第11話 神アプリ

 

「神アプリ?」


 俺は握られた手を見ながら言った。テルルの指は細く、そしてテルルの手は驚くほど冷たかった。


「そう。私たちの文化にも、地球と同じで宗教がある。そしてそこにはもちろん神様がいる」


「神様を信じてるのか?」


 俺は無宗教だが、しいて言えば浄土宗だ。死んだら浄土宗の坊主を呼ぶだろう。


「宗教を信じるのは別にいいのよ、神様は苦難を乗り越えるための心の助けになるし」

「そうだな」

「そして、地球でみんなが神様に祈るように、この星ではジルコンに祈ってる。いくつもの宗教があって、それぞれ違うジルコンを祭ってて、宗派ごとに戒律の違いがある」


「アプリの名前がジルコンってことは、神って名前のアプリってことか」

「恐れ多い名前だと怒る人も多かったけど、若者は気にしなかった」

「最近の若者ってやつか、いつの時代でも、どこの惑星でも、そういうのってあるんだな」

「最初は若い世代が面白がって使いだした」


「それで、そのアプリにはどんな機能があるんだ?」俺はテルルの冷たい手を温めながら聞いた。「パンパンと手を叩いてスマホに祈ったら願いを叶えてくれるのか? それとも課金すると叶えてくれるのか?」


「占いのアプリね」

「占い?」


 俺は目を丸くして笑ってしまった。


「初めはみんな気にしなかったのよ。名前は気に入らないけど占いなら別にいいかって」

「占いじゃなかったのか?」

「占いよ、よく当たるね」

「当たるのか」


 テレビの朝の占いなんてのは適当にやってるってのがよく聞く話だが、風水とか言われると俺もちょっと気にしたりする。風水は占いじゃないとか言うしな。


「さっきの話、データ収集」

「おお、なるほど。集めたデータで占いか」

「それも、ものすごい精度で当てるんだけどね」

「そんな当たるのか?」


「お店で料理を選ぶときに、迷ったらジルコン様に聞く。そうすると答えてくれるの」

「タベログ?」

「道に迷ったら、ジルコン様に聞く。それも答えてくれるの」

「地図?」


「迷わなくてもジルコン様に聞く。答えてくれるの」

「えっと、何を聞く?」


「ジルコン様、暇ですって言うとするでしょ? するとジルコン様は、ではこの地図に表示されたお店に食事に行きましょう。素敵な出会いがあるかもしれませんよって言うわけ」

「それで、出会いがあるのか?」

「あるのよ」

「なんで?」

「向こうもジルコン様に言われて来てるから」

「仕込みかよ!」


「でもね、その人のデータを収集して、持ち主がどんな人か知っているわけだから、このタイプとこのタイプをくっつけたら上手くいくっていうのもデータ化されているのよ」

「それを計算して出合わせるのか」

「そうよ」

「すごいな」


「高性能すぎたのよ」

「そんなにか?」


 ベストマッチングを探すアプリなんていくらでもありそうだが。


「恋愛とかじゃなくてね、すべてに答えてくれるアプリなのよ」

「全て?」


「生活のすべて」

「うーん、生活の全てって、どうなる?」


「人々は神アプリに支配されたの」

「支配?」


 俺はまた驚いて笑ってしまった。


「人間はね、これは大衆って意味だけど、頭があまり良くないのよ」


「俺もあまり良いほうじゃないが・・・」

「それは置いといて、みんな自分が他人より頭がいいと思って生きてるのね」

「自分がバカだと思って生きてちゃ辛いもんな」


「だから他人に後れを取らないために、みんなが欲しいっていう物は自分も欲しがって、我さきにって手に入れるし、今ならお得ですよって言われたら、他人よりも得をしたいって心理が動いてそれほど欲しくなくても手に入れるし、万が一のためにこれを持っておくと安心ですよって言われたら、万が一の時に他人より上に行くために買ってしまうし、例を挙げたら切りがないんだけど、分かるかしら・・・」


「ちょっと当てはまりすぎて心が痛い」


「それは経済のためには必要なことだから悪いとは言わないんだけど・・・」


「経済の為か、消費社会には無駄な買い物も必要だってことか?」


「神アプリもそれに該当したのよ」


 テルルの俺の手を握る力が少し強くなった。


「みんなが使っていて、みんながすごいって言ってて、みんな使ってるよ、まだあなたは使ってないの?ってまわりから言われて、人生がガラッと変わるから騙されたと思って使ってみなさいよって言われて」


