第六話『対話』

突然、自分が神話に登場していた主要人物で、初対面だと思っていた人と実は大昔に会っていて、何度も輪廻転生を繰り返しており、異例中の異例の確率で誕生した異分子で、様々な世界を行き来することが出来、神様とも面識があり、それ以前にことの全ての元凶が他でもない自分自身であるといっぺんに告げられた時、人はどう思い、どう咀嚼し、どう受け入れるのだろう。

まず頭がパンクして暴れ出すだろう。俺がそうだった。

実はあの話し合いの前に、思い返すことすら未だに恥ずかしく、辛く、苦しくなるような葛藤があったりした。

けれど、ようやく少しは受け止めることが出来て、少しはマシになれたような気がする。

『天ノ国』に誘われて記憶が戻り、そこでブディーディと──既に精霊としての契機を終えて、現実世界から消失してしまった彼とこんなところで再会出来たことにも驚いたが、最終的な答え合わせを彼にしてもらって、尚のこと驚いた。

まず奴が俺をこの世界に『異世界召喚』したという事実。

それこそ唐突で不意を突いた伏線回収だったが、まさかそこにアヌリウムの思惑が元凶として置かれ、さらにそれは幾千もの時を経て己に還元された因果応報であるのだと知って、刹那の知恵熱に侵されながら無作為に草むしりをしたものだ。

そして『神様』とマブダチ的な関係にあったというのも、にわかには信じられない。

まあ、それは論より証拠と割り切って、本当にその通りだったので、その時は叫びたくて堪らなかった。

でも、ブディーディとの本当の意味での和解を経て、願いを託されて。

脳や内臓を掻き乱されるような緊張やら困惑やらを振り切って、ようやく一人の救世主候補として一丁前なセリフを言えた気がする。


──アヌリウムに『地獄』を見せ、罰を下した。


駆け付けた時、既にアヌリウムが『神様』を殺していた。あれは酷く焦ったものだ。打ち合わせ無くしていきなりプレゼンをするようなリスキーな状況だったのだから。

けれど、心のうちに渦巻いていた複雑怪奇な心境を整理して言葉を紡げば、思いのほか上手くいったのだった。

この世の『神様』と『他の世界』の彼らに、大いに貢献出来たことだろう。

『神ノ落とし子』という性質上、色々な世界を行き来出来るから、この人生においての『元世』にも『神様』は居る。そして、この世界と『元世』の他にも世界は存在し、その数だけの『神様』達が、アヌリウムに『地獄』を見せる時に集っていた。

男にも見えれば女にも見え、その声音は自在に変化し、巨大にも矮小にも思える概念的存在。そんな者達が七人も集まっていたのだから、俺はあまりのプレッシャーに潰されそうになるのを堪えるのがやっとだった。

ところで、リーベやアヌリウムの衣装や様子が派手に変わっていたことはさておき、そもそもアヌリウムは神をも殺せる程の力を持っていたのかということが未知なる情報だったので慄いたが、それは『神ノ落とし子』である俺が現実世界から消失したことによる、一時的な弱体化が原因なのだとか。

しかしそれを知らずして高揚したアヌリウムは高らかに笑い、嘲った挙句『神様』の合図で見せた『地獄』に打ちひしがれて、自己防衛のためにリーベの記憶を無意識のうちに削ぎ落としてしまったというわけだ。

『神術』によって全属性の自然攻撃を可能とし、その特異な性質によって霊魂を自在に操れるという、超常的な力を持つ『ツキウサギ』。

だが、完全無欠かと思われた少女は、人が誰しも忌避する『孤独』という概念に敗れ、自ら崩壊の道を辿ったのだった。

アヌリウムが今まで犯してきた罪というのは、この世に溢れかえるどの罪よりも重くおぞましいものだろう。

だから、彼女にも償わせなくてはならない。それに、ブディーディの願いを叶える方法にも、彼女の存在は必須なのだ。

でも、それよりも今は──


「迎えに来た……? なんで、どうして……いや、それよりあなたは死んだ筈じゃ……っ」

「勝手に殺さないでくれ……まあ、とにかく、俺はお前を迎えに来た。戻ろうぜ、現実世界に」

「……その誘いを私が断るっていうのは、当然、想定済みよね?」

「ご明察。まぁ、やっぱそう来るよな……」

「状況も、境遇も、何もかも……全てを把握して、私の心境までも見透かしているってことかしら。──吐き気がするわ」

「……」

やはり、何か重要な物事──特にこういったクライマックス的な展開は、そう都合良く上手くいくものでは無いらしい。

案の定、俺に敵意を抱き、それ以上に己を責め立てるように悔恨に駆られているだろうリーベは、差し伸べた手を安易に取ること無く、微笑を浮かべながらもこちらに慧眼を向けている。

