第9話 移住
「さっきはどこまで話したかしら」
テルルはまた俺の横に座った。
「さっき?」
テルルの横顔はCGで作られたかのようにパーツひとつひとつが整っていて、思わず見とれてしまう。まつ毛も眉毛も頭髪と同じく赤いが、それが不自然ではない。
「私たちは昔から環境保護に力を入れていたって話。緑は昼側にしかないから」
「緑を大切にね」
「森の環境保護に力を入れていたって言ったけど、それは本当は、過去の反省なのよ」
「過去の反省?」
「私たちの祖先、ニオンという故郷の星を逃げ出した私たちの祖先の行動のね」
「ニオンって、温暖化暴走だっけ?」
「あら、DHAが効いてきたみたいね。その通りよ」
「そんな変わんねえよ」
俺はちょっとムッとして言った。
「水の沸騰する温度って、気圧で変わるのは知ってる?」
「俺は登山家だからな。標高の高い山で湯を沸かすと、低い温度で沸騰するってやつだな」
「逆に言えば高い気圧なら沸騰する温度は上がるってことね」
「100度以上ってことか」
「そうよ。でも地球の摂氏という単位は、地球の1気圧の時の水の沸点と凝固点を基準にしてるから、この星の気圧は地球とまったく同じじゃないから、微妙に違うかもしれないけれど」
「そんな変わんねえよ」
「今のニオンは、気温は400度ぐらい。気圧はここの8倍ぐらいになっているの」
「400度? 何だそれは」
「おそらく、気温が100度を超えた時点で、海の水が沸騰した。そして大量に水蒸気が大気中に放出されて、気圧が上がった」
「でも気圧が上がったら・・・」
「そう、気圧が上がると沸点が下がるから沸騰しなくなる。だから1回海水の沸騰が止まった」
「うん」
「でも一度大気に放出された沸騰した海水の、大量の水蒸気は」テルルは手をしたから上へとブワッと広げた。「そこから多くの太陽の熱をため込んで、更にニオンの気温は上昇したの」
「温暖化の悪循環か」
「そしてまた海の水が沸騰して、水蒸気が大気中に放出されて気圧が上がってって、そんなプロセスを何回も繰り返した。そしてニオンの今の気温は400度よ」
「うーん・・・俺には難しすぎる話だ」
「ニオンには脱出ロケットに乗れなかった人々がたくさんいたけど、とても生きられる環境ではなくなってしまった」
「星に生き残りがいたのか・・・」
「大量にいたわね」
「残された人は死んだのか?」
「そうね、たぶんね・・・」
「そうか・・・」
「それにね、ナーヌとトランという2つの星に逃げ出した人たちも、とても助けに行ける状況じゃなかったのよ」
「ロケットに乗って逃げ出すことに成功した人たちだな?」
「新しい星に、ほとんど体ひとつで移住して、いきなり原始時代の生活よ。日々食べ物を探して生き残ることで精いっぱいだったはずよ。とても救出ロケットを飛ばせるような状況じゃなかった」
「原始時代の生活って、道具とか持って行かなかったのか?」
「多少はね・・・」
「長い時間がかかったのよ、ロケットを飛ばせるようになるまで」
「乗ってきたロケットは飛ばせなかったのか?」
「切り離すでしょうが地球でも!」テルルは少し怒って言った。「打ち上げで燃料を使い切って、燃料タンクもロケットエンジンも切り離して、大気圏突入用の居住スペースだけで降りるのよ。大きなパラシュートでね」
「なるほどな」
「文明が回復してから、ニオンに探査機を飛ばしたけれど、そこは高温高圧の世界」
「無人探査機か?」
「そう。調査のために何台か無人探査機を送って、海も完全に干上がっているのが分かった。地下も何か所か掘ってみたけれど、大地も熱を溜めこんでいて、地下深くの微生物すらこんがり焼けてたわ」
「生き物が住めない世界か」
「ニオンは死んだ星になったのよ」
車は森の中の道を長時間走り、いくつかの交差点を曲がった。窓の外はずっと濃い緑で、たまに森の中に斜めに建つ大きなビルの横を通り過ぎた。
俺たちは車に揺られながら、少し雑談をし、眠くなるとシートで少し眠った。
「海に出たわ!」テルルが少しはしゃいで言った。「降りてみましょうよ」
外を見ると、延々と続いていた森が途切れ、広い空が見えた。もう雨は上がっていた。
車は海岸線の道路とのT字路で、信号待ちで止まっていた。目の前のT字路の先に海が見える。右も左も道路が遠くまで続いているのが見えるが、そこに他の車は見えない。俺は厚木から江ノ島に向かう時の、海に出るT字路を思い出した。そこは学生の頃によく通った思い出の中のT字路に似ていた。