「よく聞くセリフだな「みんなやってるよ?」ってすぐに言うやつ俺はあまり好きじゃない、だから何だって俺はいつも思うんだが、それでもそのセリフに世間のみんなは流されるんだよな」


「その通り」


「それで爆発的に普及したのか」

「そうね」


「それでどうなったんだ?」

「考えなくなった」

「何を?」

「全てを。全てをジルコン様に聞いて生きるようになった」


「だって、別に聞かなくたって生きていけるだろ?」

「きっと聞かないわけにはいかなかったのよ。仕事に出かけるときにジルコン様が言うわけ、今日は違う道で行ったほうがいい、トラブルに巻き込まれるかもしれないって」

「そのまま同じ道で行ったらどうなる?」

「知らないわ、みんな違う道で行くもの。それにトラブルに巻き込まれなかったとしても、それはそれで「かもしれない」だからいいのよ」


「汚いな」

「でも大衆はね、リスクを減らしたいって感情に動かされやすいのよ。ジルコン様の言う通りにしないで、もしも嫌なことに出くわしたら、やっぱり言うことを聞いておけばよかったなって思っちゃうわけ」

「そうか」


「そして段々と考えるのがめんどくさくなって、ジルコンに聞くのが当たり前になっていって、自分で決断することを忘れてしまうの」

「分かる気がする」


「だから、常にジルコン様に聞くわけ。次は何しましょう、次はどこに行きましょう、次は何を買いましょうって感じで、常にね」

「嫌な世界だな」

「徐々に大衆は、ジルコン様の言うとおりに動くようになったのよ」


「まさに神アプリだな」


「そうね」


 テルルの手は冷たくはなくなっていたが、少し汗をかいていた。


「大事な決断も些細な決断も、すべてをよく当たるアプリに任せて生きるようになったわけか。地球の神様はどんなに願っても答えてはくれないが、すべてに答えてくれる神様に全てを委ねて生きるのと、どっちがいいんだろうな」


「人間は楽なほうへと行きがちよね」

「楽だな、そのアプリに任せる生き方は」


「でも別に、悪意のあるアプリじゃなかったから、いい事もいろいろあったの」


 テルルは俺の手を放して伸びをした。話の山場は超えたらしい。


「ちょっと停めて散歩しましょうか」


 テルルは車を停車させ、俺たちは外に出た。

 外の風は、冬のように冷たかった。


 俺たちは前にショッピングモールで手に入れたコートを車から出して着込んだ。ショッピングモールからずいぶんな距離を移動していた。


 ショッピングモールの思い出の詰まったコートは、俺が深緑のフード付きコートで、テルルは暗い紫のダウンコートだ。


「太陽がかなり低くなったな」

「友達の所までもうすぐ」

「やっとゴールか?」

「それはまだ先だけど」

「どこまで行くんだよ」


 テルルは海沿いの道を離れ、内陸に続く坂道を登りだした。かなり急な上り坂が遠くまで続いている。

 道の横の木々は、さすがに太陽が斜めすぎるようで、少し太陽側に斜めになっている程度だ。木々は太陽の角度より、生えている斜面の角度のほうを気にしていた。そしてその幹は一様に細かった。太陽光が少なく十分に光合成できないのだろう、それに寒い。

 そんな頼りない木々に挟まれた上り坂を俺たちは登っていった。


「神アプリはね、いろんな問題を解決もしたの」

「いろんな問題?」

「社会問題」

「どんな?」


 急な坂道をゆっくり登りながら、テルルは話してくれた。


「例えば、どの会社で働けばいいか聞くと、その人の適性を見て、求人状況を見て教えてくれたし、会社でイヤなことがあって、もう辞めちゃいたいって思っても、もう少しだけ頑張ると良いことがありますよって言ってくれたりね。そして怒鳴り散らすような問題のある社員には、転職してみましょうって言ってそこを追い出したり。もちろんその人はその人でイライラ怒鳴り散らさなくてもいい職場に行くのよ」


