第3話 プラモデル
3年前、俺はとある山に登っていた。一人でだ。
大した山じゃない。その土地の観光協会に頼まれて、紅葉の山の写真を撮るために撮影道具を担いで、朝早くに登って夕方には下山する予定だった。
天気のいい日で、絵になる白い雲が少しだけ、空高くにあった。
秋の空ってやつだ。
山の尾根を歩いているときに、俺は強い光に襲われた。目の前がブワッて明るくなって、バチッて体中に電流が走った。
雷に撃たれたのかと思った。山の天気は変わりやすいからな。
俺は、そのまま倒れて意識を失ってしまった。
気が付くと俺は立っていた。目の前にはガラスがあった。
湾曲するガラスが前にあって、そのままぐるっとガラスは俺を囲っていた。
頭の上には蛍光灯みたいな丸い照明が俺を照らしていて、ガラスには俺の姿が歪んで映っていた。
俺はカプセルみたいな物の中に閉じ込められていた。
ゴホゴホッ、俺は少し咳き込んだ。何日か前から風邪気味だったのを思い出した。
ガラスの外は暗い倉庫のような部屋のようだった。
のっぺりした灰色の壁にオレンジの照明がいくつか等間隔に光ってた。それ以外はよく見えなかった。カプセルの内側のほうが明るかったからだ。
そして暗い部屋のコンクリートの床に、白っぽいプラモデルがひとつ立ってた。70年代に大ヒットしたやつだと思う。俺は小さかったが、兄が持ってたからよく覚えてる。 ちょっと大きめな、100分の1サイズぐらいだと思う。でも少し形が違うような・・・
床にはそれ以外、何も見えなかった。
「日本人か?」
プラモデルがしゃべった。しゃべりながら俺を指さした。俺は驚いたけど、ラジコンか何かだと思った。最近の玩具の進化ってのはすごいからな。
「日本人じゃないのか?」
プラモデルはしゃべりながら体を自然に動かしてた。なんていうか、ロボット的じゃない自然な動きだった。5人戦隊のロボットみたいなさ、中に人が入ってるのがバレバレな動きって言ったほうがいいかな。
「うぇあらーユーフロん」
プラモデルは英語まで喋った。慌てたね、俺が喋れないから。ハーフの友人が、よく日本人に英語で話しかけられるって言ってたのを思い出した。ハーフの彼はすかさず「日本人です」って言うらしい。英語は喋れないから。
「日本人だ!」
俺もすかさず答えた。ハーフの友人の気持ちが分かったね。
「よかった、失敗したかと、思った。日本の、国の形を、インプットして、飛ばしたが、確率は、50パーセントだった。」
プラモデルの日本語は少しぎこちなかった。
「そして、日本には、日本人ではない人種も、住んでいる可能性もある。」
「ここはどこなんだ?」俺はプラモデルに聞いた。「さっきまで山の上にいたはずだ。俺はたしかに綺麗な紅葉の山にいたんだ。なんなんだこれは」
「君に、助けてほしいんだ。色々と、やってほしいことがある。申し訳ないと、思っている。」小さなプラモデルは俺を見上げながらそう言った。
「いいから出してくれ!」俺はカプセルのガラスをドンドンと叩いた。
「少し落ち着いてほしい。それを壊さないでほしい。少し待っていてほしい」
「操縦してるやつ、出て来いよ!」
自然すぎるプラモデルの動きを見て、トレースシステムみたいなやつだと思ったんだ。どこかに人間が隠れていて、人の動きをそのままロボットに伝えているんだと思った。
「今、あなたの、DNAを調べている。もう、終わる。」
「DNA?」 DNAの分析ってのは髪の毛を取ったり唾液を取ったり、口の中に綿棒を入れてゴシゴシやったりするもんだってことはテレビで知っていた。「DNAなんていつ取ったんだ?」
「終わった。それを飲んで」
「それ?」
そういった瞬間、俺を閉じ込めているカプセルの天井の一部がカシャっと小さな音を立てて開いた。そして黄色い半透明なカプセルを持った細いロボットアームが上から伸びてきた。
「それを飲んで。それを飲んだら、外に出られる」
プラモデルはそう言った。不用心だったかもしれないけど、敵意はなさそうだったし、外に出るためには飲まなきゃいけないらしい。
俺はその小さなカプセルをロボットアームから受け取って、そのまま飲み込んだ。
「そのカプセルは、あなたの免疫系に、作用する」
「免疫系?」
「ここには、あなたが、抵抗力を持っていない、病気があるかもしれないから」
