第4話 潮汐ロック
「ご飯を食べに行きましょう!」
女の喋る感じが変わった。
さっきまでは日本語をがんばって話している感じだったが、肉体を得て何か変化があったらしい。
「ご飯を食べるためには、一番上の階に行かなければならないの。だから、エレベーターに乗る。こっち」
女はまた壁に向かって歩き出した。
床をよく見ると、何か文字が書かれているのに気が付いた。ほとんど消えているが、これが施設の位置を示しているらしい。何の変哲もない壁に見えるが、壁にも床にもいろいろと文字が書いてある。
女が壁の一部に触れると、壁が音もなく開いた。中は小部屋で、エレベーターに見えなくもない。
「乗って、早く」女が急かした。「ルーアビカ」
女が知らない単語を言うと、エレベーターの扉が閉まり、足にズンと重さが加わった。上昇しているらしい。壁には階数表示機のようなものが付いていて、その表示される記号がチカチカと変わっていく。
「ルーアビカは食べる場所って意味。ねえ、日本語では食べる場所の呼び方がいろいろあるでしょ?」
「食堂?」
「食堂、それにレストラン、飲食店、台所、軽食屋、喫茶店、定食屋」
「最近じゃフードコートとかラウンジとか」
「それは知らないわね」
「これから行く場所は食堂?」
「何かしら」彼女は少し考えてから「わからないわ」と言った。
エレベーターはしばらく上昇し、やがて体がフワッとなり停まった。チカチカと変わっていた階数表示の記号も止まっている。
エレベーターの扉が開くと、そこは高級ホテルのラウンジのような広い空間に、木目の高そうな机と小豆色のイスが並べられていた。右には長いカウンターテーブルもあったが、そこにイスは無く、テーブルの向こう側には自動販売機のような機械が並んでいた。絵と文字が書いてあり、ボタンがいくつも付いている。
そして部屋の奥はガラス張りになっていて、外の景色がよく見えた。夕焼け空のような赤っぽい空と雲が見えた。雲は白だったり灰色だったりピンクだったり、それがゆっくりと流れている。エレベーターを降りて真正面に見えるそんな空に、俺は不安になった。
「なあ、ここはどこなんだ?」
自動販売機の見慣れない文字、さっき見たディスプレイ、機械操作の時の謎の文字。日本ではないらしいが、英語でもロシア語でも中国語でもアラビア語でもない。
「ここは、トラン」
女は短くそう言って自販機の前に歩いて行った。
「トランって何だ、そんな国は聞いたことないが、ヨーロッパか?」
俺は彼女の後ろをついていった。
「トランは星の名前」彼女は一つの機械の前で少し悩んで、ボタンを押した。「あなたも何か食べて。お腹が痛くなったりはしないはず。さっき対策をしているから」
「星って何だ、俺は宇宙人に連れ去らわれたのか?」
「私と同じものでいいかしら。口に合わなかったら別のを試せばいいし」
彼女はトレイに乗った食べ物をふたつ機械から出した。ボタンを押した機械の下の部分が開いて、グラタンのような見た目の食べ物とスプーンがカウンターテーブルの上に滑り出てきた。食べ物からは湯気が上っている。
「なあ、君は宇宙人なのか?」
彼女は他の自販機も操作して、グラスに入った飲み物とポテトフライのような長細い棒がたくさん入った器も機械から出した。金を入れるような動作は無い。
「はい、これ持って」
彼女は食べ物が乗ったトレイの片方を俺の前に置いた。俺の分だ。
彼女はトレイを持ってガラス窓の近くの席にスタスタと歩いて行った。俺は自分の分のトレイを持って彼女の後を追った。
彼女の座ったテーブルに行こうとして窓に近づくと、外の景色が一気に開けた。
「なんだここは・・・」
窓の外には一面の夕焼け空があって、見下ろす眼下には、広大な森が広がっていた。
自分がいるのはビルの30階ぐらいだろうか、けっこう高い。そして、同じようなビルがいくつも森から飛び出している。
ビルは全て斜めに立っていて、倒れないようにいくつかの太い柱がつっかえ棒のように、斜めのビルを支えている。
一番近いビルと自分のいるビルの間には、森を引き裂くような一直線の道路が通ている。アスファルトで舗装された一直線の道路だ。しかし、その森の切れ目に違和感があった。左側の木は大きく道路の上に枝を張り、緑の葉を繁らせているのに、右側の木は太い幹が見える。そして幹は一様に斜めになっていた。ビルと同じ角度で・・・
「なんで木も斜めなんだ?」
それを眼下に見ながら俺は彼女に聞いてみた。彼女は俺が外を眺めている間もカチャカチャと食器の音をさせながら食事を始めている。
「太陽」
彼女は短く言った。俺が彼女のほうを振り向くと、彼女のグラタンのような料理の器は空になっていた。そしてフライドポテトをポリポリと食べはじめた。
それを見て、俺も少し腹が減ってきた。トレイをテーブルに置いて席に着いた。
俺は彼女の食べているフライドポテトを見て、同じものを口に入れてみた。きゅうりのような青臭さがあった。きゅうりを油で揚げた感じだ。ジャガイモよりも水っぽい、というか油っぽい・・・食べれなくはない。
「太陽ってどういうことだ?」
「全ての木が太陽のほうを向いているでしょ?」
「今はちょうど太陽の方角に倒れているように見えるけど」
確かに道路脇に立つ木々は太陽の方角に斜めに倒れているのがよく分かる。しかし木が太陽の動きを追いかけてその傾斜角度を変えるなんて話は聞いたことがない。
「このトランには、地球のような夜は無いのよ」
「夜が無い?」
「チョウセキロック」
彼女はポリポリと食べながら俺の質問に答えた。
「チョウセキロック?」
この星には夜が無いのよと彼女は言った。そしてチョウセキロック。さっぱりわからない。
