東谷の回想

 秋の陽射しが目映い日だった。ようやく残暑が抜け、夕方になるとすごしやすくなる。


 そんな、ホッと一息つきたくなるような、時間にすれば五時を少し過ぎた頃のことだ。


 静岡県側に向かう導西橋の一キロほど手前付近の路上に不審な車両が四台停められ、奥の林から銃声のようなものが聞こえる、という通報があった。


 当日まだ署にいた東谷と藤間が様子を見に行くことになった。銃声が聞こえたということで、念のために銃の携帯が認められた。


 もし何らかの犯罪に類することがあれば、即座に足柄署、そして静岡県警の御殿場署から応援が来るように、分署長の牧田が調整を始めた。


 現場に着くと、確かに不審な車が乱雑に停められていた。東谷は即座に臨戦態勢をとる。緊張し堅くなった藤間の尻を叩き、銃を手にして林に分け入った。


 すぐそこに、見た目だけで善良な市民とは違うとわかる男が二人、血まみれになって倒れていた。一人は胸部、もう一人は頭部に銃弾を受け、おそらく即死と思われた。


 近くに二丁、自動小銃が落ちている。最前線から外れてかなりの年数が経っているため、東谷はそれが何という銃かわからなかった。だが、見た感じ、ロシア製ではないかと思った。暴力団連中の間で粗悪品が出回っているという噂も聞く。


 嘔吐しそうになる藤間に応援要請をするように告げ、東谷は一人で更に奥まで進む。


 途中、三つの死体を発見した。一人は喉を鋭利な刃物で切り裂かれていた。後二人はそれぞれ胸に銃撃を受けている。


 徐々に深まる林を用心深く進む。すると、急に激しい銃撃音が響き始めた。自分に向けられているのではないが、思わず身を低くし、様子を見た。


 ちょっと先に、少しだけ林が開け中央に他の木々を見下ろす程の巨木がたつ場所があった。


 その巨木に向かって、二人の人相の悪い男達が自動小銃を一心不乱に撃ちまくっている。表情は、恐怖を必死に押さえ込もうとしているかのようだった。


 東谷は状況を想像した。たぶん暴力団員だと思われる連中が、何者かを追っている。その何者かは、おそらく一人。そして、恐ろしく戦闘能力の高い者だ。ここまで見てきた五つの死体。それは、人を殺すことに慣れた相手に、的確に、最小限の攻撃で絶命させられたことを物語っていた。


 何者だろう? 不安にかられながらも、興味もわいた。


 銃声がやんだ。シーンとした、深い静寂が発生し、身動きすることが躊躇われる。そっと目をやると、自動小銃を撃っていた二人が、巨木の両側から回り込もうとしている。銃を構えたままだ。


 死体を見たところ、今巨木に隠れている人間の武器は、拳銃とナイフだと思われた。いかに腕がたつとはいえ、それで自動小銃二丁を相手に、この状況で戦うのは無謀だ。絶体絶命といえる。


 どうすべきか? 迷った。 


 警察だ、と名乗り出て威嚇すれば、相手は従うだろうか? いや、そんな連中ではない。武器の違いもある。こちらは拳銃。相手は自動小銃。それも二人。自分たちが優位だと思えば、ああいう奴らは絶対に逆らってくる。


 また、あの二人を何とかしたとしても、姿の見えない凄腕の人間がどう出るかもわからない。東谷は、落ちていた自動小銃を持ってくれば良かった、とその時始めて気付いて舌打ちした。


 男達と巨木の距離がどんどん近づいていく。焦りを感じた。何もできない。どうすればいい?