「私が止まっている間、アヌリウムに裁きを下したそうじゃない。強大な力を持つあの子を、よく倒せたわね……けれど、その力や知恵があれば、少なくとも屋敷の仲間が死ぬことやルチスリーユが心に深い傷を負うことは無なかった……」

「……」

「どうしようもなく醜く最低な言いがかりだってことは分かっている。分かっている……分かっているけれど! ……自分を責め立てるだけじゃ飽き足らず、目の前に居るあなたにさえ当たってしまう…………わたしを…………る、して……」

「──ッ! リーベ‼」

恐らく、今までの人生の中で、それこそ幾度も歩んできた人生の中で一二を争うぐらい速く、反射的に駆け出した。

認識するより早く掴んだのは、彼女の右手だった。──首筋に向けて刺しこまれようとした右手だった。

「……っ、う、ぐぅ……あぁ……っ」

「今……何しようとしたんだよ……なぁ、リーベ……!」

無意識の内なのか、それとも意図してそうしたのか。

俯いて嗚咽を漏らし始めるリーベは、問いに答えることは無い。

しかし。

「どう、して……止めたの?」

「……は?」

「どうして、止めたの?」

「なに、言ってるんだよ……どうして止めたのかって問われたら、そりゃあ、お前が今にも自分の首を爪で掻っ切りそうだったからって──」

「じゃあ、もうそれでいいじゃない」

「────」

一体、何を言っているのだろうか。

一瞬、思考が空白に絡め取られて言葉が出なかった。もしくは喉が凍り付いたのか。

何にせよ、眼前に居るリーベは、これまで俺に罵詈雑言の限りを浴びせた腹黒令嬢でも無ければ、身内に見せるようなチャーミングさを向けてくれているわけでもない。

完全に、自暴自棄に駆られたそれだ。

蓄積された恐怖や罪は牙を剥き、彼女の今にも脆くて崩れそうな心にさらなる崩壊の拍車をかけ、真っ当な思考や判断を損なわせてしまっている。

たった二日程の短い間と、一日にも満たない過去での記憶の中で凛として敢然とした姿を見せていた彼女が、このような無責任なことを囁いて諦念を受け入れる筈が無い。

しかし、もしそれが本心なのだとしたら。

もしその言葉が、永きにわたって心の奥底に押し込められたままずっと、風化せずに居座っていたものだとしたら。

救うも何も無く、ブディーディのただ一つの願いすら叶わず、それを他でも無いリーベ自身が本心から拒絶した結果だとしたら──

「……お前が、今死んだら……お前の帰りを信じて待っているルチスリーユさんはどうなる! 全てが終わったあとにお前が死体として帰ってきたら、あの人は……あの人の信頼も忠誠も何もかもを無碍にする気か⁉」

そんなことをするような薄情者ではないことは、ブディーディやルチスリーユさんは勿論、俺だって知っている。

だから、返事を聞きたい。そんな筈無いと。強く叫んで否定して欲しい。

「お前、お前って……誰に向かってそんな言葉遣いをしているか分かっているの? 愚鈍な馬鹿畜生の分際で──」

「論旨をずらすんじゃねぇよッ!」

期待した言葉が返ってくることは無く。

「リーベ・アザヴィール! お前は、そんな簡単に、他人を見捨てることなんてしなかった筈だ! 自分を信じて待ってくれている人が一人でも居るのなら、その人の願いに全霊で答えるってのがお前らしさじゃねぇのかよ‼」

