第六話『狂乱の宴』

 ガレージに『自進車』を置き、だだっ広い庭園をパンパンの脚を引きずるようにして歩き、ブディーディと共に玄関の扉を開けたところで、美少女と美女が出迎えてくれた。


「遅かったじゃない! 愚鈍でのろまな挙句自分に与えられた餌すら冷ますなんて……」


 開口一番、ツンデレ娘の決まり文句かと思いきや後半、人を犬のように侮蔑するかの如く罵倒を浴びせにきました白いワンピースに身を包む美少女は、リーベ・アザヴィールこと腹黒令嬢。

 両手に花かと思いきや、早速この方、ダウトである。


「怪我はありませんでした? 初仕事なのによく頑張りましたね!」


 続いて、最高のお姉さんが心配そうに私の勇姿を確かめてくれたと思いきや、最優のお姉さんの如く褒めて下さるメイド服に身を包む最強のお姉さんは、ルチスリーユ・ヴェロニカル・ヴァイオレット・ホワイトリリースこと最上のお姉さん。

 お花の如く麗しき美女である。


「まったく、馬鹿畜生如きに使った思考が無駄に感じて仕方が無いわ。あなたの思考時間、少し分けなさい」


「夕食はまだ始まったばかりなので、安心してお風呂で汗を流して来てくださいね? あ、よかったら案内しようか?」


 悪魔な悪魔過ぎる腹黒少女。

 天使な天使過ぎる最優のお姉様。


「二人の差ッ! 言葉の差よ!」


 こうも正負、明暗、寒暖の差がはっきりと出てしまうと、かえって笑いすら込み上げてくる。


「とにかく、早く夕食の席について料理を食い漁りなさい。形式はバイキングだから、雑食系動物のあなたには最適でしょう?」


 そう言って身を翻し、口角を釣り上げてちらりとこちらを一瞥し、正面に聳え立つ階段を登っていく。

 というか、雑食系動物は俺だけではなく、人すべてにに当てはまると思うのだが。


「さあ、さあ、汗を流して着替えて、早く夕食を一緒に食べましょう! 私、蒼原君に色々と聞きたいですっ」


 対してルチスリーユ先輩は、両手を合わせて左右に揺れながらお風呂の催促をする。

 可愛い。

 振り子運動の反動で栗色の長い髪も釣られて左右に揺れ、ふわりと甘い香りが漂う。

 いい匂い。


「そうでやんすね! どうです? 良ければ一緒に入りましょう」


 惚けている場合ではなかった。

 ブディーディは、変態風魔術師は、一瞬の風切り音と共に桶のような物と白いタオルを用意し、それを右腕と脇に挟んでそわそわしている。

 風魔法とは一体。


「そうですね。では、お言葉に甘えてお先に入らせて頂きます。よし、案内してくれブディーディ」


「ほいきた!」


 かくして、ルチスリーユ先輩に一礼し、友達のようにブディーディの肩を軽く叩き、まだ見ぬ浴場へと思いを馳せながら、疲労困憊の肉体を引きずっていくのだった。


**


 正面玄関から大きく迂回して奥へ進むと、そこには大浴場があった。

 男女で分けられており、暖簾もきちんと青と赤。

 完全に、ホテルや旅館にあるようなそれである。

 心の躍動を抑えきれないまま暖簾を潜って靴を脱ぎ揃え、中身を見渡してやはり大浴場のそれだと声を弾ませて叫ぶ。

 上がるぜ。


「すげぇ……屋敷の中に大浴場って……まさか、露天風呂もあったり……?」


あったとしたら、盛大にのぼせ上がるだろう。


「ええ、あるでやんすよ? ……室内にも拘らず、満天の星空を見渡せる温泉が!」

 

