第15話 大衆

 テルルは長い廊下を歩くとき、少しフラフラしていた。そして息も上がっていた。

 これだけの長い間眠っていたのだ、無理もない。

 マリーもそれに気付いたようだった。


「少しリハビリしたほうがいいな。歩く程度からゆっくり始めて、徐々に体力を取り戻せ」

「そうね。これじゃまるで、病人だわね」

「トミー、テルルのリハビリを見てやってくれ。無理させないように、徐々にだぞ」

「わかった。まかせとけ」


 それからテルルのリハビリが日課になった。

 建物の長い廊下を歩き、徐々にその距離を伸ばし、歩行スピードも徐々に上げていった。テルルはすごい速さで体力を取り戻していったが、そのぶん筋肉痛がキツイようだった。


 体力が回復してくると、ふたりでゲームセンターに行ったりスポーツをしたりジムに行ったり、徐々にハードなものが出来るようになっていった。

 マリーはよく様子を見に来たが、自分は参加しなかった。


 テルルの体力がかなり回復してきたころ、マリーが白黒の何かの写真を見せてきた。

 何の写真か全くわからなかったので、俺がじーっと見ているとマリーが「子供だ」と言った。


「どれが?」

「この小さい塊」

「えーと、何を何て言えばいいんだろうか・・・」


 言うべき言葉が見つからなかった。でかした!でもやったぜ俺の子だ!でもおめでとう!でもパパだぜ!でもない気がした。これは実験だと言ってたし、夫婦ではないのだ。

 お互いにそういった感情は無い。


「いや、何も言わなくていい。ここまで細胞分裂が進んだのは初めてなんだ。今まで9回実験したが、すべて失敗だった」


「9回流産したのか?」

「そんな大そうなもんじゃない。どうやらそのままでは地球人との子供は出来なそうだったからな。私の方のDNAをアレンジしてトライしてたんだが、地球の男のは元気が良すぎてな」

「元気が良すぎて?」少し顔が赤くなった。


「通常は、男と女のDNAが半分ずつ混ざり合って、そこにランダムな因子が入るんだが、私の卵子との実験では最初、トミーの遺伝子が75%を占めてしまっていた」

「そりゃ元気がいい」


「私の卵子を強くしようといろいろ調整して、やっとここまで来たんだ」

「細胞分裂が進んでいるってやつだな」


「もしもこれが失敗したら、次はトミーの玉を調整させてもらうかもしれん」

「痛いのはイヤだぜ」

「玉に注射だな」

「シャレにならん」


「出来れば、トミーのほうはいじりたくないんだ。DNAに何も変更を加えていない天然ものだからな」

「子供の為にも俺の為にも、マリーは安静にしててくれよ」

「心得た」




 それからマリーは体をいたわり安静にしながらも、暇な時間に俺に、この星のDNA治療の歴史の話をしてくれた。



 私たちはな、DNAにどんどん変更を加えていって、病気を治療していって、病院に来るのはほとんどケガ人だけになった。

 世界から病気がほとんど消えて、ほとんど消えたって言うのは、病気になるけど全ての病気がすぐに治るって意味だな。


 人々は少しずつワガママになっていった。

 人間ってのは文句を言う生き物なんだ。どんなに満たされても、文句を言う材料を探してしまうんだな。


 病気になってもすぐに治る、では満足しなくなった。

 一瞬でも病気にはなりたくないって言いだしたのさ、テルルのよく言う大衆ってやつだな。

 一般大衆何万人、何億人ってのが騒ぎ出すと、それは誰にも止められないのさ。


 そして、その大衆の願いを叶えることは、私たちにとっては不可能ではなかったんだ。



 人間には、病気にならない人ってのが多くいる。


 生まれてから死ぬまで一回も病気にならない人だ。そして、その人たちは病気にならないから医学的資料が少ないんだ。

 医学界ではまったく目立たない、病院いらず、医者いらずの彼ら彼女らの体を支えるDNAには、完璧なバランス調整をする優れたDNAがあったんだ。


 死ぬまで健康ってやつだな。よくいるだろ?


