第三話『愚鈍な馬鹿畜生は突き進む』

 今更だが、暑い。


 先程の全力疾走に加えて『自進車』のペダルを踏み込んでの加速なので、当然と言えば当然なのだが、そもそも、俺の服装はこの世界において衣替えがされていないのだ。


 『元世』では冬で、二年生の終わりに差し掛かり、花粉症の理不尽な猛撃を受け始めて鼻呼吸が徹底的に封じられる頃なのだが、どうやらこの世界の季節は春のようだ。


 よくよく考えてみれば、先程出会った少女はワンピースだったし、他の人達も基本的には半袖だったりタンクトップを着ていたりしていた、コックのおじさん達は知らないけれども。


 つまり、ただでさえ全身が甚大なる疲労を訴えているにも拘わらず、可動域が狭まる学ランの下にはセーターを、シャツの下には半袖のヒートテックを着ているのだ。


 動きづらく、暑い。

これは学校の登下校時に、気分を不快にさせる状態ナンバーワンである。


 しかし、今はそれらの気持ち悪さを一時的に無きものへと忘却し、目の前の急コーナーを鋭く曲がる。


 左に重心をずらし、右ハンドルのブレーキを引いて後輪の回転を弱め、華麗に曲がる。これで住宅街を脱出し、道が開けてきたので、ようやく本格的にスピードを出すことが出来る。


「――って、まんま車道じゃねえか!」


 思わず一人突っ込み。そうさせる程の、馴染み深い交通経路が目の前にあった。


 四車線道路のような道だった。材質はコンクリートでは無いけれど、何故か、住宅街や広場の時と違って石畳が灰色なので、どうにもただの道路に見えてしまう。


 それを認識して道路に出た途端、ハンドルを通して手の平から身体の中心にかけて小刻みに震動が駆け抜ける。


 石畳だから当然なのだが、やはり、手が痛い。余談だが、よくヨーロッパで開催されるプロの自転車レースで、選手達が石畳のコースを走行する場面があるけれど、彼らはグローブを何重にも着けて対策を打っているらしい。


「ががががががががががががががが」


 その気持ちのほんの少しは共感できた気がした。


 しかし、道が開けたことは好都合だ。すぐそこに大きな十字路があったが、信号の代わりに、角で白と赤の旗を振っていたお兄さんが白い旗を上げて頷いてくれたので、こちらも頷いて通過。因みに、お兄さんたちは四人居た。


 左側通行なのは『元世』、というより日本と共通で、そのまま加速して前を走る馬車の数々を追い抜いていく。


 下ハンドルを握り締めて腕を九十度に。自然、上半身は倒れる形となり、体幹に力を入れて顎を引く。


 こうすることで、風邪の抵抗が弱まり、基本的に体幹を使うことで、体力や脚力の消耗度を削減出来る。

 そうしたエアロフォームをとったところで、前方遠くに黒服が乗った馬車を発見する。


「ロックオンッッ‼」


 盛大に格好付けて叫ぶ。やばい、恥ずかしくなった。


 とりあえず標的を捉えたので、エアロフォームのまま、さらに加速する。黒服の奴も気付いたのだろうか、こちらをしきりに振り向いている。


 焦っているのだろか。うん、焦っているのだろう。


 ともなれば、さらに焦らせた挙句、いい加減早く捕まえてあの子にいいところを見せてハッピーエンドに持ち込みたいところである。


 馬車より明らかにこちらの走行速度の方が速い。故に、フレーム上部に取り付けてあるレバーを下げてギアを一段上げ、少し重みを増したペダルを踏みしめて、加速、加速、加速。


