第7話 スイングバイ
「それで、スイングバイの話ね」テルルは黒い丸い菓子をひとつ口に入れた。「トミも食べてみて」
テルルはテーブルの上に転がる黒い菓子の1個を俺のほうに転がした。俺はそれを口に放り込んだ。口の中に、缶コーヒーのような甘い香りが広がった。
「地球でもスイングバイは加速と減速に使ってるみたいなんだけど、スイングバイっていうのは宇宙で探査機とかを加速させるときに、惑星の重力を使ってブンって加速させる技ね」テルルは空中で指をブンって回した。
「それは何となく知ってる」
「なるべく簡単に話すから頑張ってね」テルルは少し笑いながら俺に甘い菓子をもう一粒くれた。
「糖分は脳の栄養何だっけな」
「そうよ。補給してね」
「わかった。これウマイな」
「そお? それで続きだけど、ここだと惑星が近いから、ぶんぶん探査機を回せるわけ」テルルは空中に8の字を書いた。「いくつもの惑星をブンブンさせて何回も加速させることが出来るわけ」
「ブンブンさせると加速するのか?」
「うーん、惑星は太陽の周りを回ってるでしょ? 公転って言うんだけど、左にスーって動いてるとして、こっちからこの角度でブンって通り抜けると、ほんの少しだけ惑星の公転してるエネルギーを探査機が奪うのよ。探査機が惑星の重力に引かれているように見えるけど、同時に惑星が探査機に引かれているの。だから、探査機が加速した分、エネルギーが惑星の公転エネルギーから取られて、公転は遅くなる。微々たるものだけどね」
「あー・・・ うん」
「しまった! 難しくなりすぎた・・・」
「簡単に言うと、8個の惑星を使ってブンブン加速させるわけか」
「ぜんぶは使わないけど、その時の惑星の位置を見て、効率のいいスイングバイのルートを計算するわけ」テルルは空中に三角や四角を反時計回りに何回か書いた。「加速しまくるわけ」
「それで光速まで加速させるのか」
「さすがに光速は無理ね。だから最後に、衛星軌道上に浮かべたレーザーを使って押すの」テルルは指で空中の何かをまっすぐ押す仕草をした。「ビーってね」
「ずっと押し続けるのか?」
「残念ながら、レーザーのエネルギーはずっと続かない。それにレーザーを出している衛星もその反発力で逆側に少し押されるから、それをスラスターでシュッシュッって相殺するんだけど、スラスターも長時間は噴射できない。ずっとっていうのは無理ね。でも光速の95パーセントぐらいまで加速できるわ」
「まて、そんな速いのが俺に当たってたら死んでたぞ」
隕石にぶつかって死ぬってどれだけ運が無いんだろうか。
「減速したわよ、土星と木星と、木星の衛星で減速スイングバイしたの」
「減速したって速いんだろ?」
「ちゃんと人間を探してプログラムが作動するようにしてたから大丈夫よ」テルルは少し怒って言った。「ぶつかったりしない」
俺は無意識にテーブルの上の黒い菓子を転がしていた。さっきまで太陽とか惑星に見立てていた黒い菓子は、テーブルの上をコロコロと転がった。缶コーヒーの味がする。
「ねえ、その星ね」
テルルが俺の転がしている菓子を見て言った。
「どの星?」
これは第何惑星だったろうか。
「ニオン」
テルルはテーブルに肘をついて、感慨深げに言った。
「何番目?」
「4番目、第4惑星、ニオン」
「ニオンがどうかしたのか?」
「その星はもう住めない。私たちが住めなくしてしまったの」
テルルは悲しそうに言った。
「前は住めたのか?」
「ずっと昔ね、私たちがスチームパンクだったころ」
「スチームパンクって何?」
「え?」
テルルは俺がその言葉を知らないのを驚いているみたいだった。
「地球では蒸気機関とか石炭が主流な時代をスチームパンクって言うんじゃないの?」
「それは、小説とかの設定の話じゃないかな」
「ネットを信用してはならないっていう言葉は、信用していいみたいね」
「そうだな」
「私たちの祖先は、ニオンで生まれたのよ」テルルは言った。「そしてこの星に来た」
「惑星移住とかの話か?」
地球でも惑星移住の話はある。
火星に何回も探査機を送っているはずだ。何台も探査機を送って、火星に生命がいないか探したりしているし、大気の成分や地下に眠る氷を調査して、地球人が住める環境に変えられないかの研究もしているはずだ。
俺は、火星の映画を思い出した。大昔のシュワちゃんの映画だ。火星で地下に眠る氷を解かしたら、青空になったんだ。エンディングで。そんな馬鹿なって思った記憶がある。
「そう。私たちはすごく昔に第四惑星のニオンから移住してきた。第六惑星のトランに」
「今のニオンは住めないのか?」
「温暖化暴走が起きてしまったのよ」
「温暖化暴走って?」
「地球でも温暖化問題って気にしているみたいだけど、私たちも蒸気機関のために石炭を燃やして二酸化炭素を出してた。そして地下の石油を掘り出してガソリンエンジンの時代が来た」
「地球と変わらないじゃないか」
「私たちが、地球よりも多くの二酸化炭素を出したのか、ニオンという星が許容量が少なかったのか、今となっては詳しい分析は出来ないんだけど」
許容量って何だろう。地球は確か海の水に何かが溶け込んでるって言ってたような・・・温室効果ガスか?