プラモデルは俺がカプセルを飲み込んだのを確認すると、カプセルに近寄ってきて、これは閉じ込められているほうのでっかいカプセルな。近寄ってきて外からガラスに触れた。触れた瞬間、ガラスだったものがスーって消えた。開いたんじゃなくてガラスが消えたんだ。
「どんな仕組みだよ」
俺の足元には、プラモデルが立っていた。立って、無言で俺を見上げていた。消えるガラスの仕組みについては教えてくれなそうだった。
プラモデルは俺の足元で俺を見上げ、俺は足元のその変なプラモデルを見返し、沈黙の時間が数秒流れた。なんなんだこのオモチャは・・・
「どんな仕組みになってる?」
俺はしゃがんで足元の小さなプラモデルをまじまじと眺め、そしてそれを掴んで持ち上げてみた。驚いたことに、プラモデルは全然持ち上がらなかった。
「あん」
プラモデルは変な声を出した。あん?どういうことだろうか。俺は両手でプラモデルを持ち、ちゃんと腰を入れて持ち上げてみた。するとプラモデルはやっと持ち上がった。バーベルよりもずっと重い、金の延べ棒のような、想像するよりもはるかに重いプラモデルだった。いや、それはプラモデルじゃなかった。プラモデルの形をした何かだった。
「やめていただけますか」
「何キロある?」
「体重を聞くのは、日本でも、失礼になると、認識していますが、違いますか?」
「そりゃ女性に対してはそうだけど、おもちゃだしなぁ」
「女性です。この体は、性別は無いですが」重いプラモデルは言った。たしかにプラモデルに性別は無い。「あなたの体重は、何キログラムですか?」
「俺か? 75キロぐらいだったかな、たぶんだけど」
「あなたの質量を、75キログラムと、設定します」
設定? 設定って何だろうか。そしてプラモデルは俺の質問に答えた。
「この体の質量は、18キログラムです」
「18キロ!こんなに小さいのにか」
「あなたに比べれば、軽いです」プラモデルは不満そうに答えた。「それに」
「それに?」
「あなたに、やっていただきたい、作業があります」重いプラモデルは言った。「私には、禁止されている行為ですが、あなたならば、問題ありません」
「なんか、あぶない橋を渡らされるんならちゃんと言ってくれよな。あとから分かるのはゴメンだぜ」
「危険は、ありません。こちらへ」
そう言って重いプラモデルは壁のほうに歩き出した。俺は踏みつぶさないように気にしながら後ろをついていった。プラモデルが壁に近づくと、黒い壁の一部が観音開きで奥に開いた。
扉の向こうは小さな部屋になっていて、見たこともない機械が並んでいた。ディスプレイが何枚も壁に並び、よくわからないデータを表示している。パソコンのキーボードのようなものはなく、タッチパネルみたいな画面が、手元に並んでいる。よく見ると文字が色々と書かれているが、何語なのかさっぱりわからない。
プラモデルはタタタッと奥のほうに軽やかに走って行って、ジャンプしてタッチパネルの上に飛び乗った。18キロなのに軽い身のこなしだ。
「これを見て」
プラモデルが立っているところの大きめなディスプレイが、テレビ放送を映し出した。昔のテレビ番組だ。
昭和な感じのテレビ番組だった。
「私はこれを見て、日本語を覚えた。この時代のテレビは、アメリカのも、他の国のも、だいたい見られるけれど、日本のテレビが好き、そして日本人が好き、日本人は、攻撃性が少ない」
「そうか? 変な奴は多いぜ」
「ほかの国に比べれば、穏やか。それに、戦争に負けた」
「大昔な」世代は変わった。「もう戦争を知ってる人間は少ない」
「そんなことより」プラモデルは机の上を走ってタッチパネルを移動した。「大切なこと」
「なんなんだ、意味が全然分からない」
プラモデルはひとつのタッチパネルの前で、何やら腕を動かしている。空中に見えない何かがあって、それを動かしてるみたいに見えた。
するとプラモデルの前の壁にあるディスプレイの表示画面が変わって、赤い大きな文字が点滅しはじめた。文字は読めないが、意味はたぶん「禁止」とか「危険」とかだってことは分かった。
「下の画面」
下のタッチパネルを見ると、赤枠でボタンがいくつか表示されている。
「私にはこの操作は、禁止されている。禁止されていることは、出来ない。だけど、あなたなら、出来る。私も指示を出すことは、出来る。だから、お願いします」
プラモデルはじっと俺の顔を見た。俺もプラモデルの顔をじっと見た。メインカメラっていうんだっけ?まだメインカメラがやられただけだーとか叫んでいなかったっけ?
