第四話『巨大なアレとの対峙』

 認識齟齬の皮が剥がれて露わになった、罵詈雑言の数々。


 醜態を晒していた俺に追い打ちをかけるかのような攻撃ならぬ口撃。

 そして、一部の界隈の方々が興奮しそうなドSぶりを存分に発せられ、認識の齟齬という謎の補正が働いていたとはいえ、俺はそれを喜々として受け取っていたというドMぶりを存分に発揮していたということになる。


 認識齟齬どころではない。思考が驚愕の渦に飲まれているから、脊髄で反射的に理解する。そのような器用な真似をして浮かんだ結論。


——『都合が悪い表現や言葉が、勝手に都合が良いものへと解釈されてしまう、都合が悪い仕組み』。


 それが、この悲劇の火種だった。何ともまあ、悪趣味な設定だろうか。


 つまり、あの少女と出会った時は、幸か不幸か、『MUNE』が作動しておらず、翻訳がなされることは無かった。だから、この認識齟齬もとい『表現齟齬』の補正が働き、少女の罵詈雑言の数々を知る余地は無かったという訳だ。


 泣いた。身も心も泣いた。死んだ。死因は恥ずか死だ。羞恥死だ。


 いや、その前に、あの少女。あの天使のような無垢な笑顔で、なんて恐ろしいことを次々と繰り出していたのだろう。悪魔の血でも混入しているのではなかろうか。


「君がそのように言われるのも無理は無いでやんす。姫様は高潔で高慢な性格であるが故、道端で醜態を晒していた君を虐めたくなったのでしょう」


「悪魔かっ‼」


「因みに彼女は亜人種に含まれる『魔人』が一人で、ある種族の血が混じっています。それは強大な力を持っていて、魔境で暮らしていたとされる種族です」


「悪魔かっ‼」


「ただ、一見近寄りがたい印象を抱かせつつも、時折見せる可憐な笑顔や確固たる正義、仲間を想う一面は、我々使用人共のハートを射止めるに十分過ぎたるやなんたるや……」


「小悪魔かっ‼」


 なんか、色々と悪魔じみていた。

 印象が反転する。暗転したといってもいいだろう。

 天使の様だと思っていた少女が悪魔の様な性根をしており、事実、身も心も悪魔な悪魔という事実が俺を貶める。

 俺の精神は脆いのだ。一時は、傷付きやすいが立ち直りも速いことから比喩表現にスライムを用いていたけれど、実際は、スライムはおろか硝子でもなければプラスチックでも無かった。紙だった。


「まあ、今回、君が姫様に罵倒された理由は、二つ目の方が当てはまる気がするでやんす」


「……お前、そもそも二つあるって言ってねえじゃん。まあ、いいや。言ってごらん」


 深く、深く、失意の海に溺れる中で、もう海面に顔を出すことさえも気怠いと感じた俺は、そのまま、受けた痛みの重さと共に海底まで沈もうと考えていた。

 うう。表現技法も落ちてきている気がする。


「実を言えば、わっしや姫様が正義で、被害者の女性やコック三銃士達の方が悪だったりするんですよねえ。つまり、君はそんな事情も把握せずに勢いだけで紛れ込んできた挙句、一人で勝手に力尽きて倒れ込んでいたから、姫様の癇に障ったのではないかと」


「……………………」


 イルカショーの如く、海面から跳ね上がった。


「なん、だと…………ダサいなんてレベルじゃあねえぞ……脇役からやられ役になって最終的に敵役に……あああああああああああああああああああああああああああああああ」


「まあまあ、間違いは誰にでもあるでやんすよ」


 再度言うが、本当に俺をこの世界に招いたのはどこの誰だ。何か恨みでもあるのだろう。何度も言うが、俺が物語を書くとしたら、絶対にこのような展開は作らない。

 そして、もし自分が物語に出演するのなら、やはり様々な補正やフラグが味方する格好良い主人公がいい。

 有象無象の中で最悪なそれとなり果てた俺は、もはや恥辱と滑稽の塊でしかない。

 皮肉にも、あの少女――もとい悪女が言っていた愚物という表現は当てはまっているのかもしれない。


「とりあえず、君はこれからどうするのでやんす? わっしが処分するお薬の話を聞くか、そのまま『自進車』を降りてトンズラするか」


「………………聞くよ。馬鹿な俺が何に首を突っ込んだかのかを聞かねえと気が済まない」


「りょーかいでやんす!」


 乗り気になったのか、黒服は馬車の上で飛び上がり、腕を組んで仁王立ちする。スマホは返してくれた。

 ここで明らかになったのは、この黒服、真っ黒な着物に真っ黒なスーツのズボンを履き、真っ黒な草履を履いている。その服装に改めて真っ黒なシルクハットを入れると、その異彩が存分に放たれていた。