「信号が変わったら、路肩に止めるわね」
テルルは手を空中で動かして何かを操作した。
信号が青に変わると、車は自動運転でT字路を左折してから路肩に停まった。車の窓の向こうには、広い空と広い海が広がっていた。
海は夕焼けのような空を反射して金色に見えた。白い波がキラキラと光っている。
「行きましょう」
テルルはそう言って立ち上がった。そして車内トイレの後ろにある縦長の外扉を開けた。存在感の無い扉で、それまで気が付かなかった。
扉から車を一歩出ると、潮の匂いがした。
海沿いの道は、遠くまで少しカーブしながら続いていた。道路わきに1メートルほどの高さのコンクリートの壁があって、それが海との境界線だった。壁の向こうを覗くと高さ2メートルほど。その下に砂浜があった。
砂浜には海からの波が、穏やかに寄せては返していて、遠くまで続く砂浜にはポツポツと流木が砂に埋もれていた。
「地球の海とぜんぜん変わらないんだな」
海の向こうに島影のようなものが何個か見えた。そして空には月が2つ見えた。
「右の三日月のがニオン、近いから大きいわね。左の半月がナーヌ」
空を見上げる俺を見てテルルが説明してくれた。
「こんなに大きく見えるのか」
「近づいたり遠ざかったり、大きくなったり小さくなったり。そこは地球の月とは違うわね」
テルルの赤い長い髪が風に大きく乱され、空中に踊っている。
「海は同じなのにな」
波の音を風が運んでいくのが見えるような気がする。海からの風は少し強く、波の音と風の音が鼓膜を震わせた。それは地球と同じ音で、湘南と同じ音で、江ノ島と同じ音に思えた。
「同じじゃないわ。たぶんトランのほうが地球の海よりも穏やかよ」テルルが赤い髪を手で押さえながら言った。「風は地球のほうが強いと思うわ。だって、クルクル回ってるんだもの」
「この海は、荒れたりしないのか?」
今は風は少し強いが、海は凪いでいる。
「嵐はあるけど、プロメのときぐらいね」
「プロメ?」
「惑星がほぼ一直線になるときがあるの。その時に潮汐力がすごく強くなるのね」
「満ち潮、大潮ってことか?」
「そんなものね、そして大気の気圧も大きく変動して、風もすごく強くなる」
「台風みたいに?」
「災害も起こったりするけど、たまにだし、時期も決まってるから」
「どのくらいの頻度で起こるんだ?」
「地球の感覚で言えば、1年に1回って感じなのかしらね」
「嵐は1年に1回ってことか」
「大きなのはね」
「地球よりも穏やかだな」
「そうでしょ」
道路の反対側、陸側に目をやると、森に違和感があった。よく見ると四角い建物を蔦のような植物が覆い隠していた。
「何かある」俺はテルルに言った。
「それね、昔は海沿いにも住んでる人がいて、漁師町があって、魚を捕ってたの」
「なぜ今はいないんだ?」
「昔は私たちも、地球みたいに海水浴したりして、海岸沿いにはいろいろなお店がいっぱい並んでいたの」
「なぜこうなった?」
緑に覆われた建物を見ながら俺は言った。
「話せば長いけど、そのうち話すけど、簡単に言うと、生き物の愛護ね。魚を捕るのは禁止。漁は禁止なのよ」
「は? ここに来てから魚料理食べた気がするが」
「話せば長いのよ」
テルルはまた海のほうを向いてしまった。今はこれ以上は話したくないのかもしれない。
「それで、これからどうするんだ?」
「なるべく海沿いを走って、友達のところまで行く予定」
「友達はこの海沿いに住んでるのか?」
「うーん、あなたをあまり見られたくないのよ。他の誰かに」テルルは少し言いにくそうに言った。「いろいろとややこしくなる可能性があるかもしれないから」
「ややこしくなったらどうなるんだ?」
「わからない」
「命を狙われたり、ムショに入れられたり、実験室で解剖されたりするのはゴメンだぞ」
「どうなるのかしらね」
「どうなるのかしらって・・・」
「ねえ、そんなことより」テルルがテンション高めに言った。「シャワーあびたいでしょ?」
「シャワー?」
「海沿いには海水浴客のためのシャワールームがあるの。無料で使えるやつがね」
「本当にここは他の惑星かよ」
「今はもう海水浴客はいないけど、施設は残ってるわ。壊れていなければ、水は出るはず」テルルは言った。「それに」