 一回も大きな病気にも小さな病気にもなったことが無い人ってのを探して、まあ、大半は病気になったことを忘れているだけの人だったが、それでも、死ぬまで健康なDNAのサンプルはたくさん集まった。計算よりかなり少なかったがね。


 各地の定期検診をしている病院でサンプルを集めたんだが、医者はこの死ぬまで健康な体にする計画に、あまり乗り気じゃなかったのさ。医者の仕事が無くなるからね。


 でもね、大衆のその大きなうねりみたいなものは、誰にも止められなかった。


 人には健康になる権利がある。そこに健康になる技術があるのになぜ使わないのかってさ。


 大衆の勢いに負け、私たちはDNAを改変した。

 ほとんどの人が、死ぬまで健康な体を手に入れた。


 小さな薬を、一粒飲むだけでね。



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 ここからはテルルの話だ。


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 人はね、欲望に支配された生き物なの。


 死ぬまで健康な体を手に入れた人々は、さらなる欲が出てきたの。


 地球にも美容クリニックってあるわよね。

 日本のテレビでCMをよく見るけれど、あれもね、顔もね、DNAの書き換えが可能なのよ。だってDNAに書かれているんだから。


 眉の太さはこれぐらい、形はこんな感じ。顎の脂肪の付き方はこんな感じで頬の脂肪はこんな感じ。鼻の高さはこのぐらいで軟骨はこんな形って、膨大な量のデータがすべてDNAに書いてあるの。


 人々はそれを自由に調整したいって言いだしてね。これはビジネスだからすぐに可能になった。

 顔の輪郭、骨の形は変化にすごく時間がかかったけど、頬や顎の脂肪の付き方はすぐに効果が出た。男の人の頭髪が薄いのもすぐに生えた。


 体型も変更可能だった。身長は成人だと変えるのは難しかったけど、成長期前の子供なら身長だって自由自在だった。


 女の人はスリムになってグラマラスになって、男の人はスマートになったり細マッチョになったりした。これもね、筋肉質な人や、食べても太らない人っていうDNAが使われて、食べても太らない理由はいくつかあるんだけど、それも調整されて、一切努力しないで理想の体型を手に入れた。


 テルルもそうなのかって聞かないでね。

 全員がそうなのよ。気軽に調整できたのよ。服を選ぶみたいにね。



 ここまでで、世界から完全に病気がなくなり、全員が死ぬまで健康な体を手に入れて、外見も自分の好きな外見を手に入れたわね。


 これで世界は完璧になったと思う?


 まだ大きな問題があるのよ。


 それは犯罪よ。

 肉体と容姿は完璧になったけど、人の心は醜いままだった。


 またもや大衆が騒ぎ出したわけ。犯罪撲滅ってね。


 人の性格とか感情っていうのはね、あなたは驚くかもしれないけれど、DNAによってほぼ決まっているの。


 その人が、どんなものに興奮するのか、どれぐらい興奮するものを求める心が強いのか、どんなものに安らぎを感じるのか、どれくらい安らぎを強く求めるのか、そういう基本的な趣味趣向とか衝動の強さとかは、ほとんどが体から来る感情なのよ。


 そして体を作っているのは、もちろんDNAなのよね。一卵性双生児の事例を見るとそれは昔から明らかだったんだけれど、大衆はその事実を、自分の事として受け入れるまでに多くの時間を必要としたのね。


 そしてね、犯罪の話に戻るけれど、投獄されている犯罪者と、犯罪を犯すなんて考えたこともない人とのDNAには、これは心を形作っているDNAにはって意味で、明らかな違いがあったのよ。イライラする頻度とか感情をコントロールする理性の働きとか、育った環境よりも元々のDNAの違いが影響を与えているって分かった。


 この性格の調整はかなり難しかったけど、獄中の犯罪者で実験が繰り返されて、犯罪者たちは、おとなしくて臆病で気の弱い人に変わったの。

 この改変によって、すぐにイライラしていた人はイライラしなくなったし、怖いもの知らずだった人は恐怖を強く感じて心拍数が上がりやすくなったし、その調整で全体的に安らぎを求める傾向が強くなるようにしたの。興奮を嫌うようにしたのね。