「っっし!」


 ご覧下さい。あっという間に追いつきました。

 馬車の背後に引っ付き、スリップストリームの要領で風の抵抗を弱める。そして、男はこちらに身体を向け、上半身を馬車の荷台から覗かせる。


「ほう、ほう、ほう、なるほど。君が、姫様が仰っていた愚鈍な豚君でやんすか。まあ、確かにあまり強そうにも見えないし、焼いたところで美味しくなる訳でも無さそうだ」


「………………………………」


 いきなり何を言ってくるのだろうこの男は。

 追いついて、まさかのひったくり犯の方から話しかけてきて、それでいて、開口一番にぶつけられた一言がこれである。


 やはり、あの少女のような天使も居れば、このような性根から腐った野郎も居るのだろう。犯罪に手を染めた時点で腐ってしまっていたことは分かり切っていたが。


 あと、喋り方が変だし。


 そしてよく見ると、この男は外見年齢二〇代前半くらいで、黒いシルクハットの下からは総髪で整えられたサムライ風のヘアスタイルが見られる。右目に切り傷があり、もう片方の細目は淡く青い光を放っている。そして憎いことに美形である。


「白いワンピースの女の子と出会いませんでした? そのお方が、わっしが仕える姫様なんですが、その方から豚さんが追いかけていったって連絡が来たでやんすよ。多分、君のことだよね?」


「……はあ、はあ……白いワンピースって、あの天使のことか? お姫様? ああ、道理であんなに可愛いわけだ……………………………………え? 豚さんが何だって?」


「だ・か・ら、豚さんが『自進車』に乗ってわっしを追いかけてくるって……」


「あんたは何を言っている? あんな純粋無垢の天使が見ず知らずの俺に対して豚などと言う訳がないだろう」


「じゃあ、聞いてみます?」


「あ? 何か録音のような証拠でもあるのか。いいじゃん、聞いてやるよ。本当にそんなものがあるのならな!」


「通信魔術、履歴再生」


 おいおい待ってくれ。なにやらそれらしき言葉が聞こえて来たのだが気のせいだろう。


『――愚鈍極まりない豚があなたのことを「自進車」で追いかけているわ。どういう訳か、ある程度乗り慣れている様だから、気を付けなさい』


 ……??? 


『食べたら美味しい方では無くて、救いようが無い愚物に対しての比喩表現よ。あなたを焼いて差し上げましょうか?』


 …………???


「どうです?」


「……すー…………」


 走行中だというのに、思わず息を吸い込んでしまった。


 今聞こえたことをありのままに話すぜ。

聞き覚えの無い単語を聞き覚えのある声が喋っていて、その内容が結構、精神的に響いてくる類の酷いものだったのだぜ。 

 しかし、まだ決まった訳では無い。


「い、隠蔽もいいところだなひったくり野郎! 確かにあの子の声だが、人違いという可能性もなきにしもあらずだろ! 第一、お互いが思い浮かべている少女が違う人かもしれな――」


 寸前、気付く。

 声が似ているだけということで片づけることは出来るけれど、それ以外に確固たる証拠として、俺とこの黒服の間で飛び交っている白い少女の認識が、共通してしまっているという証拠として、現在進行形で機能しているブツがあった。それは、俺に跨られていた。少し言い方が気持ち悪くなった。


「君にその『自進車』を貸した少女の声でやんすよ? 現実から逃げては駄目でやんす」


 確定された。悟らされた。やばい、泣きそう。これ、何回目だろうか。


 だが。しかし。だとしても。


 あの天使のような無垢の笑顔を向けてくれた少女が、あのような辛辣な陰口を叩くだろうか。いや、『元世』においても、表と裏が、人様からの電話に出る母親の声の高さ並みにはっきりと対極しているような怖い人達は居るけれど。


 結局、彼女もその怖い方々に含まれるということなのだろうか。

 そうなのだろう、という結論が正しい気がしてきた。


 なにやら目の前が急に暗転したような錯覚に陥り、いじける様な気分になって自然と学ランの右ポケットに手がいく。どうやら溜息をつきたいときに、ポケットに手を入れる癖があるらしい。


 ポケットに手を入れる。そこで硬い感触に触れ、スマートフォンを入れていたことを思い出す。スマホの存在によって、先程から今に至る出来事が全て夢か何かではないのかという妙な錯覚に陥る。