 その時、パンッ! という乾いた音が響き、男のうち一人が、頭のてっぺんから血を噴き出させながら倒れた。


 東谷が息を呑んだ次の瞬間、再び音が響き、残っていた方の男も同様に倒れる。本当に、あっという間の出来事だった。


 何事か? と視線を上げると、何と、巨木のかなり上の部分にある枝に、男がしがみついていた。手にしていた銃を素早くしまうと、流れるような動きで巨木を下りてくる。


 戦慄した。これはあの男が仕掛けた罠だ。


 追っ手達の視線を巨木に集中させながら、自分は気配を感じさせずにその巨木に上る。追っ手が自分の射程内に入ってくるのをじっと待ち、その時が来たら冷静に撃つ。


 言葉にすると簡単だが、実際に実行するには、飛び抜けた戦闘能力と身体能力、戦略を瞬時に錬る頭脳、そして度胸が必要だ。


 東谷は、気後れしそうになる自分を叱咤し、降り立った男を凝視した。どこかで見覚えがある気がした。だが、思い出せない。


 男は巨木から舞い降りると、まず倒れた二人の状態を確認した。そして、次にあたりをぐるりと見まわし……。


 身を隠していた東谷が、銃を手に一歩踏み出した、そして、男と視線があった。


 男が銃を突きつけてきた。東谷も同様に銃を構えた。ほぼ同時に、お互いの銃口がお互いの額に向けられたかたちで対峙する。

 

 音は全く聞こえなくなった。まわりの木々が風に揺れたとしても、男と東谷の間には響いてこない。 


 男の目が、怪訝なものでも見るように一瞬歪んだ。東谷が倒した男達の一味でないことを感じ取ったようだ。


 「警察だ。おとなしくしろ」東谷はやっと絞り出すように言った。「まもなく俺以外の警官隊も駆けつけてくる。おまえに逃げ場はない」


 男は、ほうっ、というふうに口元を緩めた。まるで笑っているようにも思えた。そして、その表情を見て、東谷は思い出した。


 沢崎隆一!


