第三話『神様』
「────はっ⁉」
目を覚ませば、そこは一面に草原が広がる綺麗な場所だった。
包み込むような暖かい日差しが心地よく、そよ風が擽るようにして肌を掠め、その感覚がどこか懐かしい。
目に見える景色、肌で感じる自然──その全てが感覚に浸透して鮮明に、懐古の記憶を呼び起こす。
時を同じくしてリーベちゃんも同じ歓迎を受けたのだろう。リーベちゃんも災厄的な力を使役することなく絢爛に降臨し、警戒心をピンピンさせながら周囲を見渡している。
そして、その細められた目を見るに、わたしと同じ疑問を抱いていることが想像出来る。
「……ここは、だって……ここは──」
その昔、今よりずっと前の時代に、あの『悲劇』があった場所。
リーベちゃんと共に永久かと思われた甘美な日々を謳歌し、浅はかな人間共の愚業によってその日々は唐突に終わりを迎え、あの名も無い男の偽善によってリーベちゃんが延々と呪いによって苦しめられる羽目となった、全ての終わりにして始まりの場所。
──魔境・『太古の箱庭』。
まさしくその場所だった。
無意味と思いながらも日々の中で無意識に焦がれ続けた故郷。
思いもよらぬ展開に理解が追い付かない。何故、今ここにあるのだろう。本来ならば存在しない筈なのに。
──既に消えたというのに。
「──ここは『天ノ国』。魔なる郷から神聖なる聖地へと見初められた、世界の中心だよ」
そして、自失の念に駆られながら立ち尽くしていると、唐突に声が割って入る。
当然の如く湧き出る疑問符すら、『そういうもの』だと一言で片付けられてしまう。
力云々の目に見える具体的なものでなく、認識云々の目に見えない抽象的なもの。
荒唐無稽で曖昧模糊な固定概念。
なんの前触れもなく姿を──正確には『そういうもの』だと納得させられる文字通りの人影を現した存在から、答えを貰う。
声の音色も、人影の形も、男のようで女のようでもある。壮大にも思え、矮小にも思える。明瞭な姿形は無くとも、存在の確立はきちんと為されている概念的存在。
ああ、なるほど。
これを、この者を、人はこう言うのだろう。
「──『神様』ってやつかな?」
「その通り。もっとも、今は支えとなる『落とし子』を現実世界で失って、不安定な存在だけどね」
ここに来て、ようやく巡り会うことが出来た絶対的存在。
そんな存在に問う。
『聖地へと見初められた世界の中心』──確かにそう言っていた。わたしとリーベちゃんの故郷を。
『魔族狩り』に巻き込まれ、暴走したリーベちゃんを漂流者の男が身を挺して止めてから、この地は陥落もしくは消失したかに思われていた。なのに、今は『神様』が住まう場所として、ここにある。意味も意義も全く異なるものとして。
「ここは全ての始まりにして終わりの場所。万象はここで生まれ、ここに回帰する。起点にして原点にして特異点……そして、神の住まう場所、かな」
人影のみだけで象られ、声音はコロコロ変わるし、第一、抑揚なんてものが無いから気分の上下すら判別出来ない。
ただ問われたから答えただけ。霊装人形なんてものもあるけれど、それにしては存在の主張性が強過ぎる。この世の『神様』なのだから当たり前だろうけれど。
「つまり、あの悲劇のあと、わたし達の故郷は世界にとって都合が良い使われ方をされてきたってことか……その結果が世界の中心部ってことね」
「そうだね。そこへ、君達は招かれざる客として来たというわけだ」
「──あら、招いたのはそちらの方ではなくて?」
『神様』の不可解な物言いに対して、リーベちゃんが横槍を入れる。こういう時でさえも威風堂々としているのだから、流石である。
「本来なら君達はここには居ないよ。ただ、今は少しばかり事態が異常をきたしていてね。だからお話を聞こうと思って呼んだんだよ」
「『神様』直々にお話を聞いてもらえるのは光栄だけれど、役目としてそれは矛盾している
筈よ。万人万象に対して常に公平であるべき存在──それが私の知る『神様』という存在の概要なのだけれど」
「そうだね……定位置から世の均衡を保つ為に、私は常に平等で無ければならない。けれども、それを為すためにはやはり、世に仇なすような脅威を排除することも含まれることになるよね」
「……あなたが直接下す『神罰』ということね」
「その通り」
どうやら『神様』は、好き勝手に暴れ過ぎたわたしをこの世から排除したいらしい。
……ん?
