第8話 出発

 俺はテルルに言われたとおりに缶詰をバッグにどんどん詰め込んでいった。


 そしてエレベーターの扉の前に缶詰のいっぱい詰まった重いバッグを置き、ボロンで次のバッグを作った。

「俺の」を付けないで「バッグ」と言うと、缶詰を詰め込んだ黒いバッグと同じバッグが出てきた。この星ではスタンダードなバッグなのかもしれない。


「俺のバッグ」と言ってみると、俺の登山用のごついリュックがもうひとつ出てきた。同じくたびれ具合のまったく同じ物だった。


 エレベーターが開いてテルルがバッグを下に持って行った。その時にテルルは俺に「次はこれ」と指示を出し、俺は言われるがままに、缶詰や飲み物や、乾燥させた何か酒のつまみのようなものや菓子を詰め込んでいった。何回かそんな作業を繰り返し、テルルは多くの食料を下に持って行った。


「このぐらいでいいかしらね」


 テルルはエレベーターから降りてきて言った。俺は自販機からペットボトルに似た飲み物の容器を取り出しているところだった。


「そんなに長旅なのか?」

 俺はテルルに聞いてみた。余裕で2か月以上暮らせそうな量の食料だったからだ。


「そうね、正直に言うとね、私も外に出るのは久しぶりなのよ。他の地域がどうなっているのか、よく分かっていないのよ」テルルは下を向いて、俺が床に置いたバッグをじっと見ていた。「たぶん食料の補給は出来ると思うんだけど、念の為ね」


「なんかモンスターとか出てくるのか?」

「そんなのは出てこないわよ」テルルは笑って言った。「たぶんだけどね」


「下に行きましょう。出発準備よ」


 俺とテルルはエレベーターに乗って下に降りた。


 下に降りると、さっきの薄暗い倉庫みたいな場所だった。俺が最初に見た広い空間だ。

 しかしモコソと呼ばれるゴーグルで見ると、そこにはアイコンがたくさん浮かんでいた。床には様々な矢印があり、壁には様々な文字が書かれていた。


 そしてエレベーターの近くに黒い大きな車が止まっていた。

 タイヤが4つ付いていて、運転席にガラスの窓がある。マイクロバスぐらいの大きさだ。マイクロバスより少し天井が低く、その代わりに少し長い。トラックとバスの間ぐらいの乗り物。


「トミ、後ろを開けるから、それを積んでくれるかしら」


 テルルが空中で手を振ると、車の後部が観音開きで両側に開いた。俺はコンクリートの床に残っていた黒いバッグを4つ車に積み込んだ。

 車の後部には他にもバッグがいくつも積み上げられていた。俺が食料を詰め込んだバッグだ。そして車内を見るとテーブルやイスが左右にあって、キャンピングカーとバスの中間ぐらいの空間に見えた。

 壁には四角いモニターもついていた。

 地球のテレビが見られるのかもしれない。


「積んだぜ」


 俺が扉から離れると、扉は自動でバタンと閉まった。

 俺は車の前に回った。

 テルルは運転席のドアを開け、ドライバーシートに座っていた。トラックのように少し高い位置だ。そしてフロントガラスに表示されるカーナビのようなものを操作していた。


「それじゃあ、出発しましょう」テルルがこっちを見て言った。「助手席はそっちね、日本と同じ右ハンドルよ」


 助手席側に回ると、扉は勝手に開いた。俺はトラックに乗るように車に登って助手席に座った。中もトラックみたいな運転席だったが、席は2つしかなく2つのシートの間に歩けるほどの空間が開いていた。

