森の中 小川 藤間 篠山 角田

 「そろそろ戻った方がいいですね」


 残念そうに小川が言った。


 まだ西田は見つからない。もしかしたら、もうかなり遠くまで行ってしまったのかも知れない。西田は誰よりもこの森に詳しい。


 「仕方あるまい」篠山も無念そうだ。


 森は暗い。それぞれサーチライトを持っているとはいえ、その光は不安をかえって増しさえする。


 中途半端な光は闇の深さを際だたせるのだ。


 四人はその闇が胸の奥まで染み入ってくるような感覚に襲われ、自然と焦りを感じ始めていた。


 「西田さんは、こんな森の中を一人で行ったんだろうか?」


 角田が首を傾げる。


 「あの人は森に慣れている。我々の知らない獣道も把握しているのかもしれない」


 小川はサーチライトをあちこちに向けながら言った。


 自動小銃を構えながら、光の先に視線を向ける藤間。暗くてよくわからないが、その表情は強張っている。


 「どうかしましたか?」


 小川が声をかけると、藤間は近づいてきて小声で「何かが近くにいるような気がする」と言った。自動小銃の先が震えていた。


 小川は息を呑み、これまで以上に注意深く、ゆっくりとサーチライトの光を巡らせる。


 二人の緊張感が伝わったらしく、篠山も角田も黙り込み、全身の感覚を研ぎ澄ませるかのように体を硬直させた。そして、小川に倣ってサーチライトを別々の方向に向ける。


 浮かび上がるのは、様々な形態をした木々だけだった。天をつくような巨木もあれば、手が届きそうな高さのものもある。そよぐ風が葉や枝を微かにゆらす。


 「気のせいじゃないか?」


 角田が小声で言った。これ以上の沈黙を嫌ったようだ。暗闇に耐えるのも、そろそろ限界だ。


 「行こう。戻るんだ」と篠山が先頭に立って歩き始めた。だが、その足がすぐに止まる。


 「あれは……」息を飲み込み、ある一点に視線が吸い寄せられた。






 闇が、動いた――。


 少なくとも篠山にはそう見えた。正面に向けていたサーチライトの光が届く範囲から、ほんの僅か右に逸れたあたりの闇が、スッと動いたのだ。


 「何だ、今のは?」震える声で言った。


 「え? 何があったんです?」藤間が訊く。


 サーチライトで動きを追うことが、何故か躊躇われた。見たくない、という感覚が全身を覆い、動きを止める。


 代わりに小川が光を向けた。すると、それは唐突に現れた。


 最初は太い木だと思われた。だが、それは、ゆらゆらと揺れながら動いた。足らしいものが見える。


 「な、何だ、あれは?」


 角田が叫ぶように、しかし小さな声で言った。その途端、それは、目にもとまらぬ早さで横へ移動し、全員の視界から消えた。


 慌ててサーチライトを巡らせる小川、そして篠山。


 藤間は自動小銃を構え、血走った目で光を追う。


 「今のは、何だ?」


 「怪物ですよ。やっぱりそうなんだ。あの死体を投げ込んだのは、怪物だったんだ」


 藤間が言った。冷静とは言えない。


 「落ち着いて!」


 常に冷静な小川も、この時ばかりは声が上擦ってしまう。


 「おかしいと思ったんだ。あんなふうに死体を投げ込むなんて人間にはできない。やっぱりいたんだ、怪物が」


 藤間の体には異常に力がこもっている。それが現れたら、躊躇なく撃つだろう。というより、撃たずにいられないだろう。


 だが、それはどこにもいなかった。


 「行こう」角田が声を震わせた。「早く戻ろう。何かの見間違えだ。きっとそうだ」






 「四人全員で幻を見たとでも言うんですか?」藤間が強い口調で言った。


 「そうだ。そういうことだってある」角田が負けずに強く言う。


 「そんなこと」と藤間が言いかけるのを、小川は無理矢理遮った。


 「ここで言い争っても仕方がない。急いで戻りましょう」


 自らが先頭に立ち、帰路につく小川。他の三人も口を噤み、続くことにした。


 だが、全員の足はすぐに止まらざるを得なくなる。


 ヒュンッ! という音がして、4人の頭上を何かが飛んだ。


 「うわぁ」篠山と角田が頭を抱え、座り込んでしまう。


 小川は身構え、何が飛んでいるのか見ようとした。


 だが、濃い闇に遮られ、見えない。サーチライトで追えるスピードではなかった。上空を飛びまわるそれは、とても巨大に感じられるのに、ツバメのように速い。


 藤間が小銃を上に向けながらそれを確認しようとするが、キョロキョロと身体を動かす様は、おもちゃの兵隊のように思えてしまう。


 それは、木々の合間を縫うように飛んでいた。時折チラリと見える影は、通常の人間よりもかなり大きなものであることを教えていた。


 遊んでいる。わざと我々のまわりを飛び回り、怖がらせている――。小川は戦慄した。


 あの生き物は、明らかに意志を持って行動している。


 いったい何なんだ? これが、伝説の怪物なのか?