 和洋折衷という言葉を具現したような男だった。

 黒服は、傷で封じられている右目と対になる細目を僅かに開き、飄々と語り出す。


「まず、この騒動の中心にある『禁薬』は、簡単に言えば『ドーピング』のようなものでやんすね。亜人種間の裏ルートで密かに流通されており、当然、これは法に抵触しているので警護兵達が厳しく取り締まっているというわけです」


 女性から強奪した黒いバッグを取り出し、その中から小包を取り出して頭上に掲げる。恐らく中身は『禁薬』と呼ばれるものだろう。


「要は、それが分かっていて奪った──この場合、取り締まったっていう表現の方が正しいのか。そして、その警護兵とかいう警察みてえな方々に協力したってこと?」


「まあ、確かに協力するという目的もありましたが……多分、今回は、姫様にとって正義心は二の次だったんじゃないでやんすかね?」


「二の次? 何か、他の目的があったってこと?」


 身も心も悪魔ではあるが、性根は人一倍正義心が強いと言われていた少女だから、正義を振りかざした故の行動だと思っていたけれど、何かしらの深い背景でもあるのだろうか。


「──お金ですよ」


「……はい?」


 背景もクソも無かった。


「お主が居た世界にもあったでしょう? 懸賞金。この世界にもそれがあり、そしてただでさえ警護兵も少ないので、こうやって取り締まる人材を増やしているのですよ」


「金の出どころは分かった。続いて俺が聞きたいのは、なんであの悪魔お嬢様がお金を欲しがっているかってところ」


「単純に、お金が足りなくなってきているからじゃないでやんすかね? うち、『身辺警護隊』や『メイド隊』というように、部隊が出来るほど使用人の数が多いのでやんすよ。だから、自身のお小遣いや人件費のためってわけでやんす」