 そうだ。俺は元々失敗を繰り返す、愚鈍な人間だった筈だ。自分を過剰に卑下するつもりは無いけれど、正直、あまりいいところも見当たらない。


 せいぜい、少しばかり発想力に優れ、すぐ物語が浮かんだり勘が働いたり気遣いが効くところだろうか。ある程度はあった。


 黒服が碧眼をさらに細めて、糸のように長細い視界で俺を凝視する。一見、飄々としているように見えるが、オーラとでも言うのだろうか。


 よく、集団で騒いでいる類人猿や、横暴に振舞っている堕天した方々、学生だからという理由で容赦なくちょっかいを出してくる矮小な大人達が居るけれど、そしてそんな生産性の無い有象無象共に心臓が敏感に反応してしまう小鹿の様な俺だけれど、目の前に居るこの男は、そんな群衆とは比較にならない程の何かを発していた。


 しかし、雰囲気のようなものを感じ取っても、それに対していつもなら無駄に過敏反応する心臓が雄叫びを上げないことが不思議でならなかった。


 というか、こうして心中で呟いている間にも馬車と『自進車』は進み、その間黒服はずっとこちらを凝視しているのだけれど、一体何を観察しているのだろうか。視線は丁度俺の右ポケットの方に注がれていると思うのだが。


「そこに潜めている物体……霊装でございやすか?」


「……そうでございやすが」


「一度、拝見してもよろしゅうございますか?」


「何故でございましゅう?」


 こいつ、ちょくちょく喋り方が変化していやがる。巻き込まれた。ところで、相手はひったくり犯である。

 要求に応じる筈が無かった。 


「ほ~う? これは何ともまあ見たことが無い霊装でやんすね~! ひょっとして君、霊装技師だったり?」


 あれぇ?

 いつの間にか文明の利器の感触が無くなり、黒服の両手にそれが握られていた。


 スマートフォンがワープした!


 そんな有り得ない現象を目の当たりにして、暫し呆然としていると、黒服がこちらの良い反応に気付いたようで。


「あー、驚きました? これ、ただの風魔法でやんすよ。もっといえば、わっしは『最高位風魔術師』なので、こういった型破りな芸当もお手の物なのでやんす」


 どうやら、この世界で魔法を高めると、もはや何でも出来てしまうらしい。

 というか。


「魔法……ね。ようやく異世界らしいものが見れた……って、やっぱすげえな! 目の前で見るとやっぱすげえ! ……じゃなくて、それ返せ!」


 はじめてのまほうは、とにかくすごかったです!

 

 純粋な感想が浮かんだ。とはいえ、やはり初めて目の当たりにする魔法は凄かった。その内容というのが若干SF寄りではあったけれども。


 物質のワープ。テレポート。現実だと銀河系数個分相当の力や光速をもってしても不可能だという話だった筈だが、やはり流石異世界。不可能を可能にする本来存在不可能な世界だ。


 そしてここで、超前述となる序章部分に上がっていたテレポートの話に繋がってくる。とは言っても、流石にこの男が風魔法なるものを使ってまで俺を現実世界からこの世界に転移させたとは思えない。 


「なに、少しだけ拝見させてもらうだけでやんすよ。……んん? 何やら全く知り得ない素材を用いていますね……」


「当たり前だ。それは俺がいた世界で、老略男女、世界各国、多種多様に使われる文明の利器なんだぜよ」 


 なんだぜよってなんだぜよ。


「ほーう? 元居た世界、ねえ。因みに……君、前世とかの記憶って覚えていたりするでやんすか?」


「あ? なんだそのスピリチュアルな質問はよお。そもそも前世なんてあるかどうかすら分からないだろ。そういうあんたはどうなんだ」


「わっしも全くでやんすよ。いえね? たまにいるのでやんすよ。どの世界にも、どの時代にも、身元不明で無知蒙昧な一文無しの『漂流者』が。…………太古にまつわる複雑な因果関係を持ちながらね」


「へえ、都市伝説的なやつか。というか、もしかしたら、そいつらも俺みたく元の世界から転移させられたってことなのかな…………また話をはぐらかされた。早くそれを返せ」


「分かりましたよ。あ、もう少し待って」


 どうでも良くはないが、こいつ、焦らしプレイヤーだろうか。俺のスマホでも分析しているのだろうか。


「なんかアプリ起動していますよ?」


 アプリ? 貴様、今アプリと言ったか?


