分署・道の駅近辺 東谷 見まわり

 「では」と言って分署の正面玄関を出た。雨はもう、小雨程度になっている。風も弱まり始めた。東谷は、外に出たことでちょっとした開放感を得た。


 「気をつけてくれ」


 木戸が言った。ようやく東谷が偵察に出るのを了承してくれたが、納得しきれていないのは表情を見ればわかる。


 何も言わず、ただ頷いて歩を進めた。


 さっき爆発炎上したワンボックスカーの側に来た。いまだに燻ってはいるが、延焼する恐れはなかった。本来ならじっくり調べるのだが、そんな余裕はない。


 そのまま分署をぐるりとまわる。籠城事件の際に突入していく時より緊張した。分署の裏手は林になっており、敵が隠れていてもおかしくない。


 そのまま道の駅天童の裏まで行った。


 いくつかの裏口にバリケードらしいものが施されているのを見て、思わず感心した。冷静とは言えないかも知れないが、一応適切な対処ができている。


 また引き返して更に林の奥まで行き、そして道の駅の裏手の野原を少し下ってみたりして、敵の不在を何度も確認した。


 どこにいるのか――?


 敵があの5人だけだった、という楽観的な判断はできない。


 地理を頭の中で確かめる。分署の前はバイパスが通り、その向こうは急斜面の山になっている。


 神奈川方面へ後1キロも進めば、今度は逆に谷になる。分署の裏手はしばらく斜面を降りることになり、そして天童川がある。その先はだんだん深くなる森だ。


 森を抜けると山が待ち受け、いくつかを越えると丹沢方面に行く。昔ハイキングコースだった道があるはずだが、もうどうなっているかわからない。


 ハッと思いついた。確かハイキングコースの途中に今は閉鎖されている天童地区の民芸博物館があるはずだった。






 密かにそちらに移ることはできないか?


 敵の目を分署と道の駅に釘付けにしておいて、裏から博物館へ逃げる――。


 そこにずっと潜むわけにはいかないが、今の状況より良いはずだ。もちろん秘密裏に移動することが前提となるが……。


 だが、すぐに決行するまでには踏み切れなかった。


 どんな行動をとるにしろ、犯罪者と民間人を指揮して動かなければならない警察官の数が少なすぎる。今後実行の可能性がある手立ての一つとして、頭に刻むのみとした。


 道の駅のレストラン「わらべ」に行く。牧田がホッとしたような表情を浮かべて招き入れてくれた。


 離れた位置に藤間がいて、小銃を慣れない手つきで持ちながら、まだ窓の外を警戒している。彼なりに必死なのがわかった。


 レストラン内にいる人々が深刻そうな目で東谷を見た。


 小さな子供がいるのに気がつき、小銃を後ろに隠すようにした。


 料理長の角田が直々にコーヒーを持ってきてくれた。一口飲むと、その熱さと苦みが身体に染み渡り、少しだけでも力を貰ったような感じがした。


 「様子はどうだい?」


 牧田が訊いてきた。なるべく隅の方にいたが、二人の話には、殆どの人が耳を傾けているだろう。言葉を選ばなければと気をつけながら話した。


 「今、分署と道の駅のまわりを見まわってきました。近くには敵は潜んでいません。おそらくさっきの5人が戻らないので、今後の行動を決めかねているのだと思います」


 「そうか」


 「しかし、そう長くこの状態が続くとも思えません。私はすぐに分署に戻って備えます。こちらはこのまま待機していてください」


 「うむ」気を引き締めるかのように、険しい顔で応える牧田。






 「刑事さん」客の中から、阿田川が声をかける。「もうすぐ橋も下がるんじゃないですか? そうなったら、刑事さん達でガードして貰って、我々は車で逃げるというのは駄目ですかね?」


 「一つの案として検討はしますが、今のところ、安易に動くのが得策とは思えません」


 東谷が応える。そうしたくても今の警察の体制では心許ないのだ、とは言えない。


 「でも、襲ってきた人達って、多分妨害電波を出したりしているんでしょう? だったら、目的が達成できるまで橋を上がったままにするような細工もしているんじゃないかしら」


 絵里香がそう言うとまわりの人々が息を呑んだ。牧田も目を丸くし、東谷さえハッとなる。


 確かにそのとおりだった。東谷は、そこまで考えなかった自分に胸の中で舌打ちする。敵はそのくらいできるだろう。


 その場合、この天童地区から逃げ出すのに車を使うことはできない。山を越える必要がある。これから夜が深くなるのだから、かなり厳しい。無謀とさえ言えるかも知れない。


 溜息をつきながら、東谷は考える。助かる道は、無謀を承知の上で山越えをするか、敵のターゲットを差し出して見逃して貰えるよう交渉するか、あるいは敵を全て倒すか、のどれかだ。


 「あまり空気を重くしないで。もう一杯コーヒーを入れるから、それを飲んで落ち着いてくださいよ」


 わらべの店員、長尾美由紀がそう言って厨房へ入っていく。


 「ああいう人がいると助かるな」と牧田が小声で言った。






 東谷は、チラリと隅の方にいる西田老人に視線を送った。3日前から泊まり込んでいるという学者2人が側に寄り添っている。


 ずいぶん顔色が悪いな――。


 心配になった。いつも泰然自若というか、何事にも我関せずという感じの人だった。だから、こんな状況であったとしても、あんなふうに不安に押し潰されそうな表情をしているのは意外だ。


 「源さん、例の伝説の怪物が出てくるとか言って、心配しているんだよ」


 東谷の視線に気がつき、牧田が説明してくれた。


 「怪物?」


 顔を顰める東谷。


 「ほら、天童地区に昔から伝わる巨体の怪物だよ」


 東谷は思い出した。以前、休憩時間に道の駅に来たときに、西田がその時立ち寄ったドライバーに話して聞かせていたのを思い出す。


 この地には伝説としていろいろな話が残っているらしい。つい最近でも、森の中で類人猿を見たとかいう噂が流れることがあった。確か数年前には、血まみれで何かに喰われているイノシシの死体が森の奥で見つかり、怪物の仕業ではないか、という話が出ていた。まさか本当にそう思う者は少ないだろうが。


 そんなことで不安になっていたのか……。西田をもう一度見て苦笑した。


 「ここもいろいろ大変だと思いますが、よろしくお願いします」


 東谷は牧田に頭を下げる。


 牧田の顔に不安の色が再度表れた。しかし、さすがにそれはすぐに消し去っている。


 「失礼します」そう言って、東谷は外に向かう。


 雨はあがった。また、充分注意しながら分署に戻っていく。


 ふと、さっき外に出たときに森の中に見たような気がする、赤い光のことが思い出された。


 確か、伝説の怪物の話はいろいろあるが、そのうちの一つは大きな赤い目をしている、というものではなかったか?


 いや、馬鹿らしい……。


 もう一度気を引き締めなおし、東谷は分署に向かった。

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