 「ぎゃあああぁっ」


 叫び声が響く。角田だ。小川は彼を捜すが、姿が見えない。叫び声は徐々に遠ざかる。


 ザンッ、という音が聞こえた。見ると、五メートルほども離れた場所に、さっきのそれが立っている。黒い固まりにしか見えないが、後ろ姿であるのは何となく感じ取れた。そして、その向こうから角田の「助けてくれ」という声も聞こえる。


 「頼む。助けて、助け……」


 角田の声は徐々に力を失い、小さくなっていく。逆に、何かが折れる音がした。木の枝のようでもあるが、微妙に違う。


 角田の「うがっ」とか「ぐぎゃ」という呻き声も混じっていた。彼の体が壊されているのだ。






 「くそうっ」藤間が銃を向けた。


 「角田さんに当たってしまう」と篠山が制する。


 「しかし……」藤間はどうしていいかわからずに、そして恐怖に苛まれながら身を震わせるだけだった。


 バサッという音がして、それが振り向いた。角田の身体が、まるで壊れた人形のようにその場に崩れ落ちる。


 大きな赤い目が、まっすぐにこちらを見据えている。頭はない。肩にめり込んでいるらしく、少しだけ中心が盛り上がっていた。目はそこにあった。禍々しく光る赤い色は血を思い起こさせる。肩から流れる流線型のシルエットは、大きな羽を有しているのを物語っていた。こんな生き物は見たことがない。


 怪物――。


 これまで感じたことのない程の恐怖を覚えながら、小川は藤間を見た。彼は小川と同じように怪物を見つめている。


 「藤間さん。撃って。今だ。撃つんだ」


 藤間がハッとなった。震えながら銃を構え直そうとする。だが、身体が言うことを聞かないようで、銃口が定まらない。小川はもどかしくなった。


 「しっかりしてくれ」怒鳴りながら、藤間の肩を掴む。


 それが再び飛び上がった。何故か羽ばたきはしなかった。なのに飛んでいる。


 見失ってはいけない。小川はサーチライトでそれを追う。だが、素早い上に木々が邪魔をして、すぐに光の範囲から消えた。


 ヒュンッ! またしても頭上をそれが掠めていく。


 「うわあぁ」藤間が身をかがめた。篠山も地べたに這い蹲る。小川は、同じように転がりながら、何か武器になる物はないか捜した。木刀ほどの太さと堅さの枝が落ちていた。それを握りしめ、立ち上がる。


 どこだ? 五感をフルに働かせる。見つけたら、力一杯打ち据えてやろうと思った。常人より強い力を持っているのは自覚していた。この棒で打ち据えれば、人間の骨を砕くこともできるだろう。






 それは、小川の思いを感じ取ったのか、彼を中心に飛び始めた。近づいては離れていく。相変わらず羽ばたいていない。まるでグライダーのようだ。それでも、密集した木々を巧みにかわしていく。


 こいつ。ふざけている――。


 本当にこちらをからかっているかのようだった。


 恐怖を怒りに変え怪物の旋回するリズムを冷静に測る。


 よし――。怪物が正面から近づいてきた時、小川は一歩踏み込んで、思い切り剣道の面の要領で打ち据えた。


 バキッ! 予想以上の手応えがあり、頑丈だった枝がへし折れた。


 小川の両腕に激しい衝撃が来て、気がつくと痺れていた。まるで大型ダンプカーのタイヤを叩いたような感覚だった。


 これだけの力で打ち据えれば、人ならただではすまない。


 だが、怪物は、何事もなかったかのように旋回を続けていた。


 そんな馬鹿な――。小川は呆然とした。そして次に、絶望を感じた。怪物が真正面から向かってくる。


 避けることはできなかった。叫ぶ暇もなかった。激しい衝撃が来て体が吹っ飛ばされた。


 巨木に背中から叩きつけられたのはわかった。体が高く飛ばされたのも感じていた。たぶん三メートル以上舞い上がってしまっただろう。


 地面に落ちていく間に、小川の目の前は真っ暗になり、そして何も感じなくなった。

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