「すごいな」


「働かないで引きこもってるような、社会から逃げちゃった人にはね、ちょっとだけ働いてみましょう、かわいい子と出会える可能性が高いですよって言ったりもするの」


「ひきこもり問題ってトランにもあるのか?」俺は驚いて聞いた。


「あるわね。それは人類共通、違うわね、生物共通ね」


 テルルは少し息が切れてきていた。しゃべりながら登っているから俺よりキツそうだ。


「違う生物にもいろいろな個性を持ったそれぞれの個体差があって、野生動物だと群れを追い出されたりするんだけど、この文明社会だと人権を尊重とか個性を尊重とか言って、切り捨てられないから問題になるのね」


「個性を尊重って、引きこもりにも当てはまるのか?」

「そりゃそうよ。生きてるんだから」

「地球でも?」

「地球でも!」


 最初の話だと、神アプリは人間を考えなくさせて、堕落させるものだということだった。でも社会問題を解決するってことは、良いアプリな気もする。

 俺の手を強く握りながら話したテルルは、神アプリを恐れている、あるいは、憎んでいる印象だった。どういうことなんだろうか。


「神アプリは多くの社会問題を解決したけど、全ての人を救えるわけではなかった」


「全ての人を救う?」ずいぶん大きなことを言う。「ああ、神だからか」


「そうね、神様のように、大衆はモコソに祈って必死に訴えたけど、病気は救えなかった」


「そりゃ、スマホアプリに病気は治せないな、病院に行けとは言えるけどな」

 テルルはかなりキツそうに太ももを押さえながら登っていた。


「少し休むか?」


「もうちょっとで登りきる。あそこまで! ハァハァ」


「無理すんなよ」


「体に負荷をかけないと、筋肉が、衰え、ちゃう、の!」


 俺たちは坂を上りきった。

 そこは展望台になっていて、高台から広い海が見渡せた。

 遠くに太陽が赤く光っている。見慣れた夕焼けも、海沿いの低い位置とは見える風景が違っていて新鮮だった。遠くまで続く広い海に船は一隻も見えない。


「寒いな!」

 海からの風はさらに冷たかった。


「でも、いい景色だわ」

 テルルの赤い髪が風に揺れた。


 辿り着いた展望台は小さめの山の中腹にあって、陸も見渡せた。陸のほうには相変わらず森が広がっていたが、木々の葉は少なく、出発したビルの地域とは木の種類が違っていた。杉のような針葉樹が多く見えた。

 森の中に立つ通気口のビルも背が小さく、数も少ないようだった。


「この辺は人口が少ないみたいね」テルルがビルの数を見て言った。「空気取り入れ口が少ないってことは、地下の人口が少ないってことよ」


「なるほど」テルルの説明は理論的だ。


「それと、あっちの海岸沿いの、遠くに大きなビルが見えるでしょ?」テルルが遠くを指さして言った。


 確かに、海沿いの道の先に小さくビルが見えた。ビルは岩山を背にしてまっすぐに立っているように見えた。


「なんで斜めになってないんだ?」


「後ろに植物が無ければ、まっすぐでいいのよ」


「そりゃそうか」斜めに立てるのは理由があったんだったな。「まわりと比べると、けっこうデカいな」


「あそこに友達がいるの」


「どんな友達だ?」


「全ての病気を、治せる人。」


 テルルは海からの風に髪を押さえながら、遠くの月を見て言った。今日は太陽の近くに3個の細い月が見えた。


 全ての病気を治せる人だって?

 急な坂を上りながら、テルルが「神アプリは、病気を治せない」って言ってたのを思い出した。では友達っていうのは何者なんだろうか。



「それって、神か?」


「違うわよ!」


 テルルは俺の肩を強めに叩いた。




「ねえ、あれ見て」


 テルルが下のほうを指さして言った。

 下を見ると俺たちの車が路肩に停まっているのが見えた。そして車の先500メートルぐらい行った道路脇に、黄緑色の大きな平たい屋根の建物が見えた。


「またやるのか?」


 それは旅の途中で何度も立ち寄った施設だった。スポーツ施設だ。

 地球とは少しルールが違うが、テニスやバドミントンやバレーボールのようなスポーツをすることができる。コートがあってネットがあってボールを打ち合うタイプのスポーツが、数種類できるようになっている。