「え、ちょっと待って! 何でリーベちゃんはすんなりと納得しちゃったの⁉」
「だって、『神様』がそう仰るのなら仕方が無いことでしょう? でも大丈夫よ。世界の破滅を誘ってしまったのは私とて同じ事。だから『神罰』を受けるのはあなただけではなく私も一緒よ」
「確かに一緒なのはいいけれど、それだとわたし達の未来は⁉ またわたし達は離れ離れになっちゃうの⁉」
そうだ、ここで殺されてしまえば、全てが終わってしまう。今回ばかりは『次』があるという確証も無い。わたしもリーベちゃんも、『輪廻帰り』を果たしている身である以上、わたしの『神術』によって他者の魂の集合体に憑依することも──
「……魂……?」
そこで、ふと何かが浮かんだような、刹那の閃きがわたしの焦燥を断ち切る。
ここは全ての始まりにして終わりの場所。ありとあらゆる魂はここで誕生し、ここに舞い戻る。
──では、ふわふわと漂っているこの光達は何なのだろうか。
「ああ、そうか。この場所にはいくつかの役割があるってことね……例えば、そう。『天国』とか」
「……少し違うかな。ここは死後の世界ではなく、言うなれば魂の『保管場所』かな」
「ほ、ほう?」
割りと決め顔でのセリフだったので、真正面から否定されて正直恥ずかしい。しかしそれをポーカーフェイスで隠しつつ、説明の先を促す。
「『天国』か『地獄』。どちらに誘うかどうかについての判断を下すための場所だよ」
「……ふーん。要は仕分け施設ってところか。そんな場所に招待されるなんて、運がいいんだか悪いんだか……『ツキウサギ』だから運はいい方か。まあ何にせよ、今閃いたことが確かであれば、完全に勝機が消えたわけじゃないね」
『魔人』は『神術』を使うけれど、持てる力がそれだけという訳では無い。
リーベちゃんにかけられた『輪廻転生の呪い』はイレギュラーにしても、『魔人』には種族があり、ひいては各々の種族が持つ『性質』というものがある。
極端に言えば、人は二足歩行で歩き、犬は四足歩行で歩く原理と一緒だ。
つまり、『神術』と性質で発揮されるものというのは似て非なるものであり、別個となる原理であると。
「きゃはっ、きゃはははっ! 『神罰』ねえ……いいよ、やってみればいいじゃん。それで本当にわたしを駆除出来るのなら、の話だけれど」
「ふむ、神に抗う術があると?」
「術──確かにそうかも。方法を取るってところは同じだからね」
『ツキウサギ』であるわたしが持つ性質というのは、生物の魂を自在に使役出来るというもの。そこには『憑依』というアクションを挟むのだけれど、着目すべき点はそこではなく『魂の所有権』にある。
『神術』ではなく性質。生まれながらに備わっており、能動的な術とは異なる自動的なそれ。
であれば、意図して発揮する力が封じられしこの場所でも、性質であれば自然的に発動し、反映出来るのだ。
それに──
「それに、いくら『神様』と言っても、それは『この世界』に限る話でしょ? 万象の裁定者として月から送られたわたしにも、アンタと同等の力が宿っていても不思議じゃあないよねぇ?」
「なるほど、その考えにも一理あるね」
「驚いたわ……『神様』を目の前にしてそこまで強気な者が居るなんて……」
「へへっ、えへへ……」
素直に照れてしまった。
だって、リーベちゃんを追いかけることはあっても、彼女が振り向いたり逆に追いかけ返してくれることはおろか、真横で肩を並べたりきちんとテーブルについてお話をしたことなんて大昔以外で稀にあるか無いかという程の少なさだったから。
このままわたしのことを認めてくれたら一番いいのだけれど、ことはそう都合良く進んではくれないと思う。しかし、振り向かせる方法というのは、既にここに存在する。
というか、それがたった今湧き出てきた閃きなのだけれど。
「さて、『ツキウサギ』の名を冠する月の使い魔、アヌリウム・クロールド。そして『魔神ノ子』を謳いし悪魔族、リーベ・アザヴィール。今ここで、私が君達に罰を──」
──遮るように、否定するように。
『神様』の宣言を、漂う魂を集結して形成させた一つの巨大な光の玉を向けて、待ったをかける。
「その前に、わたしはアンタに果たし状を送るよ! 内容は……そうだね、下剋上の駒としての役割を果たして頂けないでしょーか?」
「中々面白いことを言い出すね。でも、いいのかい? 理の頂点である私に牙を向けるということは、世のすべてに対して叛逆の意志を示すこと他ならないが」
『神様』からの有難い忠告を聞きながら、全身に行き渡り蠢く力を一点に集中させ、虚空をなぞって光の玉を槍に変化させる。
何にも染まらない、ただただ煌々と純白を纏う、神を穿つ槍。
それをくるくると回転させて右手に持ち、腰を落として構える。
「関係無いね。例え世界の全てが敵に回ろうが、わたしはリーベちゃんと過ごす永久の平和さえあればいい……それだけを望み、その為に全てを壊す。それが願い。それが運命の終着点。そして、もしそれが、何ら変わらない不条理で理不尽な運命によって潰えようとしているのなら──」