 室内で、星空。


「……室内で、星空?」


「これも霊装を用いた技術の一つでやんす。星空や星座を耳に優しい説明を聞きながら──」


 つまりは。


「プラネタリウムじゃねえかよッ‼」


 脱衣場ですっぽんぽんになり、扉を開けるとそこに広がっていたのは、温泉とドーム型の屋根に広がる夜空だった。

 別の意味で、盛大にのぼせ上がるだろう。

 そして、何が悲しくて男二人で全裸に茹で上がりながらプラネタリウムを鑑賞しなければならないのだろう。


「さあ、さあ! 今はここにわっし達以外に誰も居ない……つまり、遊べるでやんす!」


「なんか気分がハイになってね? ていうか、キャラが違ってきているような……」


「わっしょーいっ!」


「ちょ、おいっ!」


 全裸で風呂の中を駆けながら浴槽に飛び込んでいく、最高位風魔術師。

 元の身体能力も高いのだろう。魔法を使わず、彼はいきなり天井に届く寸前まで跳躍し、何回転も回りながら翡翠色に煌めく温泉へとダイブしていく。

 直後。


「お、おおおおお⁉」


「へへーん! どうでやんすかぁ〜?」


 温泉の中へ沈んだかと思われたブディーディが、突如として沸き上がる水柱を巻き付けながら、噴水の如く上昇していく。

 全裸で。


「すげぇ! すげぇけど無駄に魔法使うな!」


「わっしの保有魔術は自然から伝わり自然へ帰るもの……つまり、ある意味無尽蔵に発動できるって訳でやんす!」


「出たよチート!」


 一家に一台ブディーディが居れば、電気が通らなくと風力発電で活出来そうである。

 凄いぞ四次元魔術師。

 と、若干驚き過ぎて慣れつつある理解力を他人事のように自覚しつつ、まずは身体を洗おうとシャワーを探す。


「……あれ? シャワー無くね?」


 そう。何故かどこにもシャワーやそれらしきものが一切無く、あるのは満天の星空が浮かぶ天井と広大な温泉のみである。


「シャワー? ああ、ひょっとして君が元居た世界では身体を洗ってからお湯に浸かっていました?」


「ああ、うん。シャンプーとかボディーソープで全身を泡立てて、最終的にシャワーってやつで流すんだけど」


「ああ〜、それならご心配無く。なんと! なななんと! この世界のお風呂は基本、身体を隅々まで洗いつつお湯に浸かることが出来るのです!」


「……な、なんだってぇ〜⁉」


 思わず乗って仰け反ってしまったが、それはあまりに、とまで行かなくとも結構便利なことなのだと思う。

 ということは。

 わざわざ逸る気持ちを抑えてまでして身体を洗う必要は無く。


「ひゃっほおぉぉいっ!」


 このように、最初から存分に温泉を楽しめるということである。

 勢いよく身体を沈ませ、思いのほか熱くて一度イルカショーの如く飛び上がり、徐々に温度に慣れて程よくなった熱に身を浸しながら桃源郷へと誘われる。


「あぁ〜……これはぁ〜……ひほひぃ〜……」


 筋肉痛や恐怖など、心身に負ったダメージはこの温泉によって洗練されて癒されていく。

 なるほど。確かに、身を浸しているだけでもべとついていた汗が取れていく気がする。


「これは魔石の力でやんす。洗練や治癒が込められた水の魔石と、刺激や蒸発が込められた火の魔石を多数、同時に使い、自動に洗練され尚且つ疲労回復が施される温泉が出来上がるのでやんす」