「いやいや待ってくれ。幾ら何でも順応が早すぎじゃね? あからさまにスマホのことを知らなかったじゃん」


「だから魔法ですよ。この世の超常現象は全て魔術と『獣術』と『神術』で説明が着くでやんす」


 全てでは無いだろう。そしてまたよく分からない単語が出てきた。


「とりあえず、何のアプリが動いてんの?」


「どうやら、何らかの拍子でスマホに振動が加わり、結果的に音声アプリが開いてしまっていたようでやんすねぇ〜……『MUNE』というアプリが」


「なんで『MUNE』が勝手に……? そしてそれが今、何か関係あったりすんの?」


 『MUNE』はこちらの発言に対して、滑舌が良い時且つAIの理解が及ぶ範囲で応答し、色々と行動して下さる万能サービスである。最近では翻訳も可能となっており、年々便利になってきている。


「ほうほう、今は翻訳機能が働いているようでやんすねえ。それによって、わっしとお主はまともに会話が出来ているという訳でやんす」


「まともに会話? だったら、それはさっきも出来ていたことだぞ。だからこそ、白い少女と話をしたと……」


「問題は『まともに』、という点ですよ。『漂流者』関連の話で、言語は同じなのに会話の内容が噛み合わないことが多いらしいのだとか。その原因として考えられるものが、互いの会話に対する認識の部分にあると思うでやんす」


「言語では無く認識……?」


 つまり、言語は共通しているが、会話の内容までも共通しているとは限らないということだろうか。しかし、今はこうしてこの黒服との会話が成立している訳で、先程も――


「ちょっとこの翻訳機能を通じて、もう一度姫様の会話を再生してみますね? ただ、時間は少し前のものになりますが。丁度、お主と姫様が出会った時の会話になりますね」


「お、おう。どんとこいだぜ。まだ望みは捨てた訳じゃねえからな」


 そして、その往生際の悪い少女への謎の信頼は、呆気なく、容赦なく破砕される。


『物凄く格好良いですね!』


『物語の主役みたいで格好良いです!』


『いえいえ、そんなっ、私、全然大したことしてないので……顔を上げてください』


『ひったくりを追っているのでしょう? だったらあそこに停めてある乗り物をお使いになって下さい。恥ずかしいことに私には力が無い分、あれを操縦することが難しいので』


『あなたは乗れますか?』


『なんか、さまになっていますね! 格好良いです!』


『道中、お気をつけてください!』


 これが、俺が認識していた、『翻訳前』の少女から放たれていた言葉。

 そして。


『物凄く格好悪いですね!』


『物語のかませ役みたいで格好悪いです!』


『はいっ、あなたの蛮勇は十分に恥じるべきものだと思います!』


『えっ? 何で貶されているというのに感謝しているのですか? 変態ですか? 救いようがない変態ですか?』


『ひったくりを追っているのでしょう? だったら、愚鈍な豚の足では追いつかないと思うので、試しにあの「自進車」を使わせてあげるわ。自慢では無いけれど、私は翼で飛行が出来るので、「自進車」を使う機会が無いものだから、どういう具合か見てあげる。ま

あ、あなたが乗れたらという話だけれど』


『あなたみたいな人にも、それを乗れるぐらいの特技はあるみたいね』


『しかし、姿勢をとったところで愚かさは変わらないみたいね。格好悪い』


『道中、人ひとりでも轢いたらあなたを挽き肉にするわよ』


 …………。

 …………。

 …………。


「悪魔かっっっっっっっっっっっっ‼」


 声高らかに、叫ぶ。走行中にも拘わらず、ヘッドバンキングしてしまったのだった。

 

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