第四話『肉薄』

「……………………………………………………………………あ………………………?」


 夢現を彷徨していた意識が現実に回帰し、朧気に霞んでいた思考が茹だったかのようにして白熱する。

 どこかの部屋の中だろうか。

 灰色で統一され、家具が最低限しか置かれていない、狭く、簡素な殺風景。その中心で、椅子に座らされている俺と、正面に立つ二つの人影。

 反射的に状況を把握。しかし、それは本当に一瞬のことで。

 気の抜けた声が漏れるや否や、解き放たれた野生の獣の如く手足を、身体を動かす。


「が、あああ、ぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああッッッ‼」


寝起きの嬌声は心臓や喉に悪い。けれど、そんなことはお構い無しに声にならない声を張り上げる。手足が拘束されたまま椅子に座らされていることとか、目の前に金髪の若者と白い服の中年が居てこちらを見ていることとか、そんなことはどうでもいい。

叫ぶ。暴れる。

とにかく叫んで喉が焼き付き、暴れて次々と手首足首に擦過傷が出来上がっていく。鋭い痛みや鈍い衝撃が脳に伝えられ、それを自覚するも、止めることが無く、ただひたすらに。

ただひたすらに悶え、狂い、果てに激昂し、


「うるさいよ」


鳩尾に一発、金髪の右手から繰り出された拳を食らい、叫びと呼気が停止する。

直後、視界が揺さぶられる様な激痛と胃に穴が空くような感覚が、込み上げてくる吐き気と共に全身へ伝播する。


「――…………は、ッ、あ、がっ、はぁ、はあ…………」


「爺、少しやり過ぎたんじゃない? 運ぶ時もそうだったけど、今もまだ狂乱しているままだよ?」


「申し訳ございません、お坊ちゃま。しかし、恐れながら申し上げますと、あちらの陣営には最高位魔術師であるブディーディ・ヴァイルド・ヴェイジールの姿がありました。あの者を出し抜くには、やはりこちらも最終手段に打って出なければ、今頃は…………」


「まあ、それもそうだよね。先生を連れてきちゃったことに関しては完全に僕のミスだよ。彼、ああ見えてまだ『遊び』段階なんてイカれてるよ。僕の方は既に『狂い』の段階まで出してたっていうのにさ」


激しく咳き込む俺を他所に、二人は彼らにしか分からない話をしている。

そして、それがひと段落着いたところで、金髪――ゼロニアが屈みこんで俺を真正面から見据える。


「さて、大人しく……ではないけど人質になってくれてサンキュー。安心してよ。僕達は君を殺すつもりも拷問する気も無い。ただ人質としてここに少しの間監禁されてもらっていてくれれば、それだけで君の役割は終わりだ」


「……さっきから勝手に物事進めてんじゃねえよ……クソ野郎が、ここはどこだ! あいつらはどうなった⁉ そうそうやられるようなタマじゃねえとは思うが……それでも、万に一つ何かがあってみろ! 無力ながらに精一杯思考張り巡らしてお前ら全員――」


「だからさあ」


置かれた不可解で無理解な状況への不安や恐怖を置き去りにし、目の前の敵に対して噛み付く勢いで、ふつふつと沸き上がる憤怒を吐き出していく。

しかし、それはゼロニアの右手が頬を鷲掴みしたことによって、物理的にも気迫的にも中断される。

今までの飄々とした様子とは打って変わって、開かれた黄金の双眸は威嚇に留まらない、尋常じゃない殺気を放っていた。能面の様に感情が消え去った顔からは、一切の温情を感じられない。


「騒ぐんじゃねえよ。そうやって無為に泣き喚いたところで、助けは来ないし状況も変わらない。お前は大人しくしてりゃあいい。不条理を憎みたいんだったら、さっきまでの弱い自分を憎めよ」


「…………なに、自分達が正しいみてえな口弁を垂れたんだよ。どこの世界にも、お前らみてえに自分本位で他人傷付けたり犯罪したりする奴は居る――」


左頬から、鈍く、途轍もなく重い衝撃が走った。

白目を向き、首が取れるのではと思ったけれど、その時には既に視界の端に靄がかかっていて…………


「そのまま気でも失っていろ」


続けて、右肩に訪れた打撃や右に横転した世界を訳が分からないままに認識し、何度目か分からない浮遊感に身を侵されながら、左端でゼロニアの顔を睨みつける。

表情は分からなかったけれど、唇に歯が食い込んでいたことは、分かっ、た――……


**

 