「ほぉぉぉぉ〜……」


 この世界においての温泉の構造をブディーディが平泳ぎしながら説明してくれたが、恐らく俺の頭には入っていないだろう。

 全身が、お雑煮のお餅のように柔らかく解れて蕩けていくような感覚を覚えながら、満天の星空を見上げ、怒涛の睡魔に飲まれていった。

 結局、のぼせた。


**


 何故かここでも日本独特の文化である浴衣が用意されており、気持ち良さと開放感に浸りながら、ブディーディと共に夕食の会場へと入っていく。

 先ほどさらりとリーベが言っていた通り、バイキング形式だった。

 メイド隊、身辺警護隊含めてやはり数が多く、それはホテルの食事会場程の大きさを誇る食事会場の席を殆ど埋める程のもの。


「お、居た居た」


 すると、ブディーディが誰かを見つけ、俺の手を引いて真ん中の方へと向かっていく。

 いちいちとぎまぎさせる奴である。

 俺はノンケだが。


「あ──ルチスリーユ先輩!」


 そうだった。そういえばそうだったっ。

 あまりにリラックスし、のぼせて茹だった頭ですっかり忘れていた。

正面からこちらを睨み付ける腹黒令嬢はともかく、ルチスリーユ先輩と一緒にディナーを食べることが出来るという、至福の時間を享受出来るのだっ。


「……あ、蒼原君……」


 調子こいてテンションを上げようとしたところを、ルチスリーユ先輩のどこか困ったような気まずいような表情によって、出鼻を挫かれることとなる。


「あら、馬鹿畜生。ようや来やがったようね。でも残念、私とルチスリーユは今、丁度食べ終えたところなの」


「――…………なんと……」


 な、な、なんてことだああああああああああああああああああああああああああ‼


「あー、そうでしたか。では、ルチスちゃんはそのまま仕事に戻るでやんすか……姫様はもうお休みに?」


「ええ、そうね。馬鹿の間抜けな表情も見れたことだし、これからお風呂に入って部屋に戻るわ」


「畏まりました。では、良い湯気分を」


 何やら三人で今後の時間について話し合い、リーベは食器をトレイごと持って席を立ち、そのまま厨房の方へと歩いて行った。


「その……私はまだこちらに居るので、何か分からないことがあったら聞いて下さいねっ?」


「は……い……」


 生気が抜けたような俺を気の毒に思ったのか、脱力した返事を受けて同じく厨房へと向かうルチスリーユ先輩を虚ろな瞳で見つめる俺の肩を、ブディーディがそっと叩いてくれた。


「って、お前起こせよ!」


「いや、だって逆上せながらも気持ちよさそうに眠っていたし、無粋に邪魔をするのも悪いと思いまして」


 確かに、逆上せて眠りについた挙句ルチスリーユ先輩との食事の機会を逃してしまったことは紛れもない俺自身の責任であり、ブディーディにそれを転嫁するなど筋違いの話なのだけれど、こいつが全裸でのびのびと、俺がルチスリーユ先輩との食事の機会を手放す様を微笑ましく見守っていたと考えると、否が応でも少なからずの苛立ちを覚えてしまうのだった。


「はあ……まあ、とりあえず食べよう…………ぜ……」


 ここで早速突っ込みが炸裂するぜ。

 料理の群れが置かれた長テーブルの方を見てみると、色とりどりの料理が陳列している訳だが、その奥の大きな台の上に見慣れた顔が一つあった。


「…………………………」

 

 キリンだった。


「あれ……午前にお前が仕留めた巨大キリンじゃねえかよッ‼」


 巨大なキリンの顔が、そこにはあった。

 相変わらずのシュールさである。


「ああ、あれは容疑者の女性が『顕現』状態になっていた際の一部分を『再現』したものでやんすよ。救出する時に獣体は爆散してしまったので、流石に頭部はレプリカとなってしまいましたが、お肉は本物でやんすよ? 中身の女性が助かった上での豪華食材なので、ぶっちゃけ儲けでやんす!」


「……まさか、あのご令嬢はここまで考えていたというのか……? もう、一〇周回ってなんか怖い」


 正義と、お小遣いと、夕飯の材料を得るためにあの巨大なキリン(正確には鎧や着ぐるみのような扱いらしいが)を狩ったのだとしたら、策略家としては優秀な頭脳を持つけれど、同時に狡猾とも言えよう。


「さっ、わっし達も食すでやんす~!」


「そうでやんすね」


 何はともあれ、残念なことがあって少し気落ちしてしまったけれど、リサイタルを繰り広げている腹の虫に従い、このままでは食い漁るという表現もあながち間違った者ではなくなるなぁ、と馬鹿みたいなことを考えながら、トレイと皿を取って食事を運んでいくのだった。

 食材や料理のラインナップは、やはり『元世』とあまり変わらず、洋食が多いものの、中にはご飯や蕎麦といった和食の主食まで置いてあり、味も最高だった。

 巨大キリンの肉と言われて出されていた、少々色が不味そうな肉を食べてみれば、豚肉のハム似た味や甘さが口の中に広がり、意外どころか凄く美味しかった。思わず、「ん~! おいひい~!」と、テレビでよく目にする典型的な食レポをしてしまう程だった。


 そして何だかんだで、ブディーディとの会話が途切れることは無く、こちらが無理に少しだけかじっていた会話術を駆使しなくても楽しく会話が弾みながら、絶品ともいえる料理で舌鼓を打ち、空腹の虫が奏でる重奏曲を鳴りやますことが出来た。

 と、そこへ。


「――お、こいつが新入りか」


「ん……? って、おわっ⁉」


 突然、大勢の男どもに囲まれた!

