第六話『主と使用人』

「なん……で……」


大気は唸り、纏う風は慟哭し、二本の刀の切っ先は、こちらを捉えている。

漆黒の霧が晴れ出した山頂の上空で、私と相対する風魔術師が一人。


「契約上、あの方の意向には背けないでやんす……だから、お許しください。姫様」


そう言って、魔術師──ブディーディ・ヴァイルド・ヴェイジールは、罪悪感に駆られるようにして碧眼を伏せる。

周囲には同じ色を帯びた雷が残滓している。

ゼロニアの従者によって幻惑魔法が発動され、そこで生じた亜空間に、ゼロニアとアヌリウムが蒼原森檎を攫ったまま飛び込んだ。

それを追撃しようとした矢先に、風雷の砲撃がそれを阻んだのだ。


「何を言っているのか理解出来ないわ。今の、どういうつもり? 度を超えた冗談なんてあなたらしくないわね」


「残念ながら、これは冗談でも自身の力の誇張でもございません……わっしの契約者、アヌリウム・クロールド様に命じられたほかありません」


「アヌリウムが……契約、者……?」


何故、そこであの女の名前が契約者なんていう立場で出てくるのか。

そもそもブディーディは、先程まで私がマークしていたゼロニアを追従していた筈だ。そこでアヌリウムも共犯関係にあると分かり、私の標的は彼女にすり変わった。

元々、事ある毎に絡んできたりちょっかいを出してきたりしていたが、まさか『禁薬』の密輸に関わっていたとは思わなかったが。

そして、ブディーディの言う通りに、彼女が彼の契約者であると言うならば、いよいよ笑えなくなってくる。


「……五年ほど前のことです。ヒユウ公国での観光中に、クーデターによって巻き起こった大紛争。友人が巻き込まれた関係上、わっしもその紛争の中に身を投じて戦いました」


「でも、その戦いのあと、あなたは無事に帰ってきて──」


「『魔術精霊』……として、でやんす」


「──ッ!」


「あの戦いで、わっしは死んでいた筈でした。止まることの無い敵の猛攻、理不尽なまでの戦力差……にも関わらず、わっしはそこで刹那の隙を与えてしまった……あの時、もしアヌリウム様が助けてくれなければ、あの場所で朽ち果てていたでしょう」


とても作り話とは思えない。

しかし、それがもし場違いな冗談、戯れだとしたらどんなに安堵したことだろう。

ブディーディは、私に仕える使用人の中で最初に忠誠を誓ってくれた男だ。

もっとも、『この人生』の中での話だが。

朧気に思い出す古い記憶──はるか昔に過ごしていた故郷での日々。安寧が続くかと思われた矢先、人間か他の種族による『魔族狩り』が行われた。

彼らとの戦いの中で、自我を失って暴走した私は、一人の人間が身を挺して止めてくれたことによって自我を取り戻した。

だが、それからというものの、私は故郷の長である『魔王』によって『転生の呪い』をかけられ、それ以降は幾度となく輪廻転生を繰り返してきた。

断片的な記憶を持って。


「…………」


何故、アヌリウムはそこまで私に執着するのか。

何故、彼女はブディーディを──


「すみません、姫様、どうやらあまり時間は無いようでやんす」

「何が──」


瞬間。

一瞬で間合いを詰めたブディーディが、二本の刀を交差させて迫り、周囲には数多の風雷の渦が発射を待ち侘びている。

刀による先制攻撃と魔法の同時発動。

嫌でも彼が本気であることが分かった。


「──パレス」


『魔人』が持つ『神術』。

悪魔族が持つそれは七つで、一つの術として統一されている。

その内の一つ──『怠惰』を司る術を発動させ、ブディーディや魔法を含める全体の速度を低下させる。

その間に後方へ下がり、


「アンピュルテ! オルグイユ!」


『色欲』を司る術で風雷の魔法を同じ大きさの岩片に変化させ、『傲慢』を司る術で一時的な操作権を我がものにしてブディーディに向けて発射する。


「──ッ‼」


速度低下が解け、岩片に変貌した魔法が自分自身に襲いかかり、短く息を吐きながら私と同じように後方へ跳躍する。

しかし、彼に宿る碧眼には密かに高揚が秘められているのを見逃さない。


「よかったです……時間が迫っている中、最期のお相手が姫様で……」


「最期……? あなた、何を言って──」


「吹き乱れろ、嵐乱射!」


「──⁉」


ブディーディの意味深な台詞について言及する暇も無く。

詠唱直後、突如彼の周囲に出現したのは、風雷砲の数を超える幾多の魔法陣だった。

翡翠色のそれを即座に打ち消さなければならないという、反射的な危機感が全身を駆け巡る。

魔術において、『詠唱』を用いる三段階ある内の二段階目。

基本的に彼の戦い方は、二本の刀を出現させ、それを駆使しての肉弾戦や詠唱無しの一般魔法、そして一段階目の『嵐砲射』が多い。よって、その威力の程は完全に推し量ることが出来ない。

