第十話『血染めの雨に打たれて』

 屋敷に着いて、仲間の屍の数々を前にして。

 魔法の残滓や村での惨状を照らし合わせ、全てを理解した。

 全てに虚無を覚え、崩れ落ちて、空白にでも染め上げられて魂を放棄したかのように。


 無心で無作為に、無意味だと知っておきながらも、ゆらゆらと両手を動かしてある筈の無い希望の灯を求めて山を掻き分ける。

 皆、魔法で変貌しているだけだ。


 ──魂の面影は無く、冷ややかな温度だけが残滓する。


 きっと何かの悪い夢で、ふと目覚めたら全てが元通りになるだろう。


 ──血と骨肉が織り成す死の現実が、五感を絡め取って離さない。


 屋敷で共に過ごした仲間が、死んだ。

 皆、死んだ。呆気なく。散り際の一言すら聞けぬまま。死んだ。何故、何故。何故? 何故何故、何故何故何故何故何故何故何故何故‼

 もはや枯れて出ることの無い涙を憎く思い、この惨劇を引き起こしたアヌリウムに、堪えようが無い憤怒と溢れんばかりの憎悪を浮かべる。

 しかし身体の芯に力は入らず、あまりに残酷で残忍で、不条理で理不尽で、受け止めきれない現実とは程遠くかけ離れた悪夢の様な現実を前にして立ち尽くす。

 しかし、そこで、見つける。

 死が蔓延る血の海の真ん中で、短剣の剣先を喉元に向けている少女を。

 衝動的に踏み出した。

 無我夢中で駆け寄った。


「ルチスリーユッ‼」


 自分でも驚くほどに叫び、飛び掛かる勢いで抱き着き、そのまま押し倒す。そして、抱き締める。その拍子に彼女の手から短剣が零れ落ちる。

 希望の灯が微かに灯って揺れていることに、そこにあることに、ルチスリーユが確かに自分の腕の中で生きているという事実に、堪えようが無い安堵感を覚える。

その感覚に有無を言わさず、自問自答すら為さない己の精神がどれだけ矮小なのだと自己嫌悪しつつも、今はその微かな暖かさに身を委ねていたかった。

 しかし、その一方で、彼女が寸前に行っていた動作が遅れて脳裏を過る。


「…………っ」


 ルチスリーユは自刃しようとしていた。

 蘇る懺悔の言葉。彼女が、ただ一人で夥しい量の屍の数々を前にして立ち尽くし、生気が失せた虚ろな瞳で、喉元を捉える刃先を見つめていた理由。

 ああ、そうか。そういうことだったのか。では、もう。本当に──


「…………あなたは、悪くないわ……」


 掠れた声でそう言って、私の額とルチスリーユの額を重ね合わせる。

 いつもなら即座に熱くなる筈が、今では全く体温が感じられない。包み込むような眼差しを向けてくれた瞳も色褪せたかのように焦点が合っておらず、どこを見つめているのかも分からない。呼吸は今にも途切れそうだ。

 

 けれど。だとしても。

 ルチスリーユは、生きている。心臓の鼓動は鳴り続け、温もりは消えていない。

 五体満足で。臓腑を零すことなく。身体の上下が途切れていることが無ければ、身体中に何かが串刺しになっていることも無い。

 生きている。生きているのだ。生きてくれているのだ。

 それだけで、光明が差したかのように心がふわりと軽くなり笑みすら浮かべそうになる。

 しかし、その光が満面の笑みを齎すには程遠く、心を覆う黒い霧を晴らすことも無かった。

 全てが終わり、時が止まってしまったかのように。

 仲間の屍の海の中で二人、壊れた機械人形のように、停止した。



 どれくらいの時間が経過したのだろう。

 肌寒さや、頭が鉛の様に重い感覚が、まだ生を享受しているのだという証明になり、己の中ではとっくに終焉を迎えている世界で、未だに生き残ってしまっているという耐えられない現実を突きつけてくる。

 頑張れないと、無理だと、髪を振り乱して泣き喚くことが出来たらどんなに楽だろうか。

 ブディーディは──お父様は、きっと落胆することだろう。信じて送り出した娘が、今ではすっかりその役目すら投げ出して、自分と同じ場所に来ようとしているのだから。


「…………ぁぁ……し──」

 

 死にたいと。

 自然と、意図せず、言葉が出そうになって。


「──リーベ…………さ……ま……」

 

 それ以上に、ルチスリーユが唇を震わして名前を呼んだことに、心臓を鷲掴みされたような驚嘆と、罪悪感を覚えた。

 だって、私は今、全てをかなぐり捨てて逃げようとしたのだ。

 きっと、私以上の喪失感に襲われ、深い底無しの闇に飲まれているだろうこの子をも見捨てて。

 そのようなことは、そのようなことだけはあってはならない。

 駄目だ。

 まだ、まだ少しでも希望があるのなら、前へ進まなくては。 


「……あなたは、少し休みなさい…………」

 

 そう囁いて、私は決意した。

 

 決意した──。

 


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