第一章 蒲生定秀編 両細川の乱

第7話 上洛嫌い


登場人物別名


藤十郎… 蒲生定秀 六角家臣 第一章の主人公

弾正… 六角定頼 六角家当主

新助… 進藤貞治 六角家臣


管領様… 細川高国 第十五代細川京兆家当主

公方様… 足利義晴 第十二代足利将軍

阿州六郎… 細川晴元 細川高国と権勢を争った


――――――――


 

 蒲生秀紀が亡くなって半年が経ち定秀の父高郷が家臣の掌握を進めている頃、定秀は日野から遠く離れた京に居た。



 鞍馬山から吹き下ろす冷たい風に、蒲生定秀は首を竦めながら火に手をかざしていた。

 桂川の方からは兵の戦う声がはるか遠くで微かに聞こえる。

 戦う兵が豆粒のように小さく、まるで現実感のない光景が目の前に広がっていた。

 京の中心部から外れ、洛中からも飛び出した北白川に布陣する六角勢は、当主定頼からの指示により一切の戦闘に加わらず傍観していた。

 大永六年(1526年)十二月二十日に入京して以来、すでに二か月近く動かずにここでじっとしている。



「管領様の旗色が悪いな… あのように戦下手では如何ともし難い」

 上洛軍の指揮を任された進藤貞治が、急造の物見櫓から降りて来て定秀の隣で火に手をかざした。

 吐く息も白くなり、山並みにはうっすらと雪化粧が施されている。


「新助殿… まことに我らは加勢しなくてよろしいので?」

 定秀が心配になって聞くと、進藤は苦笑した。


「良いも何も、御屋形様の指示なのだ。実のところ、管領様の要請で軍を出しはしているが裏では阿州六郎殿と婚姻の交渉を進めておられる」

「承知しております。なんとも世の中とは複雑怪奇なものですな」

 若い定秀にはまだ世情の裏を読むことが難しく、目の前で味方が苦戦しているのに傍観していることに不安を覚えていた。


「なに、いよいよとなれば公方様だけは我らの手で近江へ逃がす算段をしておる。我らが戦をするとすれば、その時だけだ」

「…」


 爆ぜる火を見つめながら、定秀は一つため息を吐いた。



 大永六年(1526年)十月

 管領細川高国は、丹波の波多野植通と対立していた。

 原因は下らない事で、高国政権を支える細川尹賢ただかたが、もう一人の重臣香西元盛を追い落とそうと讒言した。

 高国を裏切って阿波の細川晴元一統と内通しているという内容だった。


 高国はさすがに即座には信じず元盛を呼び出して糺そうとしたところ、嘘が露見することを恐れた尹賢が先手を打って元盛を謀殺してしまった。

 それに怒ったのが元盛の義兄の波多野植通だった。


 波多野は丹波に帰るとその地で挙兵し、呼応して阿波の細川晴元や三好勝長・三好政長が堺に上陸した。

 早速に丹波制圧に出た高国だったが、連戦連敗を重ねて戦火は再び京に迫っていた。


 そして、高国の援軍要請に応じて上洛した進藤率いる六角勢二千は、北白川で高みの見物を決めこんでいた。


 定秀は援軍派遣を決めた時の定頼の醜態を思い出していた。



 ※   ※   ※



「いーやーじゃー!!!」

「御屋形様、大人しゅうなされませ!」

「放せ新助!わしは京へなど行かぬ!」

「そういうわけにもいきますまい!いいから大人しゅうなされよ!」


 観音寺城に登城していた定秀は、小姓から急いで定頼の私室に行ってくれと言われて廊下を奥へ進んでいた。

 部屋の中から聞こえる大声に眉をひそめたが、声を掛けても応答は無かろうと思い障子を引き開けた。

 と、定秀の目に飛び込んで来たのは、床の間の柱に抱き付きながら首を左右にブンブン振る主君定頼とその定頼の腰に抱き付きながら柱から引きはがそうと踏ん張る進藤貞治だった。