 逃げるコマンドは選択出来そうにも無いので、敢えて正面から対峙することにする。

 丁度飲もうとしていたコーラ的な茶色い炭酸飲料の入ったグラスを置き、ガタイがよろしい兄ちゃんの数々を見上げる。


「お前が交通サービス界の新時代を切り開いた、蒼原森檎だろ? 屋敷でも街でも噂になってるぜ!」


 肩を組んできたスキンヘッドの男が、何やら大層なキャッチコピーを口にした。その内容が自分を指していることに気付くには数秒のタイムラグがあったが、理解した途端、ここにきて男子校で培われた『男同士の謎のコミュニケーション能力』を発揮し、


「そうです。元祖サイクリストこと蒼原森檎……当代無双のチャリンコマイスターである!」


 このコーラのような炭酸飲料に、アルコールでも含まれていたのだろうか。いや、激しく脈打つ心臓の鼓動と妙なハイテンションを鑑みるに、場酔いによるものだと納得する。


「いいねぇ〜! ブディーディさん、中々骨のある奴連れてきましたね」


「だっしょ〜? 彼は立派な掘り出し物ぜよ〜」


 この酔っ払い紳士、人をアキバのショップで見つけ出した戦利品みたいに言いやがる。

 まあ、そんなことを指摘する前に、確かめておかなければならないことがある。


「えっと……もしかして、皆さんって身辺警護隊の方々っすか?」


「おうとも。俺はジアント。右から順にフルト、スコッティ、ピナリロ、レック……」


「ちょ、ちょっとお待ちを……えっと、多分私のキャパだと五人程度が限界かと」


「おう、そうか? じゃあ俺含めて今紹介した五人だけでも覚えてくれ。あとは適当にそのうち絡むだろ」


「そっすね」


 改めまして、スキンヘッドがジアント。彫りの深い男前がフルト、細い長身がスコッティ、毛が逆立っている熱そうな男がピナリロ、鶏みたいなモヒカン頭がレック……だと思う。

 というか、これから先まともに登場する機会があるかどうか分からないが、覚えておいて損は無いだろう。


「皆、わっしの可愛い可愛い教え子兼部下でやんす。個性強くて気性が荒かったりする時もあるけれど、是非仲良くしてやってくりんしゃい」


 もはや統一性を失った語尾で仲介をしてくれている変態紳士。その飄々とした様子の内に隠れた面倒見の良さに心の中で感謝しつつ、両手の親指、中指、薬指を伸ばした手のひらを彼らに向け、『すまいるたん』の決めポーズと共に、