 この施設にはシャワー室が付いている。

 俺たちは度々この施設に立ち寄り、汗だくになるまでボールを打ち合った。そしてシャワーを浴びた。


「あそこに寄って運動して、シャワーを浴びてから少し眠りましょう」

「友達の所に急いで行かなくてもいいのか?」

「ここからは少し慎重に行きたいから、少し休憩してからね」

「休憩するのに運動するのかよ」

「久しぶりに会うのに太ったとか思われたくないのよ!」


 俺たちは苦労して登った急な坂道を下り、車に戻った。車を少し移動させ、スポーツ施設の駐車場に入れた。


 このスポーツ施設の駐車場には必ず車の充電をする設備が付いていて、体を動かしている間に車の充電をしてくれるとテルルが教えてくれた。


 ここのシャワー室にはボロンが付いている。ボロンとゴミ箱が並んでいて、汚れた服をゴミ箱に入れると、となりのボロンから洗濯されたような服が出てきた。畳んではくれない。


 小さなボロンは車にも装備されていたが、電力消費がすごく大きいということで、テルルは本当に必要なものにしか使いたがらなかった。


 駐車場に停めて車を降りた所で、俺はテルルに聞いてみた。


「前に、ボロンはすごく電気が必要って言ってたけど、充電できるここでまとめて作るわけにはいかないのか?」

「うーん、仕組みは私にも正しく説明できないんだけど、ボロンの中には材料のカートリッジみたいなのがいくつもあって、それが空になると作れないのね」

「カラープリンターみたいな感じか」

「ゴミ箱に入れたものは分解されて、90パーセントぐらいはカートリッジに入るんだけど、車についてるボロンはカートリッジが小さめだから、そのカートリッジに入りきらないものは車の外かどこかに捨てられていて・・・やっぱり正確には説明できない」

「いや、十分わかった。無限には出てこないってことだな」


 ボロンの仕組みは専門外って事らしい。テルルにも知らないことは多い。



「今日は勝つわよ!」

 テルルは気合を入れてスポーツ施設に入って行った。


 入り口の受付機械には、何種類かのスポーツの絵が描かれたボタンがある。ボタンを押すと、近くのボロンから道具が出てくる。

 今日はバドミントンのようなスポーツのボタンを押した。ボロンから数個のボールとラケットが出てきた。ボールやガットの付いたラケットなどは消耗品だから新品をボロンで出すらしい。帰る時にはもちろん返却する。


 更衣室にはスポーツウエアが用意されていて、俺はこれから始まるハードな時間に少し憂鬱になってスポーツウエアの並んだ更衣室で、ゆっくり着替えた。


 コートに出るとテルルが既に待っていた。


「ちょっと、元気出しなさいよ!」テルルが気合の入っていない俺の顔を見て言った。「別のやつでもいいけど、変える?」


「いや、これでいい」


 テニスボールのような緑のボールに大きめの鳥の羽が何枚もついているのを、テニスラケットみたいなので打ち合うスポーツだが、ネットが高く、ジャンプしないとスマッシュが打てない。


 俺たちは1時間か2時間か、汗だくになりながらそのスポーツをした。

 途中に休憩をはさんで、足が動かなくなるまで戦った。


 テルルは強く、最初のうちはテルルが勝ちを稼いだ。しかしスタミナが切れてくると、俺のほうが勝ちが多くなった。


 最後はテルルのほうが先にスタミナが切れて、コートに座り込んだ。


「限界、終わりにしましょう」

「そうしよう」


 最終的な勝ち数はテルルのほうが少し多かった。


「私の勝ちだけど、スタミナで負けたから引き分けね」


 テルルはフラフラしながら立ち上がり、シャワー室に向かった。



 シャワーを浴びて外に出ると、雨が降り出していた。


「軽くご飯食べて、この駐車場で少し眠りましょう」

「走らせながら寝たら起きるころには着くぞ」

「ここからは慎重に行くって言ったでしょ」

「そうだっけ・・・」


「休んだほうがいいわね」


 車の中の食料は、旅の間にほとんど無くなっていた。

 水などはボロンで作っていたが、こういう施設で買い込むこともあった。軽い食事や、菓子のように固めた栄養補給食や飲み物などは売っていた。前に金のことを聞くと「お金は気にしなくていいのよ、場所によって無料だったり私が出したりしてるけど、今はお金が無くても生きていける世界なのよ」と言っていた。


 俺たちは食べ物を買い、食事をして歯を磨いて車の中で眠った。歯ブラシはトランにもある、もちろん。




 

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