 もちろん対面するのは初めてだった。だが、これまで何度も手配書を見ていた。間違いない。


 緊張感が一気に増した。これ程の男とこんな所で巡り会うとは……。


 驚きながらも、それを悟られないように、東谷は表情を動かさなかった。


 「銃をおろせ。そして捨てろ」


 命令する。強く睨む。


 だが、沢崎は無表情のまま、ただ東谷を見つめ返してきた。銃口は相変わらず東谷の額の真ん中あたりを狙っている。


 当然、東谷の銃の向きも沢崎の額を少しも逸れていない。どちらかが先に弾き金を引けば、おそらく二人とも死ぬ。


 二人の男がそのままの形でこの森に同化してしまうのではないか、とさえ思えるほどの時が流れた。実際には数秒のことかもしれないが、そのくらいの時の重さがあった。


 沢崎は微動だにしない。こいつは、俺が痺れを切らして隙を見せるのを待っている。ならば、こちらもそうするしかない。持久戦だ。


 そう思った時、誰かが草をかき分けてくる音が聞こえた。目をやりたいが、それはできない。沢崎もそうだろう。


 「東谷さん、応援要請しました。もうすぐ分署の面々がやってきます。足柄署からも御殿場署からもすぐに駆けつけるそうです」


 藤間の声が、あまりにも呑気そうに聞こえてきた。


 「来るなっ!」


 叫ぶ東谷。


 その一瞬の隙を逃さず、沢崎が撃ってきた。


 だが、それは予想していた。身を翻すと、こめかみの側を銃弾が掠めていく。そのまま地面を転がった。撃ち返す。しかしもう沢崎はさっきの巨木の陰に身を隠していた。


 東谷は転がり続け、別の木の後ろに隠れた。ゆっくりと様子を見ながら、巨木を遠巻きにして移動した。


 沢崎はすでに巨木の側にはいなかった。気配を感じさせずに移動するのは忍者並みのようだ。


 いつしか緊張感も恐怖感もなくなっていた。自分が機械になっていくように感じた。五感を総動員して気配を察する。おそらく沢崎もそうしているに違いない。


 視界のすみを何かが動いた。身構え、銃を向ける。沢崎だった。奴が木の陰から現れ、別の木の後ろへと素早く動く。咄嗟に撃った。


 誘いだ――。


 沢崎がこちらの位置を確かめるために動いたのだ。奴は東谷の放った銃弾などに掠りもせずに移動を済ませると、また気配を消す。


 東谷は、沢崎が隠れた木を正面に捉え、銃を構えた。必ず動くはずだし、全く気配を消すなど無理なはずだ。


 ハッ、となった。さっき奴が二人の男を頭上から倒したことを思い出す。殺気を感じて身を転がす。刹那、銃声が響き、今東谷がいた場所の地面に銃弾がめり込んでいった。


 東谷は上へ向かって撃った。沢崎は、またも木の上に素早く移動して攻撃してきたのだ。


 すでに沢崎は下におり、次の攻撃を仕掛けてきた。それを避けるために、東谷は地面を転がった。ようやく太めの木にたどり着く頃には、体中が土だらけになっていた。


 何て手強い男なんだ――。


 東谷は舌を巻かざるを得ない。


 ブランクがあるとはいえ、様々な訓練を受け、あらゆる戦闘技術を身につけてきた。おそらく日本では最高峰のものだ。個人個人の実力は自衛隊のレンジャーにだって負けないという自負が、当時のSAT隊員達の中にはあった。それが今、追い詰められている。


 沢崎の経歴を思い出す。確か高校卒業後海外へ渡り傭兵部隊に入隊したという話だ。そこで数々の功績を残し、帰国した。平和な日本で活動している者と海外の危険地帯を渡り歩いていた者とは違うのか。そんな思いがわいては消えていく。


 冷静になれ――。そう言い聞かせた。


 短く息を吐き出すと、沢崎の立場になって考え始めた。奴は今、焦っているはずだ。このままだと、遠からず警官隊に囲まれる。いかに沢崎といえども、そうなったら逃げるのは無理だ。


 一刻も早く目障りな男を倒し、この場を離れて天童地区を出なければ――そう考えているはずだ。ならば、誘ってやればいい。


 東谷は、何度か深呼吸をして身体と意識を整えた。そして、思い切って飛び出し、沢崎の隠れている木に向かって三発撃ち、走った。だが、数歩行ったところで、草に足を取られて転倒する。「うっ!」と呻き声を上げてしまった。


 その瞬間沢崎が飛び出してきた。銃口は真っ直ぐに東谷に向けられている。


 ……が、それは東谷の芝居だった。


 沢崎の動きを読んだ東谷は、奴が飛び出してきた瞬間に発砲し、出鼻を挫いた。


 当たらなかったが、奴は避けるために転がった。素早く立ち上がると、沢崎が体制を整える前に銃を向け「少しでも動いたら撃つ。躊躇はしない。俺が撃たれるのは嫌だからな」と叫んだ。


 沢崎はピタリと停まった。銃の向きは微妙に東谷の位置とずれている。修正しようとしても、その瞬間に撃つ自信はあった。


 沢崎は、しばらくそのまま東谷を見つめていたが、不意に「フッ」と笑い、銃を落とした。そして、ゆっくりと両手を挙げる。


 油断なく注意をはらいながら、東谷は沢崎に近づく。この時が一番緊張した。


 沢崎の身体を探り、サバイバルナイフをブーツから取り上げて放り投げる。それ以外に武器はないようだ。手錠を取り出し、これも注意深く後ろ手にしてかける。ここまでやって、ようやくハッと息を吐き出した。


 「まさか、こんな田舎であんたのような凄腕の警察官に出会うとは思わなかった」


 沢崎が言った。微笑んでいるようだった。


 「俺も、まさかこんな所でおまえのような大物に出会うとは思わなかったよ、沢崎隆一」


 「俺を知っているのか? 光栄だな」


 今度はハッキリと笑顔をつくる沢崎。端正な顔だった。とても殺人者には見えない。だが、目だけは冷たく、そして鋭かった。

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