第二章

第一話『リーベ・アザヴィール』

 朧気な意識が急激に覚醒し、初めに感じたのは命の危機と尋常ではない程の恐怖だった。


 ――そこは暗闇だった。


 視界から真っ先に届いた情報を咀嚼し、何気なく動かした手足に何かが纏わりついている感覚があった。肌にざらつく感触から、自由を奪っていたものはロープだと解釈した。


 制服は着たままで、そういえば学校の鞄はあの女と出会ったところに置いてきたなぁ、と認識の幅を広げ、再び現状に危機感を覚えだす。

 

 監禁。

 物騒で犯罪の臭いがぷんぷんしやがる二字熟語が浮かび上がる。


 臭いどころか立派な犯罪なのだが、何故自分がそんなことをされたのか、そして、果たして拘束してまで引き出す情報があるのかといった二重の疑問を抱く。


 そして、とりあえず助けを乞うために奇声を上げようとしてところで、金属の扉が重々しく開く。


 甲高く不気味な古びた金属音が鳴り響き、隙間から差し込んだ灯りが、犯罪者の容貌を照らす。  


「あら、目覚めていたようね。愚鈍な馬鹿畜生」


 …………。


「…………」


 出た。

 まあ、うん。実のところ、何となく予想は付いていたのだが、本性を垣間見てから再会するとなると、幻滅を隠せない反面、あの時の俺の恥辱も同時に想起されるから絶対に会いたくないと思っていた。


 外界から差し込む光が純白のワンピースを一際輝かせ、その華奢で小柄な肢体が悠然と足を踏み入れると共に、肩まで伸びた黒い双尾が微かに跳ねて呼応する。


 ライトノベルや漫画に出てくるような美少女。

 彼女は、誰もが見入りする様な美しき微笑を浮かべ、控えめな主張をしている膨らみの前に真っ白な腕を組み、こう言うのだった。


「あら? まだ茫然としているのかしら? なんともまあ、脳の情報処理能力までもが愚鈍だというの? それは、それは…………哀れな愚物だこと」


「あああああああああああああああああああああああああああああっっ‼」


「んなっ⁉ ちょ、何よ⁉ どうしたっていうの⁉」


 天使の様に無垢な少女――もとい、悪魔の様に下劣な魔女がそこに居た。

 そして、その姿を目にした途端、叫んだ。叫んでやった。理由は、特に無い。


「また会えた……じゃない、会ってしまった…………そんなことはどうでもいい! お前、あの時俺のことずっと馬鹿にしてただろぉっ!」


「あら? ようやく気付いたの? そうよ、お前があまりにも哀れで、哀れで仕方が無かったから……」


「くそ……っ! この妖怪サディスティック似非天使めぇ……俺の推しと瓜二つの見た目でよくもまあ、そんなことを……っ!」


「なにやら身の毛もよだつようなことをほざかれた気がするけれど…………まあ、いいわ。いくらお前が私の身体を舐め回す様に視姦したからと言って、別にお前のその無駄に貯蓄された汚らわしい欲が満たされる訳でも無いのだし。まあ、そもそもお前が過剰なまでの欲求不満で私に手を出そうとしたところで、理解が追い付かない程の速さで地獄への片道切符を用意して差し上げるのだけれど…………いるかしら?」


「いらねえよッ‼ そして人を痴漢等のわいせつ容疑で捕まった犯罪者に対してのコメンテーターが言いそうなコメントみたいに解釈するな! 俺は至って健全な男子高校生だ! それにはっきり言うが、俺はお前みたいな悪女で興奮する趣味は無い! 重ねて弁明するが、俺は健全な男子高校生だ‼」


 疲れる。というより、疲れた。


 この女、やはり俺を人間として判定していないのではないか。

 そりゃあ、こうして話している時点で人としてはカウントされていると思うが、まるで下等生物を見やるようなその目付きは、本来ならば決して抱くことの無い対等の種族と思われているのかという、イレギュラーな疑問を抱かずにはいられなくするのだった。