「おう! こちらこそ宜しく頼むぜ!」


 盛大に、キメ顔を決めた。

 すっまいる、すっまいる、世界を笑顔にすまままま! キラン。

 間違い無く、酔いが身体を駆け巡っている。


「なんスかそのポーズ! パネェっす!」


 ピナリロがより一層毛を逆立せながら目を輝かす。うむ。喋り方が予想通りである。


「これは俺の『元世』に伝わる国民的──いや、世界的学園アイドルアニメの推しキャラである、すまいるたんの決めポーズなのだよ」


 オタクの悪い癖である。

 ついつい駆け足に説明してしまい、しかし別に引かれてもいいかなぁ、と他人事のように思っていると、


「すまいるたん……か。何故だろう、その名前に熱いハートを感じる……っ」


 ローマでお風呂入ったりロケット飛ばしたりしていそうな彫りの深い男、フルトが、その顔に似合う熱血を醸し出し、


「アイドルねぇ……幼女であればとびきりのストライクゾーンなのだが……」


 温厚そうだと思っていた長身のスコッティが、何やら犯罪臭が漂うような分析を始めやがり、


「……ファンとは推しを全力で応援し、推しと共に在り、推しの幸せを第一に願い、後押しするものである!」


 一番馬鹿そうに見えた鶏モヒカン男ことレックさんが、一番同志だった。


「レック……あんたもしかして俺と同じ魂を……?」


「ああ、今のお前の話を聞いて俺もビビっときた。蒼原森檎! 魂を共にする同志よ! 共にオタク道を突き進もうぞ!」


「おおおおおおおおおお‼」


 レックと熱い抱擁を交わす。

 まさか。まさかのまさか。こんな別世界に来てまで同志と邂逅出来るとは、夢にも思っていなかった。

 感激のあまり低い唸り声にも似た叫びを上げ、互いの背中を叩き合う。

 そして、俺はさらなる感動を胸に刻むこととなる。


「まさか……お前ら……」


 ──主要メンバー含む残りの全員も、こちらにサムズアップを向けていた。

 まさか……


「同志はレックだけじゃねぇ。……俺達全員だぁぁぁ‼」


「「おおおおおおおおおおおおおおお‼」」


「おおおおおおおおおお⁉」


 最高の笑顔を向けて魂の共有を叫んだジアントを筆頭に、俺の身体が掬われるようにして浮かび上がり、仰向けのまま持ち上げられる。

 まさか、これは。


「せーの!」


「「あぁいッ‼」」


 胴上げのそれだった。


「う、お、おおおおおおおおおお⁉」


 一定のリズムでそこそこの高さを上下し、タマヒュンの感覚と共に宙を舞う俺こと蒼原森檎。

 生まれてこの方胴上げされた経験など一切無く、テレビに映るそれを見て、された側はどういった感覚なのだろうと妄想することがたまにあったけれど、まさかここに来て現実化されるとは思わなかった。

 嬉しい。


「わ、ひょ! ふぉ、ふぉ、ふぉおお⁉ も、もう、いいから、止めて、ふぉ⁉」

 

 嬉し──やっぱりちょっと怖い。

 仙人の笑い声にも似た声を漏らしながら、思いのほかボリューミーな胴上げに対して徐々に恐れを抱き、中断を乞う。

 ブディーディに頼もう。ブディーディはどこに……

 

「青春でやんすねぇ……」


 などと言いながら茶色の液体が入ったグラスを片手に、こちらを温かく見つめながら何かの気分に浸っていた。

 丸い氷が中心にあるところを見るに、絶対あれは酒である。


「ブディーディ、助け、ろ!」


「おやおやぁ〜流石に怖くなりましたぁ〜?」


「意外と高いから止めろ!」


「ヒック、しゃあねぇでやんすねぇ〜」


 あいつ、今ヒックって言ったぞ。

 そして、いい加減危ないと感じた酔っ払い紳士が、ようやく右手の手のひらをこちらに向け、魔法を発動する。

 悪寒が走った。


「ふ、ふおおおおおおおおおお⁉」


 蒼原森檎がさらに宙を舞う。

 食事会場の天井は結構高めだから良かったとしても、当たるすれすれまで飛翔させるのは悪意があり過ぎる。

 同志諸君は盛り上がりながら叫んだり笑いあったりしている。

 どこの男子校だよ。


「あああああああああああああああ⁉」


 悪意の第二波が到来。

 あのドS紳士、俺の体勢を俯せにしやがった。

 つまり、見えるのは地上。

 建物三階〜五階建て程の高さを、生身で、離れた地上を見せられながら、一定の速さで空中散歩。

 メイド隊のお姉さん方もこちらに気付き、満面の笑みで手を振っている。被害は俺だけに留まっているにしても、果たしてこの笑顔の中にダウトが幾つあるだろうか。

 何故か、そのようなことを考えて余計に安心が出来ない。

 いつの時代もどこの場所でも、調子に乗った野郎共が後で女性に叱られるのはお決まりの流れなのだから。俺に限れば中学までの話ですけれどね! 

 ルチスリーユ先輩が驚いたといった様子で、口をあんぐりと開けながらこちらを見ている。

 可愛い。

 ──じゃなくて、何とかしなければ。


「ブディーディ、いい加減止め──」


 見かけによらず羽目を外しているやんちゃ紳士に怒鳴りつけようとしたところで、自然、それが中断される。

 来てしまった。

 もっとも、この事態を看過せず、確実に俺が一番にお叱りを受けるだろう女性が現れてしまった。


「えっと……これ、何の騒ぎ?」


 と、開口一番、困ったようにして疑問を口にするのだった。

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