「地球よりも少し早い速度で、ニオンは温暖化していった。でも科学技術は、もっとすごい速さで進歩していっていて、有人宇宙船も何回か成功させてた。探査機を何回も他の惑星に送って大気とか分析して、ニオンの外側の第五惑星と第六惑星は、ちょっと惑星改造すればだけど、私たちが生きられる星になるって分かった。2つの星は、地上は緑で覆われてたし、動物もいた。海にも魚は住んでたのよ。いないのは知的生命体だけ」
「今も第五惑星には人が住んでるのか?」
「そうね、でも少し待って。第五と第六、つまりナーヌとトランに住めるって分かって、さらなる緑化のための種とか、海の生物、私たちの食料になる魚の稚魚とかを大量に送って、科学者とか技術者とかも数人送って、2つの惑星の環境を整えていった」
「ニオンの温暖化はどうなった?」
「温暖化も加速していって、植物がなかなか実を付けなくなっていって、海の生物も深海にもぐってしまって・・・」
「そうなのか」
「そしてある時、地下に眠っていたメタンガスが大量に地上に放出されたの」
「メタンガス?」
「温室効果の強いガスよ。知らないの? トミって本当に地球人なのかしら」
そういえばクイズ番組の豆知識でそんな話も聞いた気がするが、覚えちゃいない。
「私たちは、もうこの星はダメなんだって思った。そして逃げ出す準備を始めた。ロケットをたくさん作って、経済なんか無視してみんなでロケットをいっぱい作って」
「タダ働きか?」
「協力しないとそのロケットに乗れなかったのよ」
「なるほど、うまいな」
「それで私たちは故郷のニオンを逃げ出したの。打ち上げるタイミングでナーヌに行くかトランに行くかは決まっていて、燃料が限られていたから、その時に近いほうに降りたの」
「2つの惑星に同時に移住したのか」
「でも本当は、みんなナーヌに行きたがった」
「なんで?」
「トランのほうが重力が強いから、トランには行きたがらなかった。2つの星は大きく違ったのよ」
テルルはまた自販機に行って果物を取ってきた。テルルは喋りながら果物を食べ、菓子を食べ、よっぽど腹がすいているようだった。
持ってきた果物は4個、さっきのミカンが2個とリンゴみたいなのが2個だった。
「これ持って」
テルルに2種類の果物を渡された。右手にミカン、左手にリンゴだ。
「この2種類の果物って、大きさは同じだけど、重さは違うでしょ?」
「そうだな、ミカンのほうが軽い」
「ナーヌとトランも同じで、ナーヌのほうがトランより軽いのよ」
「それは、ナーヌのほうが重力が弱いって意味でいいのか?」
「そう、ニオンとナーヌは重力が同じぐらいで違和感なく移住できた。ナーヌのほうがトランよりも海が多くて、大陸は少ないんだけど、その海が多いのもニオンに似ていた。ナーヌのほうが気候も穏やかだったの」
「それは、みんなナーヌに住みたがるな」
「でもしょうがない、生き残るためだもの」テルルはミカンを剥いて食べ始めた。「そして私たちが逃げ出した少し後、ニオンの気温は、水が蒸発する温度を超えたの。地球で言えば気温100度ってことね」
「まじかよ」俺もミカンを食べた。
ミカンは相変わらず、甘いレモンの味がした。
「ねえ、ちょっと準備しながら話していいかしら」
「準備?」
「旅に出る準備よ」
テルルは両手を大きく広げた。
「旅?」
「お待ちかねの大冒険よ!」
テルルは窓の外を見て俺にそう言った。
「別に待ってないけど・・・」
テルルはポケットから黒い板を取り出した。15センチぐらいの正方形の薄い板で、テーブルに置いてテルルが指で真ん中を触れると、パタッパタッっと4倍に広がった。折りたたまれていたらしい。
「あなたの。試作品だけどね」
テルルは俺に30センチに大きくなった正方形の板を渡した。プラスチックみたいな材質で、少し透き通っていた。
「これは?」
「モコソっていう機械。スマホみたいな物よ」
「でかいな」
「半分に折って」
大きな板を半分に折りたたもうとすると、真ん中でパキッと割れた。
「ごめん、壊した」
「壊れてないわ、大丈夫よ」テルルは笑って言った。「片方を、オレンジのが点滅してるほうを、目の前に持って行って、横にして」
テルルはメガネをかけるような仕草で説明した。俺は訳が分からずに、はじっこでオレンジがピカピカ点滅しているほうの板を目の前に持って行った。
すると板がシュンという音とともに変形してサングラスのようにオレの顔を覆った。かけ心地に違和感はなく、目の前が少しだけ暗くなった。
「おー、すごいな。それでどうする?」
「もう片方の手に持ってるやつを半分に割って」
「これか?」俺は半分になっている長方形の黒い片割れを、また半分に割った。15センチの正方形が2個になった。
「それを両手に持って、モード、日本語って言ってみて」
「モード、日本語?」