「よく喋る駄犬ですこと。そんなだから、あのような無様な醜態を晒すことになるのよ」


「あれは頑張って走った結果だろ。あんたなんかにとやかく言われる筋合いはねえよ」


 今の反論は我ながら正論だと思う。


 確かに、見るも無残な醜態を晒した挙句、救いの女神かと思われた少女に実は罵倒されていたなんてことに気付かなったという醜態及び黒歴史が重複してしまったけれど、それでも俺が歩んできた立派な足跡でもあるのだから、他人にそれをどうこう言われる筋合いは無い。


 まあ正直な話、周囲からなんと言われようが無視して無関心でいることを心がければいいのだが、それが完全に出来ないあたり自己の進展の無さに嫌気が差すのもまた事実ではあるが。


「まあ、それもそうね。無様といっても努力は努力。そして事情をよく知らないまま首を突っ込んだ挙句に勘違いすることにはなったけれど、尻尾巻いて逃げることはしなかった。先程は蛮勇と言ったけれど、それはあくまで結果論に過ぎない。その蛮勇を実行しようとする勇気が無ければ結果自体が生まれないもの。……ブディーディに追い付いたこともそうね。結果や過程はどうであれ、諦めの悪い性格であること、そして多少なりともまともな人間であることは認めてあげるわ」


「お、おお……? なんだ、どうした。散々罵倒しておいて今度は称賛……? はッ、まさか次は心理戦か⁉ 今の言葉を聞いた三分後には俺があんたの靴を舐めている結末が用意されているっていうのか⁉」


「そんなわけ無いでしょ! 言葉が浮かぶままに貶し続けたら、流石にあなたも精神が錯乱して使い物にならなくなると思ったから、飴と鞭を使い分けただけよ!」


「流石に錯乱する程弱くは無い!」


 錯乱まではしなくとも、砕ける程には脆い方だ。それ以前に、これまでの出来事や展開をそれぞれ加味していけば、紙レベルであるメンタルはすぐに破けていってしまうだろう。ほら、カミだけに。


 ………………………………。


 それにこの女、教養に必要な飴と鞭を用いて、一体何に育てようというのだろう。

 そして一言物申したい。例え何かに向けて育てようとしても、そもそも飴と鞭の割合がおかしい。


 飴とムチムチムチムチムチムチというように、羅列する程に、この短時間で心に大打撃を与えてくれているのだから。


「それに、勘違いしているようだから先に言っておくけれど、私は別にサディストでも毒舌家でも何でもないわ。罵詈雑言を浴びせているのは一種の戯言に過ぎないのだから」


「じゃあ、俺はあんたのお戯れのために心の紙を少しずつ千切っていたってことかよ。あのさ、俺やあんたが言った通り、他人が他人をとやかく言う資格は無いけれど、あんた学校で友達居ないだろ。居たとしても敵か眷属だけとかいう極端な人間関係を築いてそうだな」


「……………………居るわよ、友達くらい。眷属も居るわね。敵は…………それはもう数え切れない程に――」


「ごめん、聞いた俺が悪かった。今の質問は忘れてくれ、な?」


「控えめに言ってムカつくわね……まあ、いいわ。思ったより活きがよさそうで何より。よって、活きが良い愚鈍な馬鹿畜生には居場所を与えてやる代わりに私の下で這いつくばってもらうわ」


「人をスーパーで売り捌かれているお魚さん達みたいに言うな! …………注釈すると、住まわせてあげるから働いてくれってことでいいんだな?」


「だからそう言ったじゃない。いちいちネチネチ面倒ね」


「後半の言葉そのままそっくり返品してやろうか」


 というか、戯言設定どこいった。

 そして、さりげなく飲み込んでしまったが、どうやら勝手に俺がこの女の下で働くことが決ってしまったらしい。


 思いもよらない早さで衣食住が確保出来たことには喜んでもいいのだが、なんたって雇い主がこれだ。『元世』にも、ブラックバイト、ブラック企業なるものは存在していたが、まだ学生である身としてはどこか遠くの世界の出来事のように思っていた。