そもそも気を失うなんて経験をしたことが無く、そんな未知なものをこの世界に来てから、つまり昨日から、現時点で四回も味わう羽目になっているのは、なるほど一体何がそうしてそうなったらこうなるのか。


「ゼロニアもキツいことするねぇ~、いきなり殴るわ蹴るわ……大丈夫? ちびってない? リーベちゃんならともかく、アンタのおしめの世話はしたくないんだけど」


「チビってねえし、仮にそうだったとしても人に世話されるなんて気まずいことは頼まねえよ。というか、リーベがともかくっていう判定は、百合趣味の俺としては喜んでいいものなのか」


「うっわー、なんか分からないけどキモいこと考えてるってことは分かる! 止めてよねっ! あたしとリーベちゃんをアンタのおぞましくキモいモーソーのダシに使わないでよね! 殺しちゃうよ?」


「使わねえとは言い切れないけれど、多分、お前はねえよ! そして俺をそんな汚物を見る様な目で見下してんじゃねえ‼」


あの金髪野郎から理不尽な仕打ちを受けたと思えば、今度は変態(リーベに対して)バニーギャルことアヌリウムのご登場である。

それからというものの、俺は不憫なことに、この女からも、ゼロニア程でないにしても、ほどほどに酷い扱いを受けているのであった。

しかし、先程とは打って変わって、アヌリウムの方がまだまともに会話は続きそうである。何にせよ、急に左頬に蹴りを食らって気絶させられるようなことは無いだろう。

少し遅めの状況整理といくが、今現在、ゼロニアとアヌリウムが共謀している『禁薬』の密売もしくは密輸に人質として巻き込まれていることぐらいしか分からない。

拉致されている部屋の造りは非常にシンプルで、灰一色で統一された床や壁、天井といった無機質な一室の中心に椅子一つ。俺はそこに、これまた手足を縛られて拘束されている。  

この状況が続くようだと、尿意は勿論、お尻にも負荷はかかるのでその内痛くなってくるだろう。一応、今履いている『自進車』用のパンツは、『元世』と同じくクッションが内蔵されているので、少しは痛みを軽減できるとは思うが。

中学時代の卒業式練習を思い出す。あれは最悪だった。何が最悪って、四時間ぐらい殆ど一定の姿勢を保ち続けて起立と着席を繰り返すのだから。後者はともかく、今は座り続けている状況である。早く終わって欲しい。尿意が込み上げてくる前に。

そのために、早速切り札を切る。


「アヌリウム。突然だが、リーベと決闘、もしくはデートが出来たら嬉しいか?」


「え? そりゃあ嬉しいよね、うんっ! 最高だと思う!」


「じゃあ、それがもし叶うとしたら喜ぶか?」


「そんなことが出来るの? まあ、実現したら喜ぶと思う!」


「もしそれを俺が実現したら、代わりに俺の願いも聞いてくれるか?」


「うーんー、そうだね! 実現出来たら聞いてあげるよん」


 オーケー、オーケー。作戦と言うほどでも無いけれど、とりあえずアヌリウムは攻略出来そうだ。


「じゃあ、必ず、俺はお前とリーベのデートもしくは決闘をセッティングすると誓う。必ずだ。だから、先に俺の願いを聞いて頂きたい。ストレッチをさせてくれ。それだけだ」


「えっ⁉ マジで⁉ ホントに言ってる⁉」


「ああ、必ず。必ずだ。俺は約束をきちんと守る奴だからな」


「でも、今はお仕事優先だし。それに、ストレッチするためにはアンタの拘束解かなくちゃいけないし。あー、危うく乗せられるところだったわ」


……あれえ?

随分と順調に事が運んでいたような気がするけれど、もしかしてそれは気のせいだったのだろうか。この女、馬鹿そうにみえて意外に頭が回るとかいうギャップを備えているのだろうか。

そのアヌリウムは立ち疲れたのか、俺から見て斜め右にある角のスペースに背中を預けると、そのまま下へ沈み、座り込む。スカートは短いのに、中が見えるというラッキースケベは無い。くそう。

