第8話 連合軍

主要登場人物別名


弾正… 六角定頼 六角家当主


公方… 足利義晴 第十二代足利将軍

平島方・平島公方… 足利義維 細川晴元が擁立した足利別家当主

管領・道永… 細川高国 細川京兆家当主 道永は法名

阿州六郎… 細川晴元 高国と権勢を争う


右大臣… 三条実香 親高国派の公家


――――――――


 

 大永七年(1527年)十月六日

 六角定頼は比叡山の麓にある坂本の西教寺さいきょうじの本堂に座していた。本堂には陣幕が張られ、床机が置かれて本陣の体を成している。

 西教寺の周辺には二万を超える人馬がひしめきあい、あたりは物々しい雰囲気に包まれていた。



「遅くなり申した。申し訳もござらん」

 本堂に張られた陣幕を押し上げて五十がらみの逞しい男が中に入って来る。

 練絹の頭巾を被った頭からは白い毛髪が覗いているが、迫力のある風貌は歴戦の古強者の気を濃厚に放っていた。


 定頼は入って来た男、朝倉あさくら宗滴そうてきとは対照的に優雅とも言えるほどに穏やかな雰囲気に包まれている。


「いや、昨日坂本へ到着したばかりだというのに呼び出して済まぬな。宗滴」

 上座からこちらも僧形の高国が鷹揚に声を掛ける。定頼も床机に座したまま黙礼した。


 十月二日に朝倉家当主孝景は、将軍義晴の上洛命令を受けて宗滴を総大将とした上洛軍を進発させた。

 宗滴は朝倉勢一万を率いて前日の十月五日に坂本に到着。

 対する定頼は六角勢一万五千を率いている。将軍義晴からの正式な命令であれば拒否することもできず、定頼も重い腰を上げざるを得なかった。

 高国の手勢は五千。事実上、六角と朝倉の連合軍だった。


 定頼の対面に宗滴が腰かけると、早速に高国が軍議を始めると宣言する。


「宗滴、弾正。改めてまずは公方様の出陣命令に応えた事をうれしく思う。

 当節、公方様御為に働くと言う者も少なくなった。嘆かわしい事だ」


 心底嘆かわしいような表情で高国が首を振る。

 宗滴は無表情で高国をじっと見、定頼は瞑目して俯いた。


 ―――ただ働きをしようという者などおるまいよ


 高国の現実を見ようとしない物言いに、宗滴と定頼は同じことを考えていた。

 公方様の御為と言いながら実際には高国の為であるのは明白だし、それに対する見返りも期待は出来ない。

 むしろ高国を京の政界に復帰させれば、またぞろタカり始める事は二人共お見通しだった。


「こうして軍勢が集結したことだし、早速明日にでも京へ向けて進軍するべきだと思うが、どうだ?」

「恐れながら申し上げます。此度の上洛は公方様と阿州六郎様の間を取り持つ事が肝要と存じまする。

 いたずらに戦火を拡大させれば諸人の恨みを買う事は必定。管領様にはくれぐれもご自重頂ければ幸いにございます」

 定頼は極力丁寧に言上したが、高国の顔が見る見る険しさを増す。武威を見せつけて細川晴元を追い払いたいのが本音だ。

 だが、定頼の言に宗滴から待ったが掛かった。


「弾正殿はそう言われるが、阿州殿は三好・波多野・柳本などの軍勢を擁している。一戦交えてこちらの武威を示さねば和議にも応じぬでしょう」

「宗滴の言う事はもっともだな。弾正、そちほどの者がよもや怖気づいたなどという事もあるまいな」


 定頼は唇を噛んだ。

 高国はともかく、宗滴は早く終わらせて帰国したい一心だろう。京滞在が長引けば兵站が苦しくなるし、近江に比べて京への道が険しい越前は一万の兵を食わせるのは容易ではない。


