偽善のすゝめ

たとえそれが偽りでも


それは自身のみが知る真実

作者:しぃ



どーも、先程は物語を書くときのことなんてちょっと高尚ぶってしまいましたが、今回は僕の浅はかな部分を晒していきます。



皆さんは、道に空き缶が落ちていたら拾いますか?


僕はよっぽど急いでない限りは拾います。


これについてはちゃんとした信念のようなものがあります。


偽善行為は、けして悪いことではないと僕は考えます。


僕がこれを始めたのは中学生の頃からです。大学を卒業し、社会人になった今でもよく空き缶やペットボトルのゴミを拾います。

ここで注目してもらいたいのはゴミ全般ではなく、空き缶やペットボトルということです。


中学の頃、僕はこう考えました。

落ちている空き缶を誰かが拾うところを見て嫌な気持ちになる人はいない。きっとこの町にも心優しい人がいる的なことを思うか、特に何も思わないかだろう。それに巡り巡ってなにかいいことが僕に起こるかもしれない。


自販機の横には大抵ゴミ箱があり、駅や公園にももちろんゴミ箱は存在する。大抵は100mも歩けばゴミ箱はあるのだ。

つまりゴミを拾ったとしても長くて1分程度しか自分はゴミを持つことはない。


この偽善の結果は、町は綺麗になり、誰かが見ていればその人もちょっとだけいい気持ちになる。さらに自分の印象も上がる。数十秒の手間を惜しまなければ、いいことずくめなのである。



僕が何より言いたいのは偽善はいずれ習慣となり本当の善意(無意識の偽善)に変わるということだ。


だからこそ小さな偽善からコツコツと始めればいいと思う。


今僕は、深く考えることなく空き缶を拾う。


たとえそれが偽善から始まったことであっても、他人から見ればただの善人であり、町の美化活動に微力ながら貢献していることは言うまでもない。


皆さんもどうだろうか?



さぁ広げよう、偽善の輪


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