 さらにね、犯罪歴のある人のDNAも変更されたの。刑期が終わって釈放された人ね。

 罪は償っていたけど、かなり再犯率が高かったし、大衆の勢いもあった。

 犯罪歴のある人全員のDNAを変えたのよ。


 これで大衆は大人しくなるって私たちは思った。



 だけどね、大衆の勢いはここでは止まらなかった。


 暴力性にはスイッチがあるの。キレるとか地球では言うわね。

 その、スイッチがいつ入ってしまうか分からない、隠れた暴力性っていうのも排除しろって大衆が言い出した。

 こんな怖い世界では安心して眠れない。世界に安心と平和を。私たちには安心と平和を手にする権利があるってね。


 そしてその技術はあるんだから、使わないのは間違っているって言うわけ。


 もうここまで来ると政府は大衆の言いなりよ。少しの人が言っているわけではなく、世界中がみんな言ってるんだもの。


 世界のほぼ全員が、「絶対に暴力なんて振るわないタイプの人」になった。


 ここまでくると、そのDNAの変更は全て法律になった。役所で身分証を提示して薬を飲むのよ。そしてサインするの。飲みましたってね。



 暴力性は排除した。さて、私たちが完璧になるためには、あと何が障害として残っているでしょうか。大衆は何に対して文句を言うでしょうか。


 あなたも大衆という物の正体を理解してきた?


 次に大衆が目を付けたのは、窃盗とか詐欺とか、物欲に関する心の問題。暴力的な事件が消えて、物欲に関する犯罪が大きくニュースで取り上げられた。そういった犯罪は無くなってはいなかったから、というより、もうニュースになるような犯罪は窃盗と詐欺詐称しかなくなってたの。あと政治家の汚職ね。


 だけど、この犯罪を無くすのは難しかった。

 他人をだまして自分だけが得をしたいって心は何なのか。何が原因で、どんな心に基づいてそういう行動をしてしまうのか。

 でも、物欲っていうのは誰もが持っているものだし、人によって強い弱いはあるけど、DNAに大きな違いは見つけられなかった。



 そこで大衆は、驚くべき行動に出たの。


 すべてを無料にし、経済を無くしたの。

 所有するという概念を捨て、すべてをみんなで分け合ってシェアする世界にしたの。他人より多くのお金や物を所有するという行為の意味を無くしてしまったのよ。



 そしてその頃にはね、世界は機械化が進んでいたの。


 神アプリで適材適所のバランスの取れた世界では、文明が一気に加速していた。

 才能のある人たちが、その能力を遺憾なく発揮できるポジションで才能を思う存分発揮していた。文明を支える機械はものすごい速さで進化して、AIが世界のほとんどの仕事をこなしていたのよ。

 労働を強いる、誰かを労働させるって行為は悪になっていたのよ。


 ボロンが発明されて、何でも作れるようになって、環境保護団体は植物を採るな、動物保護団体は動物を獲るなって言って、農業や酪農や漁も猟も禁止された。自然はノータッチよ。法律でね。