 しかし、定頼自身は極力兵の損失を避けたかった。正直こんな戦で領民を減らしたくはない。

 百姓兵である以上兵を損ずる事は米を作る生産力を損ずる事になる。

 寄り合い所帯の悲しい所で、連合を組んでいながら朝倉と六角の思惑は大きく違っていた。


「では、軍の進発は五日後とされますようお願いいたします」

「何故だ?」

「我が手勢はまだ完全に集結したわけではありませぬ。兵糧・弓矢などの補給が滞れば戦う事はできません」

 今まで何をしておったのかと不機嫌な視線を寄こす高国を定頼は正面から見返すと、しばらく見つめ合った後に高国が視線を逸らした。


「進発は十三日とする。それ以上は待たぬぞ」


 高国方に属しながら、定頼は晴元と裏で婚姻の交渉を行っている。

 晴元方の諸将に六角と戦闘をしないよう連絡してもらう時が必要だった。

 定頼の指示を受けた保内衆は、銘々に産物を担いでその日の内に京を目指した。




「ほほほほ。苦労しておじゃるの」

 軍議を終えて定頼は右大臣三条実香さねかの元を訪ねていた。実香は義晴に従って坂本の比叡山里坊の一つである律院に滞在している。

 実香自身は公家の中でも一番の親高国派だが、息子の三条公頼きんよりは晴元との繋がりを持っており、そうした所が公家の公家たるゆえんだった。


「恐れ入りまする。右大臣様には何卒よしなにお計らい頂ければ幸いでございます」

「道永に合力しながら阿州六郎にも誼を通じるか。弾正もなかなかのものよな」

 自分の事は棚に上げて、実香は定頼の二枚舌をちくりと刺した。

 もっとも不機嫌な様子は見えず、むしろ事の成り行きを面白がっているような所があった。


「このまま管領様の天下では、今一時の御運が開けてもいずれまた平島公方と事を構える事になりましょう。天下安寧の為でございます」

「ふむ……確かに道永ではちと心許ないのは麻呂にもわかる。あの戦振りではの…」

 公家でありながら実香は武家の事情やその軍事力に造詣があった。

 もちろん、今回の上洛で六角家の果たす役割についても弁えており、その援護をすることにやぶさかではない。


「道永の天下を奪って自らが天下に号令するか?」

「ご冗談を。某はそのような面倒事は御免被りたく思います。天下など、取りたい者が取ればよい」

「しかし、こうとなれば天下の方で弾正を放っておかぬのではないか?」

 揶揄するような実香の口調に、定頼も苦笑するしかなかった。


「当面の間、京は阿州様にお任せいたしましょう」

「道永はどうする?冥土へ参らせるか?」

「今しばし、ご苦労していただきまする」


「ほぉーほっほっほっほ。道永も気の毒な事よな。再び京を追われるか」

 盛大な笑い声に辟易しながらも、公家衆の中で高国に最も近い実香の了解を取り付けた事で定頼の肚は決まった。


 ―――管領様には、しばし退場してもらおうか


 これで朝廷からの横槍は入らない。あとは宗滴に帰国させれば、定頼の思う通りの決着ができるだろう。

 実香の元を辞した定頼は、宿舎に進藤貞治と蒲生定秀を呼び出した。




 十月十三日

 満を持して坂本を発した上洛軍はその日のうちに京に入り、将軍義晴は若王子にゃくおうじ神社に、細川高国は神護寺に、朝倉宗滴は下京の四条にそれぞれ陣を置き、六角定頼は東福寺に陣を置いた。