そのように思考し、次なる一手を発動させようとした直前。


──左目の端で唸りを上げる微かな碧雷が映る。


「パレス!」


──無数の風雷の柱が放たれる。

『怠惰』で時を遅くしても、一つ一つが音速を超える速さで形成される砲撃の全てを避け切れる筈が無い。


「コレール!」


『憤怒』を司る術で雷撃を発動し、相殺させる。

彼の魔法と似たような射出空間が周囲に展開され、アメジストの如く煌びやかなそれは、紫雷と黒雷を織り交ぜた災厄を解き放つ。


「姫様とこうして戦うのは──」


だが、光と音が炸裂し、それらが消えた時。


「──出会った時以来でやんすかね!」


噴煙の中から、二本の刀の切っ先が現れる。


「どうだったかしら……!」


甲高い金属音が鳴り響く。

二つの刺突に対し、獰猛な爪を拮抗させたからだ。しかし、それは『色欲』によって変化させたものではない。


「『輪廻帰り』……でやんすか」

「部分的だけれど」


獰猛で、邪悪で、不気味な両手──悪魔族特有のそれを、部分的に解放したものだ。

長く鋭い漆黒の爪に、人の面影を残しながら黒と紫が入り混じり、摩訶不思議なテイストが施された腕。展開していた翼も一際大きくなり、紫雷を撒き散らす。

極めつけは、右目に感じる痛みと熱。

恐らく、紫紺の魔眼へと変貌しているのだろう。猫の目のようなそれは、人の段階で制御している時と比べ、遥か遠方を見渡せる視力と人間を容易く超越する反射を可能とする。


「やはり美しい……それでこそ、姫様です!」


「お世辞じゃないってことは目で分かるわ!」


──交錯する。

風雷と黒紫雷が狂宴する中で、二人の人間を模した怪物が、音を置き去りにする速さで交錯する。片方は純人種なのだけれど、という突っ込みは、実は精霊でしたなんていうカミングアウトのお陰で無効となる。

思えば、風魔術という名の何でも魔術と呆れながらも感嘆し始めたのは、彼がヒユウから帰還した直後かもしれない。

その時も、その時からも、最古参の使用人の変化にすら気付けなかったなんて、自分に嫌気が差す。

けれど。


「姫様と本気で乱舞出来ているこの瞬間を、わっしは永久に忘れないことでしょう」


「あら、それは主冥利に尽きるわね……でも」


目まぐるしく位置転換を繰り返しながら、爪と刀、魔術と『神術』を交錯させる中で、やはり違和感は拭えない。


「あなた……魔力が……」


「──それを理由に手でも抜かているのなら、心外でやんすね」


「────」


落胆したかのように、そして咎めるかのように碧瞳を揺らし、私を真正面から射抜くブディーディ。

どうして。そこまでして。


「……姫様、本気で来て下さい。わっしも、臨界点まで力を使い果たす覚悟で参ります」


焦り、誤魔化すのだろう。


「……それが、あなたの覚悟なのね」


「左様でやんす」


ブディーディが私に何かを要求し、願いをせがむようなことは、今まで一度として無かった。

最初にして最後の願い。それが私との未練無き一騎打ち。

何故、という疑問は渦巻いては消えない。

彼がアヌリウムの契約魔術精霊だということも、『ヒユウ』の戦域で死していたという事実も、本当は信じたくは無い。

でも。だとしても。


「いいわ」


右手を虚空に伸ばし、開いた亜空間から黒紫色の大剣を取り出す。


──覚悟を、決める。


ブディーディは。

彼は、アヌリウムと契約している『魔術精霊』と言っているが、一度として、アヌリウムの『従者』であるとは言っていない。

私への忠誠は永遠不変であると。

だからこそ、彼の一度きりの願望に、全力で答えなければ嘘ではないか。

大剣の切っ先をブディーディに向ける。


「全力で迎え撃つ……!」


心の底からの決意を言葉に紡ぐ。そんな私を見て聞いた彼は、一瞬表情を綻ばせ、そして。


「……有り難き、幸せ!」


二本の刀を左右で構え、笑みを浮かべる。


「行くわよ」

「参ります」


時が静止し、やがて。

二人の残像だけがその場に留まり、青く澄み渡る空に、紫紺と翡翠の軌跡が乱舞する。

剣戟が荒れ狂うと共に、双方が従える災厄は自然をも揺るがし、爪痕を刻んでいく。

両者の戦いも、『神術』と魔術、『魔人』と人間の交錯も。

全てはこの一瞬、この一戦という記憶を心の奥底に刻み込むために。

主は願いを叶える。

従者は最期を惜しみなく過ごす。

最期の、時を──。


「吹き狂え──」


ブディーディが、最後で最高の詠唱を紡ぐ。

巨大な翡翠の魔法陣が彼の背後に出現し、大気が鼓動する。


「来たれ終焉よ、万象を覆せ──」


それと呼応して、私の持てる最高の『神術』を発動する。

巨大な紫紺の文字盤が私の背後に出現し、大気が躍動する。


「嵐爆散!」


「ラ・ファン!」


各々が放つ最高位の術が、今、激突する。

世界が色彩を失った。

音も、光も、香りも。

自身の位置把握さえ明瞭さに欠け、理解は彼方へ追いやられ、自失と覚醒が点滅の如く繰り返される。

人ならざる者であっても理解や認識を越えた超常的衝突。

あの愚鈍な馬鹿畜生なら、即座に気でも失っていたことだろう。

何故そこであの者が浮かんだのかは分からない。

でも、分からなくてもいいのだ。

理屈を欠き、筋が通らない自分らしくも無い考え。

それもこれも、この戦いのせいだろうか。

虚空を漂い、正解の自問自答をする。

何にせよ、後悔はしたくないし、して欲しくもない。


ねぇ、ブディーディ。

あなたは、幸せだった?

私は──


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