元博物館 逃げる人々②

 「どうしてそうなった?」木戸が訊いた。


 「俺がこれまで何をしてきたか、それを知ればわかるだろう」一旦息をつく沢崎。絵里香を見て、そして沙也香のことも僅かに見てから続ける。「俺は暗殺者だ。だが、誰でも彼でもターゲットにした訳じゃない。政財界の大物や裏社会の奴らが主だ。俺に依頼をしてくるのもそういう奴らさ。政治家が政敵を邪魔だと思い依頼してくることもあった。あるいは、財界人で明らかに敵対する政党を援助する者をターゲットに指定してくることもある。ヤクザ世界の大物が、やはり邪魔な別組織の組長を狙う場合もある。政治家や財界人が、それまで利用してきたヤクザが力をつけすぎて困ったからといって、俺に始末を頼んでくることもあった。この国の裏にある醜い争いが、俺の餌だった。俺はこの国を一度メチャクチャにしたくて、そういう仕事をするようになった」


 一旦沢崎が遠藤に視線を移すと、彼は憎々しげな目で睨み返した。それを受けて、沢崎は苦笑した。絵里香はじっと沢崎の横顔に見入っている。


 「要するに、俺の所には、この国の裏の汚い物が集まってきていたんだよ。誰が誰を殺すように依頼してきたか、俺がすべてばらしたら大混乱になる。今の大臣の中にも、俺のお客さんは複数いる。財界で中枢にいる連中なんかには、片手じゃ足りないくらいだ。もちろん本人が直々にやってくるなんてことはなかったが、依頼者のことは充分に調べ、大本が誰なのか把握してから仕事をした。その仕事で得た情報を俺が取り調べで喋ったら、政治も経済も大混乱になる。マスコミに流れたら大騒ぎじゃあ済まないだろう」


 「おまえが捕まって、日本の中枢に位置する悪党の大物達が慌てたという訳か」


 木戸が溜息混じりに言った。


 「その通りだ。そこで、公安警察の出番だ。政治、経済、裏社会の大物達が、この時ばかりは協力し、警察を動かすことにした。依頼を受けた公安は、秘密組織を出動させたってわけさ。俺を含めた凶悪犯達を護送中に皆殺しにして、おそらく謎の思想集団か何かの仕業にしようと思ったんだろう」


 戯けたように言う沢崎だが、誰も笑えなかった。


 「あんなおかしな護送手段がとられたのも、わざとそういうふうにし向けたわけだ。おまえを狙いやすくするために」


 板谷が言う。沢崎が頷く。






 「俺や大熊達は、一緒に殺すことで世間の目を誤魔化すための道具だったってことか。くそったれ。馬鹿にしやがって」


 遠藤が憤慨し、近くの椅子を蹴ろうとした。だが、沙也香の目を気にして思いとどまる。


 「あんた、さっき黒崎という奴に言ったように、今後一人で行動するつもりなのか?」


 佐久間が訊くと、他の者達の視線も沢崎に集まった。


 「そうして欲しいならそうする」沢崎は、相変わらずさらりとした口調で言った。


 佐久間や飛田は、みんなの顔色を伺うかのようにキョロキョロし始めた。


 「おまえを逃がすわけにはいかない」


 東谷が言う。木戸も頷いた。飛田が何か言いたそうだったが、口に出すことはできないでいた。


 「あんたなら、一人で逃げ切ることもできるだろう?」


 佐久間だけは、まだ何かを模索している様子だ。


 「むしろ一人だけの方が逃げやすいね」沢崎が笑って言う。


 「なら、連中を引きつけながら逃げてくれれば、俺達は……」


 「ダメだ」佐久間を遮ったのは遠藤だった。「沢崎は逃がさねえ。俺とのケリがまだついてねえ」


 睨んでくる遠藤の視線を、沢崎はしっかりと受けた。


 「ケリって、何なんですか?」佐久間が必死な形相になった。「遠藤さんの昵懇だった人が沢崎さんに殺されたからっていうんでしょ? そんなことにこだわっている場合じゃあないでしょう。このままじゃあ、全滅ですよ。今はこの急場を凌いで、逃げ延びることができてからまた考えればいいじゃないですか」


 「だいたい、そんな個人的なことで決めるべきじゃあない」飛田が加わった。「今のこの状況を少しでもよくすることを考えるべきだ。沢崎が一人で逃げれば、黒崎達はそっちを追う。我々の脅威が確実に減るじゃないか」


 飛田は遠藤と東谷を交互に見ながら主張した。






 「おまえらはやっぱり馬鹿だ」遠藤が怒りで口元をヒクつかせながら言った。


 「何だと?」飛田が睨みつける。


 「黒崎達が、仮に沢崎を殺すことに成功したとしよう。俺達を見逃してくれると思っているのか? 奴らの暴挙を目の当たりにしたここにいる全員を、そのままにしているとでも思っているのか? おめでたいぜ、おまえら。連中は必ず口封じをしようとする。そんなこともわからないのか!」


 遠藤に怒鳴りつけられ、二人は口籠もった。


 木戸が、遠藤の興奮を抑えるために肩に手を置き、引き継いだ。


 「遠藤の言うとおりだ。これほどの状況になったら、もう全員消し去るしかないと考えているだろう。誰もいなくなれば奴らのいいように誤魔化すことも可能だ」


 東谷が再度沢崎を見据える。


 「心配するな」沢崎が肩を竦めながら言う。「俺は約束は守る。敵を倒すまでは逃げないし、ここにいる誰にも危害は加えない」


 誰かはわからないが、複数の人間が安堵の溜息をついたのは確かだった。


 「それじゃあ、大急ぎで体勢を立て直そうじゃないか」


 木戸が全員に語りかけるように言った。


 「体制って、やっぱりここで敵と戦うというんですか?」


 絵里香が訊く。引き締まった表情をしていた。飛田や佐久間よりずっといい目だ。


 「それしかない。もう、それしかないんだ」


 木戸も、自分に言い聞かせるように言い、手にした自動小銃を握りしめる。


 それからは、渋々という感じの者も含め、東谷の指示によって動き始めた。


 地下に隠れるスペースを確保し、それが発見されにくくなるようにできる限りの細工をする。2階と3階からも攻撃できるようにする。出入り口全てにバリケードをする、等だ。


 手分けして行った。1階は守りを堅くできるように、そして、2階は射撃をしやすいようにと工夫した。沢崎には2階からの攻撃を任せるつもりだった。

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