そんなことを考えている場合では無かった。


「じゃあ、トイレに行かせてくれ。一時的な拘束の解除なら問題は無い筈だろ」


「トイレ行きたいの? じゃあ……ほいっ」


 そう言って、気怠そうに懐中時計型の霊装を俺に向けて発動させる。直後、白光が俺を包み込む。


「おわっ⁉」


「これでチビることは無いよんっ」


すると、身体――主に下腹部辺りが軽くなり、そこがスッキリしたような気持ち良さを覚える。

さらに言えば、微かに抱いていた尿意が失せたような――


「まさか……」


「そだよー、そのまさか! アンタのチビリズムが消えちゃいました~! ぱんぱかぱんぱんぱ~ん!」


「なんでもありか‼」


「あたしも大事な時にチビった時にこれ使うんだよねー。いやあ、便利便利!」


「女の子がチビるとか言うな! なんかあれだな。アヌリウムさんは男子高校生が抱く理想の女子像をことごとく破壊したいみたいだな」


学校にもよるのだろうけれど、女子校というのは、その華やかな二つ名に反して荒れているところはとことん荒れていると聞く。だから、男共が抱いている幻想は幻想に過ぎないのだと、女子校に進学した友達から聞いた。女の子の裏の顔や生活の実態というのも同様であると。

そんな現実的な話を異世界に来てまでするものでは無いな。うん。

話を元に戻そう。これは凄い。霊装や魔法は使いこなすとここまで出来るものなのか。今の魔法を使えば、電車の中でお腹を下した時も、映画の途中で尿意をこじらせた時も、これで万事解決である。薬品を投与するより効率的解決である。

だけれども。確かに、ある意味で、最高の、魔法かもしれないけれど、尿意が引っ込んだら、そもそも拘束を解いてもらう口実が無くなってしまう。


「あー、これは凄いな。幸運を手足のように扱うことが出来ると、こういったことまで出来るのか。流石は『ツキウサギ』さん」


「でっしょー? だから、これで当分はトイレ行かなくても済むよ~」


「確かに尿意は収まった。だが、しかし、だ。ずっと同じ態勢でいると、血流の巡りや気分が悪くなる。最悪の場合は命の危機にも関わるかもな。ゼロニアは俺を殺すつもりは無いらしい。お前も俺を顔面蒼白のまま屋敷に返して愛しのリーベから罵声を浴びたくはないだろう?」


「リーベちゃんからの罵声ならどんとこいだよ! 軽蔑するような冷たい眼差しも鋭く尖ったような声もマジで最高‼ この前ね? 霊装を使って、突風を吹かしてスカートめくりしようとしたんだけどさ。そしたらバレてて、背後に回られて焼き殺されそうになったの! ウケる!」


「ウケねえよ! 確実に殺しにきてるだろ、それ! っていうか、何だその最近の小学生でも浮かばなそうな発想は! じゃなくて、俺が体調不良に陥ってしまったらってことについての話に戻るぞ!」


また話が逸れてしまった。この女、敵意や殺意と言ったものは全く感じられないが、変なところで勘が働き、肝心な役目はきっちりと全うしてやがる。なんか、俺が敵役みたいな考えだが、現状、捕えられているのは俺である。

そして、現状を最もよく理解出来ずに巻き込まれているのもまた、俺である。


「もういいや。ズバリ聞くけれど、お前達の目的は何だ」


「ほーう、ようやく聞き出したねん。最初からそうすればよかったのに」


 つまりは最初から遊ばれていたということだろうか。


「アザヴィール邸の弱みを握るためか? それとも財宝、財産……」


「はっずれ~。っていうか、今更信じてもらえないと思うけど、あたしたちは別にリーベちゃんたちに危害を加えるつもりは無いワケよ。どうあがいてもボロ負けする展開が見えてるし」


オーソドックスな推測を、アヌリウムがうさ耳を左右に揺らしながら得意げな笑みを浮かべて真っ向から否定する。少しムカつく。


「じゃあ、何が目的なんだよ」


「えーと、見張りの霊装や魔法は無しっと。どうやらあたしたちは結構信頼されているみたいだねん」


「……?」


懐中時計型の霊装を、今度は部屋中に向けてかざし、一人勝手に頷いてポケットに仕舞う。


「じゃあ、ネタばらしといこっか。まず、あたしたちがアンタを捕えた理由は、組織の上層部に命令されたからなんだけど、はっきり言うと、そいつらを出し抜くために味方のふりをしているに過ぎません」


「出し抜く……? いや、そもそも組織って言うのは何だ。『禁薬』を密輸したり密売したりしている組織ってことか?」


「そだねん。『禁薬』という『副産物』を街中に流入させながら、どでかぁい術式を展開しようとしているクソ野郎共のことだよ」


「副産物……? 術式……? 待て待て。順を追って説明してくれ。今すぐ頭の中でメモるから」


突如出てきたキーワードと、未だに落ち着かない頭を整理するべく、暫し深呼吸。

そして、お互いの準備が整ったところで、アヌリウムは語り出す。


この、アザヴィール魔公区域の裏で蠢いている、闇を巣食う影のことを――。



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