俺はプラモデル戦争か何かに巻き込まれているんだろうか、もうどうでもよくなってきたな。俺はちょっとウンザリしてきていた。
「いいよ、何をどうしろって?」
「最初に、これを押して」
俺はプラモデルの指示に従ってボタンを押した。
「次にこれ、次はこれ、リストのいちばん上を、そして実行」
「どっち?」
「こっち」
「最後に終了」
「どっち?」
「こっち」
俺はプラモデルの指示に従ってタッチパネルを操作した。最後に押したボタンで画面の警告が停まった。画面には白い文字で何かが表示されている。
「ありがとう。待ってて」
プラモデルはそう言うと、自分の頭を両手で掴んだ。そして脱いだ。ヘルメットを脱ぐみたいに、頭をスポッと脱いだ。
中には鉄色の人間の顔があった。赤黒いが、人間の顔だった。マネキンのような女の顔、着せ替え人形のような。
マネキンの顔をしたプラモデルはテーブルから飛び降りた。飛び降りると同時に、体が飛び散った。空中でプラモデルをバラバラに脱ぎ捨てた。その中にはマネキンの体があった。着地するときにはプラモデルのパーツは全て外れていた。脱ぎ捨てていた。
「待ってて」
黒いマネキン姿の何かは走って部屋を出ていった。取り残されても困ると思った俺は歩いてついていった。
小さなマネキンは部屋を出ると、俺が入っていたカプセルに向かった。今は台座と頭の上の機械だけでガラスは無い。
マネキンは床の丸い土台に乗って両手を広げた。
すると丸い台座の周囲に下からガラスが上昇し、カプセルの装置はガラスに囲まれた。密閉されたガラスの内側に下から黒い液体が出てきて、カプセルの内側がその黒い液体で満たされてしまった。
まるでSF映画のようだ。
いったいこれは何なんだろうか。
俺は黒い液体で満たされたカプセルに近づき、ガラスを睨みながら考えていた。
見上げると、上には丸い金属の大きな機械があって、チカチカと数個のランプを光らせている。その上には天井まで太いパイプが伸びていた。
さらに近づいて黒い液体を睨んでいると、黒が少し透けてきた。
「うん?」
透け始めるとその黒は、あっというまに透明になった。透明になったと思ったら消えてしまった。ガラスも何もなくなってしまった。そして目の前に女の顔があった。目が合った。
「うおっ!」
俺は飛びのいた。そこには透き通るような美人の、赤い髪の女が裸で立っていた。
「なぜ、あの部屋で待っていてと、言ったのに」
ガラガラ声の裸の女が言った。
「あー、あー、あー、けほっ、けほっ、う、ううん」
女は喉の調子を整えながら、自分が裸だということに気が付いた。
「服を作る。少し待って」女が言った。「できたら、あっちを向いていてくれると、嬉しい」
俺は慌てて目をそらした。
「もういい」
女の声に振り返ると、女は服を着ていた。白いツナギのような全身タイツのようなピチッとした服の上に、黒い革ジャンのようなものを着ていた。
「もしかして、さっきのプラモデルを動かしてたやつか?」
さっきのプラモデルの中身の黒いマネキンが消えて、生身の赤い髪の女が登場した。大きくなったのか、それとも、この女もロボットで、中で小さいマネキンが操縦しているのか。
「動かしていたという表現は、少し違うけど」
「どういうことだ?」
女は少し考えてから言った。
「さっきのは、私の本体。これは、私の、昔の本体」
「昔の本体?」
本体ってなんだ? 肉体ってことか。でもさっきのプラモデルの中身は、肉体って感じじゃないな。肉じゃなさそうだもんな。
「再生した」女はそう言った。「私たちは昔、この肉体を捨てた。私は密かに、自分の肉体のデータを、残していた。だから、再生できた」
「まったく分からない。聞きたいのはそういうことじゃなくて、もっと違うことなんだけど・・・」
気が付いたらカプセルに閉じ込められていて、謎の場所に連れてこられて、目の前にプラモデル。そして謎の禁止されている操作。そしてマネキンのように細い美人の女。
「あなたには、説明することが、沢山ある。ゆっくり話す。お腹が痛い。お腹がすいている?」
「はい?」
「食べ物を食べるために、移動する」女が首をかしげた。「違うわね」
「違う?」
「ご飯を食べに行きましょう!」女は手を叩いてにっこり笑った。
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