「なるほどな。それでお金稼ぎも抜かりなくってことか。賢いんだか黒いんだか……」


 つまり、『自進車』を貸してくれたのも、正義上での行動兼お金稼ぎという腹黒お嬢様の崇高なる目的のために利用されたに過ぎないということだ。

 ここまでくると、もはやムキになってくる。


「とまあ、解説はこれで終わりです。よって、これから説明するのはこれから何をするかについて、でやんす」


 そう言うと、黒服は馬車を操作しているおじさんに「左に寄って」という指示を出し、直後に馬車が左にずれて逆風が直撃する。


「おわっ、おい、いきなりずれんなよ!」


「まあ、まあ、前方を見て下さい」


 速度はある程度減速していた筈だが、見えない波動が顔面を殴り、『自進車』の車体を押しやる。そして、ほのかに潮の味が鼻腔をくすぐる。


「……海、か……?」


 唐突な強風に、潮の匂い。それを吟味したと同時に、眼前に映り始める一面の青。

 一直線に続いていた車道の終着点は広大な海だった。


「イワーコ湾と呼ばれる貿易港でやんす。と言っても、この辺りは端の方なので人は居ません。だから、姫様はそれを見越してここを選んだのです」


「見越した? 一体何を……」


「現行犯逮捕するには、やはり対象が罪を犯した瞬間ないしは直後でないと意味が無い。そして何より、その方が懸賞金の額が跳ね上がる……」


「……おい、まさか──」


 黒服の手元に『禁薬』がある状況。彼らが狙う境遇。彼らの目的。

 それらを照らし合わせて導き出される展開はつまり――


「おじ様、料金は置いておくでやんす!」


 一つの未来が浮かび上がり、黒服が操縦士のおじさんに硬貨を数枚渡した直後。


「うおっ⁉」


 ――世界が縦に動いた。


 当然、縦に動いたというのは自分自身が浮上したことによる錯覚で、黒服と共に地上から乖離されたのだという事実だった。『自進車』に乗ったまま。


「お、ぉぉぉぉぉぉおおおおおお⁉」


 地上からは、俺の叫び声がドップラー効果の如く反響していることだろう。

 人車一体で飛翔していく俺自身。八割方そのことに驚きつつ、黒服が右手だけを俺の左肩に乗せて逆立ちしているという離れ業に、二割の驚愕が持っていかれる。


「風魔法で上昇させました。空を『自進車』で駆ける……何ともまあ、幻想的でしょう?」


「おわわわわ──」


 制服のズボンの裾から風が乱入し、急上昇と慣れない体験によって三半規管が大打撃を受ける。

 続いて、今度は馴染み深い感覚が到来する。


 ブランコ、巨大船のアトラクション、ジェットコースター。例として挙げたこれらに共通するものは、『玉ヒュン』という感覚を味わう点にある。

 膀胱から下腹部痛辺りにかけて形容し難いあの感覚を覚えて、「んふっ」といった気の抜けた声を漏らすこともしばしば。


 ――その『玉ヒュン』が、未知なる恐怖と共に身体を駆け抜けていた。


 まず、ロードバイクに乗ったまま空を飛ぶ──そもそも生身で空を飛ぶといった経験は、『元世』においても滅多に経験するものではない。

 しかも、前進していく内に、目下は青い絨毯へと変貌していく。道路が港へと行き着き、その先に広がる海の上へと飛び出したのだ。文字通り。


「だぁいじょぶでやんすよ、わっしを信じて下さい。こう見えても最高位魔術師なので」


「見るからに胡散臭いあんたのどこを信じろと⁉ ……っていうか、現行犯狙うって言ったって、購入客だっていうあの女の人が来る気配無いけど?」


 下を見ると目が回るので、身体を精一杯反らして頭上の細目を睨む。何故か、シルクハットは脱げていない。


「まあまあ、今に見ていなって」


 そう言うと、黒服は左手に持っていた小包を手品ショーの前みたいにこちらに見せつけ、そして──


「は……?」


 手首のスナップを効かせて、投げた。

 重要対象物の『禁薬』が入った小包を、あろうことか一面に広がる海の上で無防備に放ったのだ。

 そう、無防備に。 


「────ッ⁉」 


 全身の毛が逆立つ。背筋が凍る。

 こういった感覚は人生において、空中ロードバイクの次に、あまり経験するものではない。しかし何の因果か、貴重な経験がこれまた追加されてしまった。


──何かが近づ、


「っっう、あ、っつ⁉⁉」


 何かが風を切り、小包を奪い、視界に映り込む。


「さてさて、華麗なる逮捕劇の、始まり、始まり……」


 一拍遅れて認識したそれは、人影であり、女性の見た目だった。

 さらに一、二秒。記憶の海からサルベージして、浅い位置から引き揚げた直近の記憶が結論を出す。

 ひったくり被害者――もとい、『禁薬』の購入客である女性だった。


「あの人……!」


 反射的に人と呼んだ。しかし、その直後、その表現が果たして正解なのかどうかの審議が問われる。

 人の原型をとどめたままの上半身。

 ――そして、黄色をベースとした獣毛が黒い斑点で覆われた見た目をした、下半身。

 それが、『禁薬』を噛み砕きながら遠くへと飛んでいく。


「あれが『獣人』です。古より伝わる、禁忌とされていた他種族との遺伝子配合によって誕生した半身半獣。今では遺伝子配合こそ行われてはいませんが、遺伝子は受け継がれている……その身に宿る種族の特性は使えるものの、純人種では無い故に魔術は発動出来ない。禁忌という言い伝えに加えて人とは異なる性質、魔術の使用不能。これが、彼らが異端視され、憚られている現状の理由です」


 どこまでいっても世界は世界。そこには社会という基盤のもとに風潮、雰囲気といった目に見えない空気が、人々を苦しめているという事実が必ず付随する。

 いくら異世界とはいえ、やはり人間らしい根本的な部分は全く、なんら違いは無かった。

 そうして目前の『獣人』と世情とを交互している内に、変化が訪れた。

 凄まじい光が瞼を焼き付ける。


「――ッ⁉」 


 いやいやいやいや。

 精一杯に見開かれた双眸が、あんぐりと開けられたまま固まった口が、両頬が、最高に茫然とした表情を形作っている。こんな表情をすることも、こんな光景を見ることも、残りの人生においても数え切れる程度しかないだろう。


 下半身だけかと思われた斑点で覆われた獣部分。実はそれが、かの有名なあの動物でした! なんてことを知ったのは、少しあとのことだった。 

 世界的に有名なスカイツリー。あれを真下で見上げた時は、それはもう圧巻の一言が真っ先に浮かび上がったものだ。今目の前で起こっている出来事は、まさにそれだった。



 巨大なキリンが、こちらを見つめていた。

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