「それに?」
「向こうから何か来るでしょ」
海岸沿いの道路の向こうから黄色い車が走ってくるのが見える。アームのようなものが上に3本伸びていて、車体の下はスカートをはいているように地面に接地している。
「あれは海岸沿いの自動清掃車なの」テルルは指さして言った。
「今まで通った道路がキレイだったのはコイツのおかげか」
「海岸の道路も、道路脇の公共の施設も、あのロボットが掃除してくれるの」
「海水浴客用のシャワールームはキレイに掃除されてるってことか?」
「その通りよ!」
テルルは嬉しそうに言った。
夕焼け空の海は美しく、俺とテルルはしばらく金色にきらめく海を見ていた。
「とりあえず、出発しましょうか」
しばらくしてテルルが言った。俺たちは海を眺めるのをやめ、車に向かった。
「友達の所までどのぐらいかかるんだ?」
「けっこう遠いわ、覚悟してね」
そう言いながらテルルはドアを開け、車に乗り込んだ。
「だから、どのぐらいなんだよ」
俺もテルルの後を追って車に乗り込んだ。
「地球の時間に変換するのって面倒なのよ、5オキシぐらいよ」
テルルは運転席の何かを操作していた。
シートに座らずに操作しているのを見ると、自分で運転するわけではなさそうだ。立ち寄り地にシャワールームを追加したのかもしれない。
そこから2人の旅は何日も続いた。
時計代わりのスマホは、すぐに電池が無くなってしまった。リュックの中にはUSBの充電ケーブルしかなかった。そしてUSBを差す場所は残念ながらどこにもなかった。
たとえ、コンセントの充電器があったとしても、100ボルトのコンセントだって無かったけれど。
旅をしながらテルルは、ニオンを逃げ出した後の歴史を教えてくれた。
ナーヌとトランに分かれた人々は、競い合うように文明を取り戻していったらしい。
木を切り倒して畑を作り、わずかに持ち込んだ種を植えて栽培し、数頭の家畜を大切に繁殖させ、海で魚を捕り、徐々に村を大きくしていった。
移民船は惑星の昼側のいろんな場所にバラバラに降りていたから、連絡も取れずに各地で独自に村を大きくするしかなかった。着陸船の通信機は、すぐにバッテリーが切れたからだ。
移民たちは子供をたくさん作り、働き手を増やした。働き手が増えると子供が増えた。子供が増えると食料消費が上がる。食料が無くなると必死に山や海で食料を探した。
人口が増え、村が町になる頃には地面の下から鉄を掘り起こした。鉄の道具で生産性は上がり、人口はさらに増えた。
やがて街になり国になり、隣の国とのイザコザが戦争に発展した。
戦争は道具の進化のスピードを上げ、すぐに蒸気機関を取り戻した。知識はあるのだ。技術を取り戻すだけで良かった。
そして、地下から石油を汲み上げ、生成する技術までたどり着いた。
ガソリンエンジンを再び手にするまで、それほど長い時間はかからなかった。
「移住した世代の孫が、お爺さんになったころ」テルルはそう言った。
ガソリンエンジンで文明は、かつての輝きをほぼ回復した。いくつかの国が兵器開発を競っていて、産業はさらなる加速をするだろうと思った。
だが彼らは過去の過ちを繰り返さなかった。
見上げればいつもそこにはニオンが見えた。
自分たちが住めない星にしてしまったニオンが、じっとこっちを見ていた。
産業は二酸化炭素排出量に厳しい規制がされ、ガソリンエンジンも戦争の兵器以外は大排気量が認められなかった。
そして各地に、太陽光発電所が数多く作られた。
地球のような太陽光パネルではなく、鏡で光を集めて水を沸騰させ、蒸気タービンで発電するタイプの太陽光発電だ。
太陽の位置が常に同じならば、こんな効率のいい発電はない。この発電で全ての電気を賄うために、昼側には多くの発電所が作られた。
緑を大切にしながら岩山や砂漠や海上などに数多くの発電所を作り、温暖化の気配を全く感じさせないコントロールをした。
電気を安定して供給できるようになると、テレビやラジオの電波が飛び交うようになり、2つの星は無線で連絡を取り合うようになった。驚いたことに、2つの星の文明レベルはほぼ同じだった。
惑星の中では、大きな大陸間の戦争が続いていた。しかし、冷戦と呼べる兵器開発戦争だったし、2つの星は概ね平和だった。