 一方、晴元方は摂津伊丹城を攻めていたが、上洛軍の進発を聞きつけると伊丹城を放置して山城鶏冠井かいで城を攻め落とし、鶏冠井城を拠点として軍勢を整えていた。

 両軍は桂川を挟んで対峙する形勢となり、京洛の緊張は高まる一方だった。



 ※   ※   ※



 保内商人の内池甚太郎は五人の足子と共に荷駄を一頭づつ曳いて山道を歩いていた。

 若狭小浜から近江西部の高島郡へと至る九里半街道を南へ向かっている。


 運ぶ荷は小浜で仕入れた塩漬けの海産物だ。別名『鯖街道』とも呼ばれる険しい山道を下る一団は、晩秋にも関わらず人馬共に汗にまみれていた。


「もうひと踏ん張りだ。この峠を越えれば高島へ着く。明日中には京へ届けるぞ」

 甚太郎が一行に声を掛ける。皆言われるまでも無くもうすぐ高島だということは分かっていたので、まばらに返事を出しながらも歩みを止める者は一人も居なかった。


 歩きながら甚太郎は無意識に懐に手を置く。

 内懐には若狭の状況、商人宿で仕入れた情報が事細かに書かれた書付があった。


 ―――若狭は荒れる


 この情報を京に居る六角定頼に売りに行かねばならない。

 保内商人は若狭小浜でも商人宿を構えており、若狭各地の政情や国人衆の動きをつぶさに見ている庶民から諸々の情報を受け取っていた。

 今回の行商で得た情報では、近々若狭の海賊衆が若狭守護の武田元光に反旗を翻すという。

 商人宿としているのは当の若狭海賊衆のうち一人の屋敷だったので、今まさに戦支度を行う様をこの目で見て来たところだった。


 当の海賊衆は長年友誼の有る商人が諜報の役割を担っているとは露知らず、「……そういう訳だから、来年の春までは行商は控えた方がよかろう。ちと若狭は騒がしくなる」と親切に教えてくれた。


 ―――人の良い男なのだがな…


 甚太郎は親切に世話を焼いてくれる海賊衆に少しだけ申し訳なさを感じた。

 おそらくその情報を定頼に売れば、定頼はそれを利用して武田を帰国させるだろう。高国の寄って立つ軍勢をさらに減らすことが出来、結果として定頼の思惑通りに京の政情を操れる。

 その代りに不意を衝く事が出来なくなった若狭海賊衆は、武田と泥沼の戦いを演じる事になる。


 因果な商売とは思いつつも、甚太郎は次の瞬間には申し訳なさも忘れた。

 保内衆は六角家の庇護の下で繁栄している。保内衆のもたらす物品、稼ぎ出す銭、集めて来る情報。それらが六角家に必要とされている限り保内衆は安泰だ。



「お頭!あれを…」

 足子の一人が峠の先を指さす。と、そこには二十名ほどの男達が胴丸に槍や刀で武装して待ち構えていた。

 野盗ではないなと思った。野盗ならば有無を言わせずに襲って来るはずだ。

 待ち構えていたという事は、何か口上を述べる必要があるという事だ。

 案の定、集団の中から一人が進み出た。


「誰の許しを得てこの道を通っている!」

「許しも何も、道は道だ。天下の道は誰のものでもないだろう!」

「やかましい!九里半の道は俺ら高島商人が牛耳ってんだ!よそ者が勝手に通る事を見過ごすことはできねぇな」


 ―――くそっ。高島衆か。


 男達は皆一様に真剣な顔をしていて、少しも緩んだ様子が無かった。他郷の商人が勝手に自分達の縄張りを通れば彼らの利益が損なわれるのだから、権益争いは命懸けだ。


 甚太郎は荷の利益を諦めた。ここで争うには甚太郎達は無力だった。

 丹波や播磨へ行くときは甲賀の地侍を護衛に雇うのだが、若狭ならば必要ないだろうとタカを括っていた。


 六角家においていわゆる忍者・乱破と呼ばれる諜報員は役割を分担していた。

 甲賀衆は純粋な武力集団で、山中に暮らす事から山岳戦に強い。また、戦場にて槍働きを行う事もあった。

 一方、諜報活動は保内衆が請け負う。諸国を旅するのに理由が必要なく、武士から百姓・寺社や海賊衆まで、商人の運ぶ荷を必要としない者などそうそう居ない。

 必然的にあらゆる階層の人間と親しく交わり、噂話程度の物から確度の高い情報までありとあらゆる情報に精通した。


 もっとも保内衆はあくまで商人であり、多少の武装はしているとは言え戦闘は素人だ。

 諜報を請け負っているのもあくまで『情報』を商品にしているだけであり、武士のように六角家に仕えているわけではない。

 このように他郷の商人や野盗などから絡まれれば正面から戦う事は極力避けた。


「わかった。荷は置いて行く。それで勘弁してもらえないか?」

「わかりゃあいい。二度とこの道を通るんじゃねぇぞ」


 甚太郎は大人しく従ったが、あまり気にした様子は無かった。

 一番大事な『商品』は懐の中だし、損害分は六角家に訴えて取り返してもらえばいい。

 今や高島郡にまで六角家の威光は届いているから、裁判になれば保内衆が勝つのは目に見えている。判決を出すのは六角家だからだ。



 馬と荷を高島商人に引き渡すと、高島から船を雇って足子を帰らせて甚太郎自身はそのまま京へと向かった。




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