 そしてね、ここまでの大衆の大きな「うねり」を動かしていたのが、ジルコンという名前の「神アプリ」だったのよ。



 ここがたぶん、人が人として完璧だったポイントだったと思う。


 私は良しとはしないけれど、生物として、知的生命として、完璧な社会と完璧な肉体を作り上げた瞬間だったと思う。

 病気は無く、労働は無く、自然も破壊しない。そして犯罪も無い。完璧な世界。


 でもね、ここでひとつの事件が起きた。


 ここからは、ボロンという機械の話なんだけど、もうすぐお客さんが来るから・・・



「誰が来る?」

「世界最大のボロンを動かす人」

「ボロンって、何でも作れるあの機械だろ?」

「そうよ」


「世界最大って、何を作る?」

「核ミサイル」

「は?」

「防衛衛星」

「おお、防衛衛星がどれだけでっかいか知らないが」

「宇宙船」

「宇宙船ってあるのか?」

「無いけど、作る予定」

「どこで?」

「宇宙よ、あたりまえじゃない」

「そうか・・・」



「テルル、もう来るぞ。入口まで迎えに行ってくれ、受付に入館許可をふたつ発行した。窓口の中に出てるからな、渡してくれ」

「わかったわ。トミ、行きましょう」


 俺たちは久しぶりに建物の外に出た。地下だが。


 地下の、俺たちが初めてここに来た時の入口だ。

 外に出ると俺たちの乗ってきた車がそのままの形で駐車スペースに停まっていた。ここに来た時に1回服を取りに戻ったが、それ以来もうずいぶんと長い間来ていなかった。

 俺たちが来た時に、変なはみ出し方で停まっていた黄色い車は(本当は白い車だが)きちんと駐車スペースに停めなおされていた。マリーが移動させたんだろう。


 地下の空気はひんやりとしていた。

 相変わらず暗い空間をオレンジの光が照らしている。静寂に包まれた地下空間で俺とテルルはしばらく待っていた。


「車で来るのか?」

「そうでしょうね、歩きってことは無いわね」

「あの小さな黒い姿なんだろ?」

「そうね」

「どうやって車を運転するんだ?」


「あの体はね、機械と一体になれるのよ。車と一体になれるの」

「ハンドルは握らない?」

「そうね、ハンドルもアクセルもブレーキも、何も触らない」

「よくわからん」

「それに、自動運転だってあるでしょ」

「ああ、忘れてた」

「少し寒いわね」

「中で待つか?」


「待って、何か聞こえる」


 タイヤのキキキーという音が遠くで聞こえた。耳を澄ましていると、規則的にキキキーという音が聞こえてくる。そしてそれが、段々と大きくなってくる。


 地下空間にタイヤの音が響いている。たぶん下の階から登ってきている。

 ここは地下10階だから、それよりも下の階から走ってきてるってことだ。そしてタイヤが悲鳴を上げるほどスピードが出ているってことだ。


 突然角から四角いジープのような大きい車がズギャギャギャーと4輪ドリフトで現われた。

「おいおいおいおい、ちょっ、まっ、うぉい!」

 車はスピンしながら俺たちの前で停まった。轢かれるかと思った。俺は車をよけようとして変なポーズで固まって、それをテルルが笑った。


 車は迷彩に塗装されていた。

 色は黒と、おそらく青と灰色。オレンジの照明で色が良く分からない。

 迷彩塗装された大きなジープはバックで駐車スペースに入った。


 運転席のドアが開き、そこから黒い小さいのが大きなバッグを持って飛び降りた。そして後ろのドアが開き、そこからも小さいのが現れた。バッグを引きずっている。


 運転席から出てきた小さいのがカツカツと音をさせながら歩いてきて、テルルを見上げて言った。


「ナゼ、アメリカジンニ、シナカッタ」

「日本人が好きだって言ったじゃない」

「オイ、ニホンジン、キサマノ、コンジョウヲ、タタキナオシテヤルカラナ」

「こいつは何を言ってるんだ?」

「さあ」


 後部座席から出てきた小さいのが俺を見上げて自己紹介した。

「コ、コンニチハ、プロメ・ティーム、デス」

「富沢だ、トミって呼ばれてる」

「トミサワ?」

「富沢文春」

「フミハル」

「トミーでいいぞ」


「ニホンジンデ、トミーナンテ、イルカー」

「うが!」


 18キロある金属生命体に足のすねを蹴られると、シャレにならんほど痛い。俺はそこでしばらくうずくまっていた。

 俺のうずくまる横で、テルルと小さな2人はトラン語で何か喋っていた。


「そろそろ平気?」

「ああ、何とか・・・」


 病院の入口を入り、受付で入館許可を2人に渡した。小さな2人は入館許可を腰に巻いた。そしてマリーの研究室に向かった。

 2人は廊下を大きなバッグを引きずりながら速足で歩いた。


「そのバッグは何が入ってる?」

「フク」

「服? なるほど」


 マリーのラボに入ると、俺は2人のために禁止されている操作をした。今回は再生カプセルの前に大きなカーテンがあった。テルルが用意したらしい。テルルは生まれ変わってから女性らしい振る舞いが増えた気がした。



 再生が終わるとカーテンの向こうでゴホゴホと咳をしていた。テルルが水を渡して面倒を見ているようだった。

 しばらくして、服を着た生身の2人がカーテンの向こうから出てきた。


 テルルやマリーみたいな長身を想像していたが、彼女たちの背はそれほど高くなかった。

 2人の身長は160ぐらい。2人とも赤い髪を後ろで結んでいた。

 片方は暗いピンクと茶の迷彩服で、髪を後ろで簡単に結んでいた。もう片方は白いブラウスに黒いロングスカートで、髪を後ろで三つ編みにしていた。

 歳は20代中盤に見えた。トラン人の年齢とか誰も教えてくれないが。


「あたしはストルン・ティームだ。ティーム少佐と呼んでくれ」

 迷彩服が言った。俺の足を蹴ったほうだ・・・

「少佐なのか?」

「いや、違う。上から6番目って地球だと何だ?」

「知らん」

「下から35番目って地球だと何だ?」

「知らん」

「前に見たアニメの少佐がかっこよかったからな、少佐でいい」

「知らんが・・・」


「私はプロメ・ティームです。双子なので、プロメと呼んでください」

 白いブラウスのほうが言った。双子?


「ティーム少佐、両方ティームだが」


「ではストルン少佐と呼んでよい。許す」

「なんなんだ・・・」


「トミー軍曹!食事の時間だぁ」

「軍曹じゃねえよ!」




 

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