だが、テレビの普及による情報爆発は、若者の中に過激派思想を生み出した。各地で過激派武装組織が発生し、世界は徐々に不安定になっていった。
そして人工衛星の打ち上げが可能になったころ。
2つの星の間で、星間戦争が始まった。
反政府を掲げる過激派が、ある国の軍部を乗っ取りクーデターを起こした。
クーデターは成功し、彼らは国を手に入れてしまった。
彼らに大きな理由は無かった。出来るからやってしまった。力を手に入れたから使ってしまった。そんな感じだった。
惑星トランの小さな国が、惑星ナーヌまで核ミサイルを試しに飛ばしてみた。
核ミサイルは見事にナーヌまで届き、ナーヌの大国の領海で爆発した。
衛星をひとつ打ち上げるのにも時間がかかった時代、星間ミサイルを1発打ち上げるのにも時間がかかった。
ナーヌの大国は核ミサイルを作り、トランに撃ち返した。それも2発同時に。
1発は目標の国に落ちたが、もう1発は失敗し、別の国に落ちた。
そこからはもう核ミサイルの撃ちあいで、地上は放射能の地獄の世界になるだろうと大衆は覚悟した。
だが大衆の予想に反して、激しい撃ちあいは始らなかった。
2つの星は、時間と金をかけて1発打ち上げ、また時間と金をかけて1発打ち上げた。この時代の技術力はまだそれほど高くなかったからだ。
「アポロが月に行ったぐらいの技術力ね」
テルルが言うには、月に行く代わりに隣の星に核ミサイルを飛ばした。そのぐらいの感覚だったらしい。
星間戦争は始まってしまって、トランの各地に数発の核ミサイルは落ちたが、精度は低かった。大気圏突入で溶けてしまって不発になることも多かったし、海に落ちることも多かった。
そんな星間戦争だが、利点もあった。長く続いていた惑星内の国家間戦争が無くなった。過激なテロもほとんど無くなった。戦車の多くは解体され、地上で人々が殺しあうことは少なくなった。
星間戦争を勝ち残り、生き残るために全ての国が団結した。そして惑星全土の民衆が、初めて団結した。
惑星統合政府が作られ、統合軍が作られた。
そして統合軍の軍事技術は、ロケット開発と迎撃技術が主体になった。
ロケット技術主体の軍上層部には、優秀な科学者が集められた。
〇ナーヌの軍事科学者は考える
こちらのほうが惑星の重力は弱いから、少ない燃料で多くのミサイルを打ち上げることができる。
さらに、こちらは星系の内側を周っていて、外側に向けて打ち上げるのだから、こちらのほうが1発の燃料はさらに少なくて済む。
状況的にはこちらのほうが有利だ。
この戦争、最終的には、我がナーヌが勝つ。
〇トランの軍事科学者は考える
重力が強く、打ち上げコストが高い我が軍は、状況的に明らかに不利だが、惑星の重力が強いということは惑星の資源の埋蔵量で考えれば、こちらのほうが多いはず。
あちらの星のほうが早く資源不足に陥る可能性が高い。
それならば、相手に多くのミサイルを撃たせ、早く消耗させてしまうのがいい。
こちらは、相手のミサイルを撃ち落とす迎撃衛星を数多く打ち上げ、飛んでくるミサイルを片っ端から宇宙空間で撃ち落としてしまおう。
そうすれば、向こうはすぐに資源が無くなるのではないだろうか。
まずは防衛衛星優先、攻撃はその後だ。
そして最終的には、トランが勝つ。
攻撃の得意なナーヌ、防衛の得意なトラン。2つの星の間で長い長い戦争が始まった。
戦争に伴い、テレビやラジオの電波放送が禁止された。2つの星の距離は近く、相手の星にも電波が届いてしまうからだ。
テレビの放送など、いくら規制をかけたとしても、どこに相手にとって有利な情報が隠れているか分からない。
例えば、どこかで大きな祭りがあるというニュースだけでも、そこに多くの人が集まるということを敵に教えてしまうことになる。ミサイルの標的になってしまう。
電波が軽く届く距離の2つの星では電波放送が禁止され、防衛衛星には妨害電波の機能が追加された。
文化を伝える放送は有線通信が主体になった。携帯電話のような持ち運びできる通信機は、地下空間での使用が主になった。
文化は地下空間で広がった。
大きな街は地下に広大な空間を作った。そして地上は観光で遊びに行く場所になった。
2つの惑星が近づくとき、たまに宇宙空間をミサイルが飛んだが、地上に落ちることはほとんど無かった。
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