固められた覚悟は揺るがず、定められた決意は寸分違わず胸の奥に鎮座して。
両の足を思い切り踏みしめ、叛逆の矛先を突き付けて理の王を睥睨し、
「──神をも殺して、そのクソみたいな運命を書き換えてやる‼」
──我が物顔で世を統べる絶対的概念に、叛逆の槍を突き刺した。
ものの一瞬の出来事だった。
刹那に走った一閃。
覆される理。
悠々と漂う光の奇跡が時を奪われ、眼前のそれは意義も意味も全てが無為の塵と化していく。
──変革の刃が届いたのだろうか。
だとしたら、もしそうなのだとしたら、本当にこれで世界は思うままの姿に塗り変わる。
だって、あの『神様』を殺したのだ。この手で。正真正銘、わたしの力で。
この世の理そものもが、今目の前で消え失せた。
時が奪われて色を失ったこの草原も、いずれわたしとリーベちゃんの披露宴会場となるだろう。
世界の心臓を穿ち、障壁となるものをことごとく排除した。これで、本当に、もう誰にも邪魔されることは無い。二人だけの世界の確立。甘美な理想として思い馳せることしか出来ないと思っていたそれが、目に見える形としてはっきりと具現される。
「きゃは……っ」
思わず笑みが零れ出す。
「きゃはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッッ‼」
何が神だ。何が理だ。何が唯一無二の概念だ。
呆気なく、惨め極まりない形でわたしに殺されたではないか。
こんな矮小で軟弱な大王気取りのお山の大将が、都合良く積み上げられた玉座で胡座をかきながらわたしとリーベちゃんの花道を邪魔していたというのか。
身の丈に合わない責務を全うしようとしたから、わたしのような叛逆者に寝首をかかれるようなことになるのだ。
拍子抜けだ。失笑に続いて嘲笑。挙句、憐れみさえ込み上げてくる。この者と、こんな者の掌で踊らされていたわたし自身に対して。
「……神は潰えた。今ここに、概念は沈み! 絶対の根底は崩落し! 全知全能なる偶像は空虚なものとして跡形もなく消え去った! これで、これでわたしは……わたしは──!」
と。
豪快に両手を広げて天を仰ごうとしたところで、世の全てを笑い飛ばそうとしたところで、ある不可解な点に気付く。
知らぬが仏とは言うけれど、知ってしまったからには仕方が無い。というより、気付いてしまったからこそ返って良かったという結果になるのだろうか。
止まっていたのは、わたし以外の『全て』だった。
「……リーベ、ちゃん…………?」
振り向いて、最愛の人の名を呼ぶ。当然のことながら、わたしの呼びかけに応じることは無い。だって、彼女も時と色を奪われているのだから。
「なんで……何が、どうなって……」
わたし以外の全てから『生』が損なわれ、時の流れが、色彩が、全てが失われていた。
音が。香りが。温もりが。生命の兆しが。
モノクロで統一された、虚無が支配する空虚な世界。
閑散と、静寂が、寂寥が、とめどない恐怖として襲いかかる。激しい目眩と頭痛が嘔吐感を齎し、手に口を当てながら懸命に堪える。
しかし身体は脱力し、芯を失ったかのように萎れて崩れ落ち、両手両膝を無機質な芝生について思考の停止を悟る。無理解の空白によって頭を支配され、途方も無い虚無によって生気が枯渇していくのを漠然と、他人事のように感じる。
──『神様』を殺したから?
絶対の理に抗ってはならなかった。
──『神様』が死んだから?
統べる者を消してはならなかった。
──『神様』が必要だった?
頭を下げてでも協力すべきだった。
嗚呼。どうしてこんなところで道を誤った?
「違う……わたしが、なればいい……わたしが……『それ』になればいい……ッ! ただそれだけのことでしょ‼」
全てが静止した世界に問いかける。
「玉座から引きずり下ろしたのだから、今この瞬間からわたしがそこへ座ればいい! それだけの……こと…………」
しかし、虚無は何も答えない。
「…………孤独は……嫌だ……孤独は──」
その瞬間。
『これがお前の罪だ』
何者かの声──いや、音声としてではなく、直接心に刻み込むような形で、告げられる。
『人は死ぬ時に誰しもが孤独を感じる。今からお前は、自分の利己心によって味合わせてきた無数の孤独を味わう』
淡々と、しかし激情が眠れる言葉が懺悔を促してくる。積み上げてきた骸の数の分だけ、怒りを投げかけてくる。
でも、恐らく、これは懺悔でも無ければ贖罪でも無く。
これは──
『──「地獄」を味わえ』
おかしな話だった。どこにも記されているのが見えない文字が、わたしを底無しの恐怖に陥れる。
嘆きたくても声は出ない。今更ひれ伏せて懇願しようにも、身体は動かない。
──『地獄』は、始まろうとしていた。
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