「あの……」

「おお!藤十郎!良い所に来た!御屋形様を柱から引き離せ!」

「やめよ藤十郎!貴様わしの命に逆らう気か!」

「いい加減になされませ!いつまでもそのような我がままを言っていられる場合ではありますまい!」


 状況が飲み込めず定秀がオロオロしていると、後ろから珠のような声がした。


「あらあら、お二人共仲のおよろしい事で…」

 定秀が驚いて後ろを振り返ると、部屋の前を通りがかった志野がニコニコと笑いながら立っていた。

 定頼と進藤も騒ぎを止めて志野に見入っている。


「ですが、御屋形様。あまり新助殿を困らせてはいけませんよ」

 志野がニコニコと笑いながらそのまま奥へ行ってしまうと、バツが悪そうに頭を掻きながら定頼が柱から離れてドスンと上座に座った。

 進藤も受けて定頼の対面に座る。定秀もおずおずと末席に座った。


「改めて言う。わしは京へは行かぬ」

「御屋形様。しかし管領様だけでなく公方様からも書状が届いておるのです。そういう訳には…」

「フン!そんなものにかかずらわっても無駄に疲れるだけじゃ」


 話が見えない中でじっと二人のやり取りを見つめていると、進藤が状況を説明してくれた。


 何でも丹波や阿波の軍勢に囲まれた高国が、六角の軍勢を上洛させて事態を打開しようと援軍を要請したらしい。

 上洛嫌いの定頼からすれば、そのような劣勢の中にノコノコと出ていく事は考えられなかった。


「しかし、阿州六郎殿に公方様を抑えられれば、またぞろ近江征伐などという事にも成り兼ねません。管領様の様子を見れば援護が必要な事は明白でしょう」

「……好かんのだ。公方も管領もな。あ奴らは誰のおかげで京の東が平穏になっておるか理解しようともせん。

自分たちの都合の良い事しか見ようとせぬ阿呆共だ」


定頼と進藤が真剣な目でしばし見つめ合う。先に折れたのは進藤だった。

「……では、京へは私が参りますので軍勢をお貸しくだされ」

「……阿州六郎殿とは決して戦ってはいかんぞ。そんな事で無駄に軍勢を失う事はわしが許さん」

「承知しております」


 どうやら話がまとまったようだと一息吐くと、上座から声が掛かった。

「藤十郎には新助の下知で上洛の軍勢に加わってもらいたい。父御が出ると戦をしてしまい兼ねんのでな」


 ―――確かに


 今の高郷ならば戦と聞けば飛び出してしまうかもしれない。父高郷は秀紀の暗殺後、現在は当主として家政を取り仕切っているが、だいぶ鬱憤が溜まっているように見える。

 裏表なく豪放磊落な父に暗殺という手段を取ることは堪えたのだろう。やはり自分が手を汚すべきだったかと定秀は少し後悔していた。


 

 ※   ※   ※



 定秀が物思いに耽っていると、ガチャガチャと具足の音をさせながら伝令が陣幕の中に入って来た。

「申し上げます!桂川原で武田勢が敗走!管領様の軍勢も総崩れとなりお味方は大敗でございます」

 伝令の言葉に進藤は頷くと、定秀の方を向いて大儀そうな顔をした。


「出番のようだな。御屋形様が嫌がるのも無理からぬことではあるか」

 肩をすくめてやれやれという顔をする進藤に、思わず定秀も苦笑する。

 桂川を挟んで対峙した高国軍は、川べりに一文字に軍勢を展開させて矢戦をするだけだった。

 相手の喉元に痛撃を加えるような動きは見られない。


 ―――確かに、あんな将の下知で戦っては命がいくらあっても足りんな


 気合を入れ直して陣幕の外に出ると、定秀は待機する鶴の旗の元へと急いだ。



 大永七年(1527年)二月十四日

 波多野植通の弟の柳本賢治の軍勢と夜間に少しだけ戦闘をした六角勢は、そのまま高国と将軍義晴を奉じて近江に引き上げ、十八日には守山宿に到着。その後高国と義晴は蒲生郡の長光寺に滞在する事となった。


 義晴が幕臣と共に京を引き上げた事で幕府は空位となったが、勝利した細川晴元もその主力である三好軍の中で内紛があり、上洛は出来なかった。

 細川晴元に担がれた足利義維よしつなは堺に留まり、奉公衆からの文書発給なども堺において行われ、『堺公方』あるいは『平島公方』と呼ばれた。

 一方近江に逃れた義晴は『江州公方』と呼ばれ、奇妙な事に二つの公方が成立する。

公方不在の京は波多野・柳本の軍勢が占拠する所となった。




※   ※   ※




 四月になると、平島公方が堺に留まったまま上洛しない情勢を見て勢力を盛り返そうとした江州公方の義晴は、定頼に出陣の依頼を行っていた。

 一緒に落ちて来た細川高国は、援軍要請の為に越前の朝倉まで出向いていた。


「ほほほ。さすがに弾正の軍は精強そのもの。江州一のつわもの揃いよな」

「はっ… お褒めの言葉有難く」

「この軍勢に守られておれば安心だ。されど、京のことが気にかかる。余がおらぬで京洛はずいぶん難儀しておろう。

 弾正も京に参れば天下第一の武名をほしいままに出来よう。弾正が余を供奉して上洛するというのならば、苦しゅうはないぞ」


 観音寺城の広間で上座に座って上機嫌な義晴に対し、対面に座る定頼は表情を消していた。

 群臣の位置に座る定秀も苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


 ―――物の頼み方も知らんのか


 定秀は主君の上洛嫌いの理由の一端を垣間見た気がした。

 将軍とはいえ軍勢は六角頼みで、その上恩着せがましく六角の武名を揚げるのに一肌脱いでやろうという態度はとても頼みごとをする態度には思えない。

 元々六角の所領を召し上げようと画策してきたのは将軍家なのだから、六角が恩に着る謂れなどないのだ。


「では、坂本までお供致しまする。公方様には坂本にて政を行って頂きますよう」

「しかし、それでは洛中の者は……」

「洛中へはこの弾正めが禁制の発給など承ります。公方様にお願いの筋がある者も、坂本であればすぐに京から参ることも出来ましょう」


 決然とした定頼の物言いに、尚も上洛を言い募ろうとした義晴が口をつむぐ。

 左右に居並ぶ幕臣は厳しい目を定頼に向けていたが、面と向かって言い返すことは出来なかった。


「京の事はこの弾正めにお任せくださいませ」

「……左様か」

 口元に強い力を込めながら義晴は不承不承納得した。

 定頼は無理に上洛して細川晴元を刺激することを極力回避した。

 上洛するのは下交渉が固まってからだ。



 義晴の焦りをよそに定頼はなかなか動こうとはせず、猿楽を催して義晴をもてなす一方で保内商人の伴庄衛門と頻繁に接触し、京周辺、特に摂津・丹波の動きを探らせていた。


 九月になると、ようやく義晴を奉じて東坂本まで出陣する。

 父高郷から家督を譲られた定秀は、晴れて蒲生家当主として定頼の上洛軍の端に加わった。



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