俺の視界に何やら文字が現れた。読めない字が空中に浮かんでいる。立体的に奥行きのあるアイコンも目線の横に浮かんでいる。ただ、何も意味が解らない。
「どお?」テルルは俺の目をのぞき込んだ。「起動してるわね」
外からも俺の目の前に表示されている何かは見えるらしい。
「すごいな、どう使う?」
「まだ簡単なことしかできないんだけど、徐々にバージョンアップしていくわ」
「簡単なことって、何ができる?」
「旅行の準備」テルルがクスクス笑いながら言った。
「それじゃあ、さっきソファーを作ったエレベーターの横の黒い壁を見てみて」
テルルがエレベーターを指さした。
「何かオレンジの枠があって、何かの記号が書かれてる」
裸眼で見たらただの黒い壁だが、このゴーグルで見ると違うらしい。
「右手を、モコソを持ったままね、右手をボロンに向けて」
「ボロン?」
「あの機械の名前」
「こうでいいのか?」右手をボロンに向けると暗いオレンジの枠が明るいオレンジになった。「お、何か反応した」
「その状態で、作成って言って」
「作成!」ちょっとワクワクしながら俺は言ってみた。「何かリストみたいなのが出た。読めないけど」
俺の1メートルぐらい先にオレンジのリストが出た。リストは空中に浮いている。
「それで、俺のバッグって言ってみて。左手のでリストから選ぶことも出来るんだけど、まだ読めないから音声指示ね」
「俺のバッグ?」
そう言った瞬間、奥の壁の黒い装置、名前なんだっけ、ボロンだ。ボロンが白く点滅して、俺の登山用リュックがゴトッと音を立てて壁から落ちた。さっきのソファーと同じだ。
俺は少し調子に乗って、こっちへ!と腕を下に振ってみた。しかし登山用リュックは床を滑らなかった。
「それは無理よ」テルルが笑って言った。「だって滑らせる装置が付いてないもの」
「なんだよ」俺は照れて笑った。
「あなたの身の回りにあったもの、たぶんそのバッグの中身は全部それで作れる。作るのならここのボロンで作って」
「他の場所にもこんな便利な機械があるのか?」
「あるけど、いろいろと制約があるのよ」
「好きには作れないってことか」
「あなたのモコソだと更に作れるものは少ない」
「よくわからないが、分かった」
俺はバッグの中身を思い出して、必要なものを取り出そうとしたが、何が必要なものなのかよくわからなかった。他の星に来た時の必需品って何だろうか。
俺は大きなレンズの一眼を出そうとしたが、迷ってやめた。大きすぎるし重いからだ。
かわりに小さなデジカメを出した。防水とか対ショックとかを売りにしている頑丈な奴だ。すごく気に入っている。
スマホも取り出してみたが、圏外だった。音楽を聴いたり写真を見たり、メモリーに入っているのは出来たが、クラウド保存の写真は見られなかった。圏外なのだ、当たり前だ。
それと下着。登山では、突然の雨はよく出くわす気象現象だ。山に行くときは雨合羽と下着は常に持っていくようにしている。常にリュックの下のほうに入っている。
思い出してボロンに向かって「チョコレート」と言ってみた。小さなチョコレートが出てきた。山に登る前にコンビニで買ったやつだ。レジの横に小さな四角いチョコがあって、遭難するような山ではないけれど、万が一のためにひとつ買っておいたのだ。
「テルル、これ食べていいよ」
テルルは自分のバッグ、明らかに地球とは形が違うが新人デザイナーがデザインしましたと言えば納得するぐらいの変さの自分のバッグに、自販機から箱入りの食料を詰め込んでいるところだった。
「何それ」テルルはこっちを見て目を輝かせた。「それはまさか!」
「チョコ」
「テレビCMで有名なやつじゃないの!」
「20円だけどな。昔は10円だったのにな」
「いただきます」
テルルは俺の手からチョコレートを取って、包装を剥くのにちょっと苦労してからその黒い四角いのを口に入れた。
「うーん、あまーい」テルルは頬に手を当てて言った。
「そりゃチョコだからな」
「でも、変な味だわ。ラジみたい」
「ラジ?」
「豆」
「そりゃ、カカオ豆だからな」
「それより、手伝ってくれる?」テルルが空のバッグを俺に手渡した。「これに、この機械から缶詰を出して入れてほしいの。あと新しいバッグはボロンで作って」
「缶詰は、どれでもいいのか?」機械にはボタンがいっぱいあった。
「いろいろ。同じ味だと飽きちゃうでしょ?」テルルは重そうなバッグを両肩に担いだ。「私はこれを下に持って行って戻ってくるから」
「重いの俺が持つぜ」
テルルは見た目より力が強いらしい。
「大丈夫よ、それにね」テルルは缶詰をひとつ空中に放り投げて、それをキャッチして言った。「気が付いてないようだけど、ここの重力は地球より強いのよ」
「そうなのか?」
言われてみると少し体が重いような気がしてきた。
「1.2倍以上のはずよ。」
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