攻撃する。怯んだのか、Mのスピードが落ちた。
沢崎が東谷に合図した。手には手榴弾を持っている。東谷は頷くと、Mの頭部をひたすら狙い撃ちし続けた。
Mが怯んだ。そして、ドッと言う音を響かせ、落下する。だが、すぐに立ち上がると、威嚇するように大きく羽を広げ、目の光をいっそう輝かせた。
「みんな離れて伏せろ」
沢崎が叫びながら手榴弾を投げつけた。
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