 席に座ってみると、運転席周りのデザインが地球のとは微妙にいろいろと違っていた。SF映画に出てくる未来の車みたいだった。



「どこに行くんだ?」

「とりあえず、友達のところまで」

「テルルの他にも人がいるんだな」

「そりゃそうよ、いっぱいいるわ」


 そう言ってテルルは車を発進させた。エンジン音は聞こえないしエンジンの振動もない。電気自動車だろうか。

 テルルの前には丸いハンドルがあって、それを大きく切って車の向きを変えた。右足がアクセルで左足がブレーキらしい。テルルの操作を見てすぐに分かった。シンプルだ。


「ゲート、オープン!」テルルは楽しそうに言った。「アスタティン!」

「何それ」

「アスタティンはゲートオープンって意味よ」


 倉庫の壁の一部が開いて、奥に上り坂が現れた。その坂を車が登っていく。

 上り坂は長く、オレンジのランプが上り坂の左右の壁に並んでいた。

 オレンジに照らされた暗い一直線の上り坂の100メートルぐらい先に、閉まっている銀色の扉が見えた。車は扉を目指して坂をグングンと上っていく。


「かなり深かったんだな」

「そうかしら、地下4階ぐらいよ」

「他の建物も地下4階以上あるのか?」

「もっとあるけど、地下には地下の生活空間があるのよ」

「生活空間って、みんな地下で暮らしてるのか?」

「そうね、地上に出なくても地下にも道はあるんだけど、トミも地上を見たいでしょ?」

「いや別に・・・」


 ビルの上から地上を見たときは、まったく人影は無かった。でも人々が地下で生活しているのなら納得できる。友達に会いに行くってことは他にも沢山の人がいるんだろう。


「アスタティン!」


 坂を上りきるとテルルはそう叫んだ。そして銀色の扉が開いた。


「雨か」


 扉が開いたときは眩しく感じたが、実際には外は薄暗く、雨が降っていた。車が外に出ると車体を雨が叩いた。雨粒は大きく、バラバラと車の天井から音がした。

 扉を出るとテルルは左にハンドルを切って車を止めた。車が出てきた扉を見ると、自動でゆっくりと閉まるところだった。


 目の前には小さなロータリーがあって、それを木々が囲んでいた。ビルの前の小さなロータリーだ。ビルには正面玄関のような、大きなひさしの付いた場所が見える。そして横に地下への扉があった。


 ロータリーを囲む木々は、やはり斜めに生えた木だ。全部の木が太陽の方角を向いている。太陽は今は見えないけれど、雲の向こうの太陽に向かって生えている。今にも倒れそうな違和感があるが、木登りはしやすそうだ。


「上から見た感じだと、特に荒れた感じは無かったけど、ちょっと慎重に行きましょう」テルルが雨の森を見ながら言った。



 車はロータリーを出て、森の中を一直線に伸びる道路を走りだした。

 一直線の道には、たまに交差点が現れる。そして信号はモコソに表示された。赤と青だけ、それに青の点滅。青の点滅が黄色ってことらしい。モコソを外すと裸眼では何も見えなかった。交差点には何も立っていなかった。


「それじゃあ、ここからは自動運転モードね」赤信号で車を止めると、テルルはハンドルを放した。そして立ち上がった。「後ろに行きましょう」


 どうやら安全だと判断したらしい。



 車の運転席は、歩いて後ろに行けるようになっていた。真ん中に通路があって、宅配業者のトラックみたいだ。


「自動運転か、すごいな」


 俺は後ろに向かうテルルを追って立ち上がった。屈まないと頭をぶつけそうだ。


「地球も、もうすぐここまで技術が進んでしまうわね」テルルは背中で言った。


「自動運転はダメなのか?」


「どうかしらね・・・」


 テルルは少し考えてから答えた。



 車の後ろのスペースは、運転席よりかなり床が低くなっていた。運転席からの移動の際に大きめな段差を降りなければならなかった。

 段差の横にはちゃんと壁に手すりがあり、掴まれるようになっていた。その段差を降りるとギリギリだが頭を天井にぶつけないで立つことができた。


 テルルは俺より少し身長が低かった。俺の前にテルルの後頭部がある。175ぐらいだろうか、女性にしては長身だ。地球人ならばだが。


 車の後ろには3人掛けのシートが3列、右側に前方を向いて並んでいた。路線バスの後ろの席のようなシートだ。シート横の窓は、外から見たよりも大きく感じた。外の緑がよく見える。


 左側には木目のテーブルが壁に固定されている。テーブルから上は窓になっているが、天井から下げられた大きなディスプレイが3枚、窓の外の風景の大半を隠していた。


 その生活空間の後ろには50センチぐらいの敷居板が床から立っていて、その向こう、車の最後尾に黒いバッグが積み上げられていた。地下では暗くて気が付かなかったが、色の違うバッグも見えた。テルルの私物が入っているのかもしれない。


「この車はね、科学調査用の車だったの」

 テルルが振り向いて言った。顔がちょっと近すぎてドキッとした。


「長期の科学調査にも対応できるように、こうするとベッドにもなる」

 テルルがシートの横の小さなスイッチを押すと、シートはフラットなベッドになった。もう一度押すと元に戻った。

「3人寝られる」

「一緒に寝ようぜ」

「そういうのは言わないこと!」テルルはちょっと睨んで言った。

 俺は少し反省した。異星人に下ネタのジョークを言うのは少し早かった。


「科学調査用だったってことは、今は違うのか?」俺は心持ち離れて聞いた。

「今もそうなんだけど、もう誰も科学調査をしないのよ」

「なんでだ?」

「うーん、もうしなくてよくなったのよ。でも、あなたには順を追って話したいのね、なるべく。あなたがちゃんと理解できるように。だから・・・」


「頭はあまり良くないんだが・・・」


「そこに座って」

 テルルは俺に、3列並んだシートの真ん中を指さした。

 俺がシートに座ると、テルルは後ろのバッグをゴソゴソして何かを取り出し、俺の横に座った。


「はい水よ」

 テルルはペットボトル?のようなプラスチックで出来た容器を1本俺に渡した。テルルは自分の分も1本持っていて、蓋の開け方を見せてくれた。

 容器の蓋を開けてひとくち飲んでみると、何の変哲もない水の味がした。


 前の席の背もたれには、針金で出来たような折りたたみのドリンクホルダーが付いていた。観光バスで見かけるやつだ。そしてテーブルも付いていた。新幹線についているようなテーブルが前の椅子の背もたれの裏にピタッと畳まれていた。