 案外早く、ブラック体験をすることになってしまった。気を失わせて拘束させた挙句に罵詈雑言を浴びせて戯れるといった考えを実行している時点で、この女が取り仕切る職場は相当危ない場所だということをお見受けした。


「メンタルケアは行き届いているのか?」


「……? 何のことかは分からないけれど、我が屋敷は非常にクリーンな環境になっているわ。少々癖の強い使用人が多いけれど」


 雇い主のお心がクリーンではない時点で、どうもその宣伝文句が軽薄で詐欺めいたものにしか聞こえない。


 なるほど、こうして闇はそのまま闇として隠匿され、何も知らないし知らされてもいない人々が、黒々とした劣悪にして極悪にして最悪な場所へと足を引きずり込まれていくのか。  


 そして、後者の使用人の癖が強いという点については、あのイケメン風魔術師がきっかりと証明していた。


 そういえば、あの黒服はどこに行ったのだろう。と、ただでさえ常日頃から多くの女子の頭の中に浮かんでいるのだろうあのイケメンを、俺までもが頭に浮かべて考えているということに若干の癇癪を覚えつつも浮かべていると、


「そういえば、自己紹介がまだだったわね」


 一応、名前を交換するくらいにはランクを上げてくれたようだ。そんなことを考えさせるほどの屈辱を味合わせてくるあたり、本当に、何様のつもりだと言いたくもなってくる。


「私はリーベ・アザヴィール。この屋敷の実質上の当主であり、この辺り一面――『アザヴィール魔公区域』を治める最大権力者よ」


「…………………………」


 最大権力者様であった。


「ほら、次はあなたよ」


 そして順番が回ってきた馬鹿畜生こと蒼原森檎。


「……蒼原森檎。十七歳、高校二年生、趣味はアニメ鑑賞、読書、創作、サイクリング、『ステージヴィーナス!』の眷属、一生涯の契約者は湯沢愛笑ちゃんことすまいるたん、二つ名は天下無双のイレ──」 


 何故自己紹介が中断したかと問われれば、それはリーベご令嬢の白くすらりとしたお脚が俺の股間直前に一閃したからと答える。


「きっっっっっっっっっっっっっも‼」


 真正面から、正々堂々、面と向かって、少女から、言われたら傷付く罵倒トップ5に含まれる言葉をぶつけられた。

 胸が痛い。


「はあぁぁぁぁっ⁉ お前が紹介しろって言ったんだろうが‼ それなのにいざ言ってみればきもいだのきもいだの、戯れもいい加減にしやがれ!」


「失礼、心が滑ったわ」


「心⁉ 口が、じゃなくて、心⁉ あれか、本心を思わず吐露してしまったみたいなノリか! そっちの方がよっぽど傷つくよ‼」


 確かに、リーベ・アザヴィールの心は非常に手入れが施されたクリーンな状態であるらしい。クリーナーをかけ過ぎた故に本心がスリップの如く滑走した結果故の罵倒と言われれば、なるほど納得がいってしまうというものである。


