護送車 後部 刑事達と囚人達

 護送開始から続く張り詰めた空気が、今でも体をチクチクと刺すようで不快だった。天気が崩れてきたため、なおさら嫌な気分になる。


 神奈川県警刑事部捜査一課の木戸雄三は、進行方向に背を向ける形で、これまで何度も行ったように車内をゆっくりと見回す。


 自分と同年代で、階級も同じである御殿場署の板谷邦夫警部補と視線が合い、ほんの僅かに頷き合う。彼は車の最後部から全体を見ていた。


 ドア付近に御殿場署の若手刑事勝俣寿史巡査部長が陣取っている。その勝俣と同年代で木戸と同じ捜査一課の熊井繁利巡査部長が、丁度勝俣と対角線を成すあたりに座っていた。刑事達は皆、緊張の表情を崩さない。いや、崩せないのだ。


 板谷の近くに座る無表情な男、沢崎隆一という。


 この男こそが、異例の護送をさせる元凶なのだと思われた。長身で一見映画俳優を思わせる端正な容貌だが、たまに視線を動かすたびに鋭利な刃物が風を切るような緊迫感を起こさせる。


 これまで殺害した人間は数え切れないと言われている。


 しかも、相手は暴力団幹部や政治家、企業の重役など錚々たる面々で、当然報復の手は伸びたが、その尽くを返り討ちにしてきた。


 裏の世界ではその名を知らない者はいないとさえ言われている。当然、全国の警察の間でも、常に重要手配犯のトップを飾ってきた。


 そう言えば、と木戸は鉄格子が渡された窓から空を見た。この先の天童地区には、神奈川県警足柄警察署天童分署がある。分署というのは珍しいが、そこには、この沢崎を一人で逮捕した敏腕警察官がいる。そう思うと、少しは心強くなってきた。


 「ふわぁぁ……」


 不意に、気のない、それでいて大きな欠伸が聞こえてきた。


 さっきから何事にも無関心な沢崎のみ身じろぎもしなかったが、それ以外の者の視線が、その名の通り大柄な大熊振一郎に集中する。欠伸をしたのはこの男だった。


 最初から、つまらなそうで落ち着きのない態度だった。沈黙を嫌っているふうなのもわかっていた。だから、余計なことを喋り始めて雰囲気を乱さないか心配していたのだが、どうやらその兆候が見られ始めたようだ。


 「刑事さん、後どのくらいで着くんだい?」


 馴れ馴れしく熊井に声をかけた。木戸や板谷には一目置いているらしい。その目つきから、熊井や勝俣という若い刑事を見下していることが窺われた。


 「道路状況による。それに天気もだ」


 機嫌が悪そうに熊井が応えると、「チェッ」と舌打ちする大熊。


 こいつは、神奈川県大和市の金融業者の取り立て屋や用心棒をしていた。


 かなり暴力的な取り立てを行い、借金の肩代わりに臓器を売らせたりもしていたらしい。その容疑が固まり逮捕に向かった刑事二人と争いになり殺害し、逃亡した末、知り合いの暴力団員がいる伊豆で逮捕された。


 一見のんびりとしたように見えるが、キレると何をするかわからない。


 「トランプでもありゃあ、暇つぶしができるのにな」


 一人で笑う大熊。側にいた後藤と佐久間に目をやる。


 視線を向けられた二人はつられたのか、それとも大熊の機嫌をとろうとしたのか「へへへ……」とぎこちない笑みを浮かべた。


 この二人は、組んで神奈川県内で強盗を続けていた。お互い高校時代の同級生だったらしいが、三十八歳になる現在まで定職に就かず、様々な仕事を転々としながらもギャンブルにおぼれ、借金が増えた。


 そんな二人が手を組んで、手っ取り早く金を得るためにコンビニや郵便局などを荒らし回っていたが、ある時駆けつけた警察官を殺害し、神奈川を抜け出して沼津に潜伏していたところを逮捕された。


 「うるせえぞ。静かにしろ」


 低く響く声が聞こえてきた。それにより、大熊も、後藤と佐久間も息を呑んで黙り込む。


 遠藤達敏だった。横浜を拠点にしている暴力団大浜組の幹部だ。


 武闘派でならし、現在まで複数の人間を殺害してきた疑いをもたれているが、証拠はない。


 今回は、伊豆にあるつながりを持つ暴力団組織の元に滞在し、地元の不動産を巡るトラブルに関与した疑いで身柄を拘束されていた。


 実は、木戸達が沢崎の次に警戒しているのがこの男だった。大浜組の若頭が二人、沢崎に殺害された過去がある。遠藤も昵懇にしていたということから、彼が沢崎に恨みを持っているのは明らかだ。


 この護送の際、沢崎との間で何かトラブルが起きなければいいが、と思っていた。さっきから沢崎に向ける遠藤の目には、間違いなく増悪が滲んでいる。きっかけがあれば、何か仕掛けてくる可能性もあった。


 「あまりにも暇だもんで、すいません」


 大熊が如才なく遠藤に向かって頭を下げた。悪党同士特有の嗅覚がある。大熊、後藤、佐久間は、この遠藤と沢崎には逆らわない方が良いと感じているようだ。


 「気持ちはわかるが、くだらねえことは言うな」


 遠藤が言うと、もう一度大熊は頭を下げた。そして、隅っこの方で震えるようにしている三国敏夫に目をやる。三国は、怯えたような視線を大熊に送っていたが、視線を向けられると慌てて別の方を見る。


 「何か文句あんのか?」


 大熊が三国に向かって言った。


 「べ、別に何も……」


 消え入りそうな声だった。どこにでもいる、どちらかと言えば気の弱そうな若者だ。だが、それは一面にすぎなかった。


 「おめえ、五歳くらいの小さい女の子を犯して殺したんだって? それも二人も」


 大熊の目には、明らかに侮蔑の色がうかんでいた。三国は目を伏せる。ずっと震え続けている。


 「俺達は悪党だがおめえみたいな異常者とは違う。人間としてのそれなりの感情も持っている。幼い子供を惨殺したような奴は許せねえ。俺が自由だったら、今すぐその首の骨をへし折ってるぜ。そう思う奴は、ムショには大勢いる。おまえはそういうところに行くんだ。いつまで無事でいられるかな」


 大熊が言うと、三国は両手で顔を覆って泣き始めた。後藤と佐久間が貶んでいるような目つきで見ている。


 「黙れ。無駄口を叩くな」


 堪えきれず木戸は言った。遠藤が鋭い視線を送ってくるが、しっかりと睨み返すとそっぽを向いた。大熊は、今度は声を出さずに欠伸をし、何食わぬ顔をして目を瞑る。


 沢崎を見た。彼は、さっきからのやりとりなど全く気にもしていない。彼のまわりだけ、別の空間のように思われた。


 もう一度板谷と目を合わせる。どちらからともなく、肩を竦めて首を振った。

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