思い通りにいかないという歯痒さはあるが、それ以上にどこからともなく込み上げてくる怒りが、目の前の悪魔の少女に向かって降り注がれる。

彼女が疲れ果てて──それこそ、何もかもをかなぐり捨てて、眠ってしまいたいというぐらいに打ちのめされて、疲弊しているのは分かっている。

それでも──

「この世界は……まだ大丈夫だ。俺が必ず何とかする……何とか出来る! だから、まだ諦めないでくれよ……っ!」

「何とか、ねぇ……。具体的には? この、どうしようもなく惨めったらしい私が、これ以上、この世界に留まる意味を齎してくれる方法があるんでしょう? 言ってみなさいよ!」

「……っ、それはまだ……言えない……」

「……そう」

案はある。しかし、その詳細を今言ったところで、それが説得の材料にはなり得ない。

よって、心底からの情動に従いながら、言葉で訴えかけていくしかないのだ。

慎重に、間違うこと無く、滞り無く。

そんな無策で無謀なことしか出来ない現状に、そして何より、当然のように人の感情への介入を打算的に為すことしか出来ない自分に、心底からの嫌気と腹立たしさを覚える。

リーベはそんな俺の心中なんかお見通しのことだろう。

だから彼女は鼻で笑い飛ばし、俺のがたがたな説得をまるで鬱陶しがるようにいなして、

「論旨をずらしているのはあなたの方でしょ。……私の苦しみも、呵責も、重ねてきた無数の罪も……何もかも知らない癖に……っ! 私が、どれだけ悩んで、足掻いて、打ちのめされてきたのか知らない癖にっ! 勝手なこと言わないでよ‼」

──そして否定し、拒絶する。

「生きているだけで人を不幸に陥れる……努力したって肝心な部分は何も変わらなかった……一生涯を何度も繰り返しても変わらなかったの!」

「でも、少なくともお前に救われた人は沢山居る! ……悪魔の特性はブディーディから聞いた。限界を超えると、他者の魂を勝手に吸い取っちまうらしいな。だから長く生きられない……けど、輪廻転生したとして悪魔である自分から解放される訳じゃなかったって……」

「そうよ! 仮に、救われた人達が私の全てを受け入れて、一緒に過ごしてくれるとしても、数年後、数十年後には、信じた相手である私自身によって抜け殻にされるのよ⁉ ……どう? 吐き気がするでしょう? 自分の最期は、信じた相手によって息の根を止められることなんて……この世の何よりもおぞましい、わ──……」

そこで、少女は一度、怒りに歪めた顔を訝しめて激情を引っ込ませる。

俺の言った言葉の中で、何かが引っかかったのだろうか。

とりわけて、何か核心をつくようなことを言った覚えは──

「ぁ……」

「あなた、今……ブディーディから聞いたって……言ったの?」

核心をつくような言葉。いや、それ以前に彼女にとっては不可思議だった筈だ。

何せ、リーベは自分から悪魔の特性を、いかなる者にも話すことは無く、だからこそ、それを知る者は本来居ない筈なのだから。

──たった一人、記憶を戻した彼女の父親を除いて。

「いや、違……っ」

「お父様と、会ったの?」

「……あぁ、クソ……本当に、馬鹿だ俺は……っ!」

「ねぇ! 答えて‼」

ブディーディが父親としての記憶を取り戻したのは、彼が『天ノ国』に旅立つ直前のこと。それなのに、ブディーディから聞いたということは、俺が彼とここで会っていたことを意味していることになる。