「こういう便利な発明って、宇宙共通なのかね」

 俺はテーブルをパタパタさせて言った。


「さあ。でもトラン人も地球人も、違いは無いわよ」

「なぜ40光年も離れた星で進化したのに、同じなんだろう」


「ねえ」


 テルルは俺の質問には答えず、小さな箱を振ってガラガラと音を立てた。

 食料のパッケージではなく、プラスチック製の何かのケースのようだ。

 箱を開けると中には何種類もの丸い錠剤が入っていた。ケースの中は細かく区切られていて、カラフルな錠剤が部屋ごとに分けられていた。


 テルルはその中から黄色い錠剤を2個取り出し、俺に渡した。


「それ飲んで」


「・・・何の薬だ?」


「大丈夫、危険は無いわよ」

 テルルはそう言うと、黄色と白と青と、いくつかの錠剤を取ってまとめて自分の口に入れ、水で流し込んだ。


「これの効果は何だ?」

 やはり何か分からない薬を飲むのは怖い。


「地球ではこれを、サプリメントと呼んでいるわね」

「サプリ・・・サプリって言ったって、地球人が飲んでも大丈夫な奴なのか?」

「これは100パーセント魚から作られているから大丈夫。食べ物と同じよ」


「魚か・・・」


 俺は意を決してその黄色いサプリを飲み込んだ。ここは地球より重力が少し強いって言ってたしな。


「カルシウムか?」俺は聞いてみた。


「地球ではこれを、DHAって呼んでるわね」


「DHA?」

「頭のよくなるやつ」

「頭のよくなる・・・・」


「そんなに気にしないでよ、地球人の頭脳に期待はしてないから」テルルが笑って言った。



 俺は少しテンションが落ちた。そして窓の外を流れる風景を見た。


「ずいぶんと、のろいんだな」

「今はね、制限速度が厳しく決められていて、スピードはあまり出せないのよ」

「自動運転だからか?」


 自動運転はすごいと思うが、自分で車を操る楽しさを知っていると、俺はどうも自動運転ってものを好きになれない。他人の運転でも少し怖いのに、コンピューターに運転を任せるってのは何だか安心して任せられる気がしない。

 地球で自動運転が本格化したら、その空いた時間で人類は何をするのだろうか。きっと大半の人はスマホゲームで時間を潰すんだろうな。電車の中のように。


「そうじゃなくてね、車の制御システムが、道路ごとの制限速度を認識しているの。自動運転じゃなくてもリミッターが作動するのよ。アクセルを踏んでもダメなの」


「自分で運転しても飛ばせないってことか」

「だから、自動運転でも自分で運転しても、目的地までの時間は変わらないのよ」

「何だかつまらないな」

「そうね、それに動物を撥ねてしまうと色々と困るし・・・」


「動物がいるのか?」

「野生動物が数多くいるわね」

「すごい森だものな」

 ビルの上から見た森は遠くまで続いていた。その向こうに見えた山も緑に覆われていた。


「昼側はね、なるべく大自然に地上を明け渡してるのよ。地球と違って、植物は昼側でしか育たないから」

「夜側には植物は無いのか」

「少しだけあるけど、数種類の苔とかね」

 太陽があたらない夜側では光合成が出来ないものな。酸素を生み出す植物を大切にするのは理解できる。


「だから地下で暮らしてるのか?」

「森の中にビルがいくつも立っているけど、あれは巨大な通気口でもあるの。あの上から空気を吸い込んで広い地下空間に送ってるのよ」

「俺たちがいたビルもそうなんだな」

 俺はビルの屋上にぽっかりと開いた、大きな空気取り入れ口がゴーゴーと空気を吸い込むのを想像した。それはまるで、地下から斜めに飛び出した巨大な太い蛇が、何もかもを吸い込んでいるように思えた。


「私たちは地球人よりも環境保護に力を入れていた。昔からね」

「いいことじゃないか」

「どうなのかしらね・・・」


 テルルは窓の外の緑を見ながら、また何かを考えていた。



「あ、トイレはあそこね」テルルが突然、助手席の後ろを指さした。助手席の後ろには縦長の四角い囲いがあって、黒いドアが付いていた。「使い方は見れば分かるわ、トートーじゃなくて悪いけど」


 テルルは立ち上がってスタスタとトイレに入った。扉を閉めるときに「シュコン!」と大きめな音がした。

 我慢していたんだろうか。それか男と同じ空間でトイレに行くのを躊躇していたんだろうか。少し気まずくなってしまった。


 しばらくしてテルルは手を拭きながら出てきた。


「何も聞こえなかったでしょ?」

「何も」

「この防音の仕組みは私もよく知らない」

 テルルにも知らないことがあるようだ。


「扉を閉めるときにシュコンって変な音がしたな」

「あの音で安心するのよ」

「音を伝えるのは空気の振動だな」

「どれだけ大声で叫んでも外には聞こえないのよ」


「ノックはどうする?」

「ピンポンが付いてるじゃない」


 ドアの横には玄関チャイムのようなボタンがあった。





 

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