「負け犬の遠吠えをしたところで、現状は何も変わらなくてよ? さて、お前が盛大に負け惜しみを喚いたところで、そろそろ本題に入るといきましょう」


「待て、俺は一度たりとも負けた覚えは無い。特にお前には、お前にだけは、何をされたとしても敗北を認めるようなことだけは絶対にしないと誓う」


「あら、いい度胸ね。この脚を数センチずらせば、お前の大事な、大事な魂を、害虫のように、原型を留めぬまま駆逐することは造作もないのだけれど?」


「それは、それは、是非に、是非にご勘弁申し上げたい。そして駆逐とか言うな。俺の竿はまだ新品で、使用価値未知数の可能性を秘めた──」


 何故弁解が中断したかと問われれば、それはリーベご令嬢の白くすらりとしたお脚が前方にスライドして、爪先が我が魂に接触したからである。


 正確には、接触という表現が生易しい程の衝撃。

 即ち、股間に蹴りを――


「ッッッッッッッ⁉ ──────は、ぁが……………っ⁉」


 この世の終焉を垣間見た。


「お前の汚らわしいそれなどどうでもいいの。いい加減話を進めないと、無駄に量が膨張して収拾がつかなくなるのだけれど」


「そんな、都合は…………知らん……」


 男として、殆どこの上無く地獄を味わう激痛を受けた挙句、理不尽な都合によりこちらの反論すら流されかねないという、何たる不条理であろうか。


「本題に入るわよ。お前には、我が屋敷の雑用係、そして傘下にある交通サービス企業──その内の『自進車』による運送業を担ってもらうわ」


「……雑用係は分かるけど……『自進車』での運送っていうのは……?」


「主に、取り付けられた客車にお客様を乗せて、特定のコースを『自進車』で運ぶといったものよ。対象が物品であることもあるけれど。正直に言えば、雑用係よりこちらの仕事の方が本命ね」


 雑用係という立場ではあるものの、基本的には『自進車』に乗って人を運ぶ仕事を担うということか。何ともまあ、異世界らしくない職種だが、衣食住の面倒を見てくれる分、後先が明るくなったのでここは感謝をするべきだろう。 


「勿論、屋敷での雑用も一通りこなして貰うわよ? 本来、女性はメイド、男性は身辺警護隊として割り当てられるけれど、あなたは御者であり雑用係でもあるという、ある意味特別で曖昧な立場ね」


「分かった。最初は拷問されると思っていたけど、きちんと保護してくれて特定の仕事まで与えてくれたことには感謝する。けど、この世界、魔術師とか亜人とか凄い人達いっぱいいるじゃん? なのに、どうしてそんな人達より俺なんかを御者として働かせたいんだ?」


「皆乗れないからよ」


「…………はい?」


 耳を疑った。巨大なキリンを相手に、風を自由自在に操って無双するイケメンが居るような世界だ。そんな超人が蔓延る世界で、どうしてその殆どがチャリに乗れないことになっているのか。


「あの『自進車』という乗り物は、誕生してからまだ間も無いのよ。それに、まず民間には出回っていないの。だからあの時、私も驚いたわ…………あなたみたいな平凡とひと目でわかるような輩が乗りこなせていたのだもの……ああ憎たらしい」


「心中だだ漏れでございますよ。まあ、つまり出来てばかりで、しかも数も少ないから皆乗れない…………そこに、そんな未知にも近い乗り物を乗りこなせる俺こと蒼原森檎が現れた、と」


「そういうこと。『自進車』の開発には当家も関わっているし、サービス内容のバリエーション増幅や宣伝効果も兼ねて、非常にうってつけなビジネスなのよ」


「中々深いお考えで……――分かりました。この蒼原森檎、例え貴女が天使のようで悪魔のような性格さいあ――もとい、性格が残念であったとしても、この身を捧げて、出来る限りある程度お仕えしまっ――⁉」


 何故以下略。

 誠心誠意、これまで被った精神的被害を水に流した上で、最大限オブラートに包みに包んで忠誠を誓おうとした矢先にこれだ。


 顎を撫でるリーベご令嬢の右足の甲が、彼女から向けられる凍てつく目線が、次は無いぞと脅迫するに十分な殺気を迸らせている。


 そしてこの状況。

 未だに俺は手足を縛られて椅子に固定されており、その状態で罵倒されるわ、股間蹴られるわ、足の甲で顎を撫でられるわ、意図せずとも官能的なSMプレイのそれである。


 言っておくが、俺はドMではない。

 だから、足の甲からほのかに漂う芳香が鼻孔を擽ったところで、興奮はしないのでふ。


 …………?


「とりあえず、他の者に部屋を案内させるから、そこに荷物を置いて着替えを済ませて、早速仕事に取り掛かってもらうわよ」


「────」


 軽くではあるけれど、足の甲によって威嚇されているので、顎を動かせないから喋ることも頷くことも出来ないのだが。


「返事は?」


 しかし沈黙もまた死を意味するので、


「はい!」


 敢えて声高らかに返事してみれば、


「急に動かすな!」


 顎に足の甲がめりこみ、


「理不尽ッ⁉」


 そしてまた理不尽なプレイ内容が加算されたのだった。

 

 ──繰り返すが、俺はドMではない。


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