元博物館 逃げる人々
博物館だった建物は、月明かりに照らされ不気味な雰囲気を醸し出していた。
壁には名も知らぬ植物の蔦が絡みつき、窓は所々割れている。
「天童地区歴史・民芸博物館」という看板が時折吹きつける風に揺れ、森の中にはそぐわない人工的な音をたてていた。
ようやく辿り着いたものの、入るのを躊躇したくなる。
木戸がまず中へ入る。元は自動ドアだった玄関口をこじ開けると、一応銃を構えながら足を踏み入れた。蜘蛛の巣が顔にまとわりついてくるのが鬱陶しい。
中は思いのほか広く、そして明るく感じられた。中央部分が三階までの吹き抜けとなっているのが大きいのだろう。
上方が明かりとりのガラス窓になっている。そこから月の光が充分入ってきていた。
木戸に続いて、人々がゆっくりと入っていく。
恐る恐る展示物を見る国広家族。相変わらず沙也香はみどりにしがみついている。
國府田は研究者らしく、展示物の名残を一つ一つ眺めていた。そうやって焦りや恐怖を紛らわしているようにも見える。
長尾や岡谷はとにかく疲れを癒そうというのか、椅子を引き寄せて座り込んだ。
梨沙も阿田川に促されて座った。絵里香は国広家族を労るように招くと、椅子を勧めた。そんな彼女を、大久保が見つめている。
藤間は疲れ切った顔で、何もできずに佇んでいる。
遠藤は吹き抜けを仰ぎ見るようにして、しばらく仁王立ちしていた。
佐久間と飛田が二人でヒソヒソと話しながら、様子を見ている。
沢崎は、一人素早く動きまわり、館内の状況を点検していた。そのあたりはさすがだ。動きにも無駄がない。悔しいが、一番頼りになるのは確かだった。
木戸や板谷が沢崎に倣って確認を始めた。
東谷も、全員の様子を見た後、彼らに続いた。
一段落つくと、東谷は全員を集めた。外の様子が探りやすいように大きな窓に寄っている。板谷と藤間が窓の外を監視する役になった。
「さて、これからどうするかだな」
木戸が東谷を見て、そして全員を見まわした。
「敵がこの建物を知らないという期待は持たない方がいい」沢崎が言う。
「つまり、長居はできないということだな?」木戸が沢崎に訊く。
「そういうことだ。あるいは、ここで全員一丸となって敵を迎え撃つと決めるか、どちらかだ」
沢崎がそう言うと、誰もが息を吐く。東谷に視線が集まってくるのがわかった。
「確かに、この建物であれば外からの攻撃に対応できるかもしれない。二階や三階から攻撃をすることもできるし、戦えない者が身を隠すスペースもある」
東谷は考えながら話した。
「さっき確かめたが、地下に資材収納庫もある。結構頑丈な造りだった。あんた達はそこに隠れていればいい」
沢崎が国広家族と長尾を見ながら言った。
木戸が不意に思いついたように、東谷に目配せした。
「どうしました?」
「これがあった」トランシーバーを取り出す。「Kの様子を探る。出れば、の話だが」
全員が固唾を呑んで見守る中、木戸はトランシーバーのスイッチを押した。
意外なことに、すぐにつながった。
「おい、K、もういい加減にしたらどうだ? 大勢の罪のない人が死んだ。そっちだって犠牲者は出ているだろう。これ以上争って、何の意味がある?」
「君が気にすることではない」
素っ気ない言い方だった。だが、東谷は、短い言葉の中に、Kの変化を感じた。自覚しているのかどうか知らないが、焦りを感じ、苛ついているらしい。微妙な口調の変化がそう思わせた。
「信じるかどうか知らんが、得体の知れない、とてつもない怪物も現れた。さっき話した死体は、その怪物がやったらしい。そいつもこの森にいるんだ。我々だけじゃない、あんた達も狙われているぞ」
「知っている」
意外な答えが返ってきて、木戸は目を見開いた。東谷も息を呑む。
「我々はその怪物を『M』と名付けた。そのMも捕獲するつもりだ。貴重な生物らしいからな」
Kは力強く言った。それがまた、虚勢を張っているように感じられる。間違いない。敵も今、浮き足立っている。
「ずいぶん強気じゃないか。喰われるのが怖くないのか?」
木戸も東谷同様Kの変化に気づいたようだ。揶揄するように言う。
「強気でなければやっていられない」
不意に、沢崎が木戸に手を差し出した。トランシーバーを貸してくれ、という仕草だ。
「何をするつもりだ?」
木戸が怪訝な顔で訊く。いいから、という笑みを浮かべる沢崎。
トランシーバーを受け取った沢崎は、木戸と東谷を交互に見て、一旦息を吐いた。そして話し出す。
「あんたはKというのか。確か、警察庁警備局警備企画課の特別調整係に黒崎という男がいたはずだ。こういう荒っぽい仕事を行う部署の責任者らしいな。もしかしてあんた黒崎か? だとしたら、Kだなどと、漫画の探偵ものにも劣る呼び名だぜ。怪物をMっていうのもな。子供じみた感覚だな」
あからさまに馬鹿にするような口調で、沢崎が言う。
「貴様は誰だ?」Kの声。
「沢崎だ」
「沢崎隆一か? 薄汚い暗殺者め」
「おまえも人殺しだろう。どっちが薄汚いか比べてみようか? それに関してだけは、俺は勝てる気がしない」
「貴様と話をするつもりはない。それに、私は黒崎などという男は知らない。木戸と代わらないのなら、もう話はない」
「だったら最後にいいことを教えてやる。俺はこれから、この連中から離れて一人で逃げさせてもらう。どうする? おまえ達の狙いは俺だろう。自由になった俺を捕まえるのは、おまえらじゃ無理だぜ。俺は、堂々と自首してやる。そして、おまえ達を動かした連中が隠したがっていることを、洗いざらいぶちまけてやる。さらに、今回おまえ達がやったことも話す。マスコミにも流す。世間は大騒ぎになるだろうな」
「おまえが自首などするわけないだろう」
「するさ。そして、落ち着いた頃脱獄する。俺にはそんなこと、造作もない」
自信たっぷりに言う沢崎。
「世迷い事を言うな。我々を混乱させようとしているだけだろう。切るぞ」
「黒崎よ」
「何だ?」
「フッ」沢崎が笑った。「応えたな。やっぱりおまえは黒崎か」
「――!」
相手の黒崎もそうだろうが、こちらも皆、息を呑んだ。
「それがわかれば充分だ。じゃあな」
言い終わると、沢崎はスイッチを切り、トランシーバーを投げ捨てた。
「おい、沢崎」沈黙を破ったのは遠藤だ。「敵が警察の警備局何たらかんたら――要するに公安だってのは本当か?」
「間違いないな。馬脚を現していただろう。奴は黒崎だ。公安の特別調整係という、一般には知られてはならない汚い仕事、荒っぽい仕事を担当する連中だ。いくつかの班があるらしいが、その一つの長が黒崎だ」
「お笑い種だな」ケッというように、遠藤は吐き捨てた。「警察だってよ。おい、どうするよ、木戸のダンナ。SAT野郎。あいつらは、おまえらのお仲間だってよ」
睨みつけてくる遠藤の目を、東谷は黙って受け止めた。逃げる途中で沢崎が言った言葉を思い出し、歯を食いしばる。本当に、連中も警察組織の一部だったのだ。
「奴らの狙いは、あんただったのか」
佐久間が沢崎に言った。怖々とその横顔を見つめている。
「そういうことだ」事も無げに応える沢崎。
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