思わず自分の間抜けさに目眩を催す。しかし、リーベはそんな俺の自己嫌悪なんて微塵も構うことなく、近寄って俺の胸倉に掴みかかる。

そして、今までの態度から一変、怒りとはまた違った凄まじい気迫で襲いかかる。

「答えろって言っているの! ここに居るの⁉ お父様はまだここに居るの⁉ 答えろ、蒼原森檎ッ!」

その悲鳴にも似た問いかけは、痛々しく鼓膜に轟き、下腹部に重石がのしかかるような重圧が生じる。

ここまできたら誤魔化す必要も無い。

言うしかない。

肺に棘が指すような痛みを覚えながら小さく深呼吸をし、ありのままの真実を告げる。

「……ああ。ついさっきまで、俺はブディーディと──お前の親父さんと会って話をしていた」

「────」

途端、リーベの表情が凍りつき、水を打ったように沈黙した。

しかし、物事を正直に言ったからといって、必ずしも相手のほとぼりが冷める訳では無い。

案の定、彼女は肩を震わせ、そして。

「……せて、よ……」

「ぇ……?」

「お父様に会わせてよッ!」

「────」

今度は俺が押し黙る番だった。

唾や荒らげた息が当たるぐらいに顔を近付けていることすら構わず、泣き叫ぶ。

「居るんでしょう……⁉ まだ、ここに……ッ! ねぇ、どこ? どこなの? お父様が居る場所まで案内して──」

「あいつは! ……あの人は、もう……」

その先を、思わず言い淀んでしまう。

確信は無い。しかし、魂が天に召すまでの最終ラインであるこの場所でさえ、彼は自分に時間が無いということが分かっていた。

『天ノ国』は魂の一時的な留置場、もしくは仕分け場所でしかない。

現実世界での死者は、少しの間しかここに留まることが出来ない。俺達が今もこうしてこの場に留まっているのは、『神ノ落とし子』である俺と、『神様』に招待されたリーベの立場が例外なだけなのだ。

「なんで、黙るのよ……まさか、もう居ない……? もう、既に、本当の意味で成仏してしまったのかしら……」

そのことを、事前に理解していたのだろう。我に返ったようにして独りでに納得し、胸倉は掴んだままに、再び俯き黙る。

「……っ。そう、だ。だから、あいつは俺に託したんだ。自分の愛娘であるお前を幸せにしてくれって。……願いを託されたんだよ……!」

奥歯を噛み締めて寂寥の事実を肯定し、そして、背負い受け継いだ意志の重さを改めて肝に刻み込むと同時に、それを彼女に表明する。

太古に俺が引き起こしてしまったことから始まる因果も因縁も、この願いを託すことによって赦しをくれた。しかし、そんなのは建前でしかないのだと思う。

彼はリーベを幸せにしたい。

そして、俺も彼女を幸せにしたい。

だって、もしかしたら、俺は──

「どうして……あなたは、その願いを受け取ったの?」

「──!」

その問いかけと同時に見上げられた紫紺の瞳には、いくつかの感情が込められているように思えた。

何かを確かめるように。何かを理解しているように。

──そして、何かに怯えているように。

「それは、今も言ったように、お前の親父さんに頼まれたからだ。……お前も、ブディーディも、アヌリウムだって……あの時、あの場所で、俺が神からの命令に従ってさえいなければ、こんなに捻れに捻れた結果にはならなかった。でも、そうやって重過ぎる罪に腰が引けて情けなく罰を乞う俺に、あいつは自分のたった一つの願いを委ねてくれたんだ。俺にはそれを叶える責務があるし、意志がある」

この短い間に何度も心の中で繰り返したことを、一遍の曇りも無く言葉として紡ぐ。

「……って、お前が聞いているのは、もっと単純なことだよな」

彼女が真に求める答えと言うのは、もっと奥深くまで浸透するような、心象的な意義なのだろう。

無言で続きを促す彼女とその見透かすような双眸が、そう物語っている。

「他には、そうだな……」

恩義を返すため──それが全てではない。

放っておけないから──違うことはない。

自分と似ているから──それはあるのかもしれない。

けれど、それ以上に。

この言葉を、感情を紡ぐことを、果たして二日前までの俺は想像出来ただろうか。その時の俺が今の心情を知ったら、間違いなく滑稽だと笑い飛ばすだろう。

こう見えて、変なところでプライドが高いからなぁ、俺は。

でも、今は少し違った。

自暴自棄になっているわけでも無ければ、諦観しているわけでも無く。

ただ、彼女に、良くも悪くも自分と似通った点を見つけて、それが理想像に対する憧憬の念であると気付いて、それからは──

それからは、何かが芽生えたと感じていたのだ。

そして、気づいてしまったからには。

聞かれてしまったからには。

隠すこと無く、誤魔化すこと無く、そっくりそのまま伝えよう。

──ありのままの想いを。


「……お前が、好きだからだ」



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