「チョウセキロックって何?」
「あなた本当に地球人なの? チョウセキロックは潮汐ロックよ。潮汐力って知らないの? 私たちには当たり前の事だからこれに該当する言葉は無い。潮汐ロックって言葉は日本語でしょ?」
「いや、聞いたことがない。ロックってのは、音楽のロック?鍵のロック?」
彼女はあきれたような顔をした。食べ物を食べて元気になったように見える。
「うーん、地球は昼と夜が交互に来るわよね、それって地球がクルクルと回ってるから、地球の太陽に向いている場所が移動しているってことでしょ?」
彼女は右手を空中でクルクルさせながら説明を始めた。
「おお、理科だな。知ってるぞ」
「それに対して、地球の月は、地球に対して同じ面を向けている、常に。月はクルクル回っていない」
「確かに、月は満ち欠けはするけれど、月の模様がずっと同じってことは、そうなるな。月の表側とか裏側とか言うな」
「それが潮汐ロック。主となる星に近いと、惑星はクルクル回らない。重力の潮汐効果で」
「潮汐効果?」
「潮の満ち引きを起こす力、重力による空間の歪み、回転を止める力」
「ごめん、なかなか難しい。それで、その潮汐ロックってやつで、この星は夜が来ないのか?」
「太陽は常にあそこにあり、太陽に向かって木は伸びる。日光を阻害しないようにビルも斜めに作る。私にとっては昼と夜が交互に来るほうが気が狂ってるわ。よくそんな明るくなったり暗くなったりする世界で生きられるわね」
「別に何の不都合もないけど」
「生まれた時からそうならば、どうってことないんでしょうね」
彼女は飲み物を飲み干し、ガタッと立ち上がった。
「足りないからもっと持ってくる」そう言って自販機に歩いて行ってしまった。
トランという星。
外の風景を見ると、どうやら本当らしい。俺は外の風景を見ながら考える。
太陽はけっこう高い位置にあって、夕焼けというには早すぎる位置だ。しかし直視できないほど眩しというわけではない。夕焼けのような弱い光がラウンジを斜めに照らしている。
太陽はずっとあの位置にあるらしい。沈まないらしい。朝も来ないのか、朝が来ないってことは、朝飯はどうしてるんだろうか。そして夜が来ないならいつ寝るんだろうか、寝ないんだろうか。いろんな疑問がわいてくる。
主星に近いと自転しない? それってあの太陽に近いってことだろうか、地球と月ぐらい近かったら、この星は灼熱地獄になるんじゃないだろうか。
分からないことが多すぎる。俺の頭では理解できないことが多すぎるんだ。なんか難しいことを考えたら疲れてきた・・・
「うお、ウマい!この味は・・・」
グラタンのような食べ物は、親子丼の味がした。俺はそれをペロッと平らげてしまった。
「私たちの言葉で、太陽はキリアというの。あなたたちが太陽の星系を太陽系と呼ぶのなら、私たちはキリア系ね。そして、太陽系第三惑星が地球。キリア系第六惑星がトラン」
食べ物をトレイに乗せて戻ってきた彼女は話しだした。トレイの上には食べ物が5品乗っていて、「あなたも食べたかったら食べていいわよ」と言った。
「ねえ、あなたの名前を聞いてなかったわ。私はテルル・タンタル。テルルって呼んで」
「俺は富沢文春。トミサワでもフミハルでも、好きに呼んでくれていい」
「なんか発音しにくい名前ね、トミでいい?」
「トミか、かまわないよ」
「ミ、サ、とか、ミ、ハ、とか、ちょっと日本語には発音しにくい繋がりがあるのよ、私たちには」
「気にしなくていい」
大学時代は友達にトミーと呼ばれていたことを思い出した。大学時代の友達にこんな美人はいなかったけどな。
「どこまで話したかしら、太陽系第三惑星が地球で、キリア系第六惑星がトランってところまで言ったわね」
「水金地火木土天海」俺は言ってみた。
「スイキンチカモクドッテンカイメイじゃないの?」テルルは不思議そうな顔をした。
「冥王星は、なんか外れたらしい」
「無くなったわけではないのね」
「ちゃんとあるよ。たぶん・・・」
さっき地下で見たテレビ。あれはすごい昔の番組だった。いつ頃のだろうか、そこからテルルは地球の知識を得ているらしい。冥王星が惑星から外れたのは何年だろうか。
「ここが、別の惑星だとして」俺は疑問を口にした。「さっきのテレビはなぜ見ることができるんだ?」
「私が地球の電波を初めて受信したのは、地球の暦で45年ぐらい前になる。テレビは40年前」
「40年前のテレビ? さっき見たあれは再放送か何かだと思ったんだが、違ったのか」
「この星と、あなたの住む地球との距離はすごく離れていて、8カドリニぐらいだけど、すごく遠い」
「8カドリニ? 聞いたことのない単位だ」
「地球の単位に直すと、40光年ぐらいになる」
「40光年ってことは、光の速さで40年かかる距離ってことか?」
「そう。だから、40年前に地球で放たれたテレビ電波を受信している」
「40年前のテレビか、そりゃずいぶん昔だな」
「でも大丈夫、プラセオが地球についたから。これからは40年のズレは無くなる」
「プラセオって?」
「あなたをここに呼んだ装置。その装置はそのまま情報収集装置として機能するの」
俺に雷みたいなのを浴びせた装置か。
「この星から地球に装置を飛ばしたのか?」
「そうよ」
「なんで?」
「救ってほしかったから」
「何を?」
テルルはまっすぐオレの目を見て少し考えた。
「たぶん・・・私を。」テルルは言った。「そして、間に合うのなら・・・地球人を救いたかった」
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