第9話 裏取引
主要登場人物別名
藤十郎… 蒲生定秀 六角家臣
弾正… 六角定頼 六角家当主
新助・山城守… 進藤貞治 六角家臣
公方… 足利義晴 第十二代足利将軍
管領… 細川高国 細川晴元と権勢を争っている
――――――――
「申し上げます!
「何!?」
伝令の報告に朝倉宗滴は思わず床机から立ち上がった。
「六角はどうしておる!」
「下鳥羽にて三好勢を抑えているとの由、今動くことは出来ぬと……」
「おのれ弾正!ここまで来て尚も小賢しい真似を!」
怒りに顔を真っ赤にした宗滴の手元からボキリと音がする。竹製の鞭が真ん中からへし折れていた。
宗滴と同様に怒りを露わにした朝倉景紀が進み出た。
「
ここは某が畠山勢を打ち払って参ります!」
「よし!ゆけい!」
「ハハッ!」
大永七年(1527年)十月十九日
『川勝寺口の戦い』と言われる合戦の最中だった。
十月十三日に上洛した足利義晴率いる上洛軍は、洛中に陣取る波多野・柳本の軍勢を追い払うと本陣を若王子神社から東寺に移した。
洛中を制した義晴軍は、摂津からの細川晴元軍を迎え撃つために南に向けて布陣。
義晴軍の主力の一角を務める六角勢は、東福寺から下鳥羽に陣を移して摂津から攻め寄せた三好勢と対峙していた。
しかし、
南に向けて布陣していた義晴本陣は完全に虚を突かれ、時を同じくして摂津から三好元長が
上洛軍は一転して窮地に立たされた。
帝の御所周辺に布陣していた朝倉勢は、御所警備兼各軍の後詰の位置を占めており、現在最も動きやすい軍勢となっている。
元々戦う気概を見せぬ六角定頼に対し、朝倉宗滴が将軍義晴に願って六角を前面に押し出す布陣にしたのだった。
宗滴も名将として名高い武人だったが、こと謀略においては定頼の方が一枚上手だった。
※ ※ ※
「殿!三好勢が渡河して参りました!」
「うむ。矢を射かけよ!」
六角勢の先陣を務める蒲生定秀は、桂川沿いに布陣して三好勢と対陣していた。
騎馬で川原の土手に立つ定秀の眼下には華麗とも言える合戦の全容が見て取れる。
今も矢戦をしながら、南の下流側から三好勢の一部隊が華々しく歓声を上げて川を渡って来るのが視界に入る。
まさに血で血を洗う凄惨な戦に見えた。
「殿ぉ!敵に拠点を作られれば我らは後退を余儀なくされますぞ!」
定秀はこちらも騎馬で隣に
「うるさいな。耳元で怒鳴らんでも聞こえている。心配せんでも矢を射かければ三好勢は拠点を作れぬ」
「……はぁ」
―――正確には
既に三好元長とは取り決めが出来ている。川を渡って拠点を作る動きなどを見せるが、白兵戦は厳に慎むと申し合わせてあった。
定秀自身が進藤貞治と共に元長と直々に会って取り交わしたのだから、間違いはない。
―――御屋形様もお人が悪い
定秀は戦況を見つめながら兜の下でクスリと笑った。
既に北から畠山勢が本陣へ攻めかかる動きを見せているはずだ。
対応は朝倉がせざるを得ない。少なくとも、義晴方の諸将にはそう見えているはずだ。
「
言葉の内容に対してあまりに朗らかな言い様で、まるで駄々をこねる子供を好きに遊びに行かせてやれとでも言わんばかりだった。
少しでも朝倉勢の戦力を削いで、さっさと帰らせる心づもりなのだろう。
「弥七!伝令を出せ!」
「は!」
「我らも渡河部隊を出す!ただし、矢を射かけられれば即座に退け!」
「………は?」
「急げ!」
「は……はは!」
弥七が首を捻りながら後陣に控える町野将監に伝令を送る。
町野には既に意を通じてあり、弥七には意味が分からなくとも町野には通じるはずだ。
―――八百長で戦うのはお味方に気が引けるが、これも駆け引きというものだ
見た目はまさに華々しい合戦絵巻そのものでありながら、楯の後ろからお互いに矢を射かけるだけで、多少の手負いは出ているが死人は一人も居ない。
馬鹿馬鹿しいと言えばあまりに馬鹿馬鹿しい戦振りだった。
一刻ほど矢だけをやり取りした後、下鳥羽の六角本陣から使番が定秀の元へと駆けつけて来た。
側に来るとヒラリと馬から降り、手綱を握ったまま片膝を着く。流れるような見事な所作だなと場違いな感想を抱いていると、使番が下を向きながら大声で言上した。
「申し上げます!川勝寺口の畠山勢を朝倉勢が追い払ったとの由、蒲生様には至急本陣へ来られたし。以上です!」
「うむ!ご苦労!」
定秀は大きく頷くと、町野将監に陣を任せて定頼の本陣へ向かった。
「お待たせいたしました!」
ガチャガチャと具足の音をさせながら陣幕を上げると、既に主だった六角家の武将が参集していた。
進藤・後藤を始め永原・三雲・平井・目賀田・青地・下笠・三上など。
宿老たる池田は、三井・高野瀬らと共に観音寺城の留守居を務めていた。
「おう!ご苦労!」
相変わらず朗らかな様子で上座の定頼は右手を上げて笑顔を見せる。
定秀が一礼して末席に座ると、定頼から一座に声が掛かった。
「ジジイが畠山を打ち払ったらしい。朝倉の損害は僅か二百だ。畠山も存外情けないな」
思わず失笑が漏れた。一座の人の悪さは主君譲りだった。
「ということで、三好には入洛してもらう。保内衆が十名ほどで兵糧を売りに勝竜寺城へ参る事になっている。新助は保内衆に同行し、今後の事を打ち合わせてくれ」
「承知いたしました」
「藤十郎は桂川を堅守する構えを見せよ。うっかり鶏冠井城への移動を見過ごす事になるが、気にするなよ」
「はっ!しっかりと
「他の者は公方様御本陣を護るように陣立てを変えろ。ここを起点に上鳥羽まで陣を伸ばせ」
「「ははっ!」」
「よし!では我らの戦はこれからが本番だ。皆、よろしく頼む」
「「「ハッ!」」」」
定秀は陣に戻ると、南に向けて陣立てを変更した。
陣の向きを変える途中で三好の三階菱の旗が大挙して北に向かうように見えたが、おそらく気のせいだろうと思った。
南からは大和の国人衆が北上の構えを見せ、定秀は再び先陣として大和勢と相対することになった。
今度は八百長ではないので定秀も油断なく堅守の構えを見せる。
大和衆は手伝い戦で士気も低く、お互いに積極的に動こうとはしない為に南の戦線は膠着状態に入った。
一方鶏冠井城に入った三好元長は、朝倉勢に追い散らされた畠山勢を後援して洛中に陣を進めると再び川勝寺口で畠山勢を先陣として義晴本陣と対峙した。
朝倉勢が三好勢と正面から組み合う陣立てとなると、小競り合いを続けながらも北の戦線も膠着状態に入った。
全ては六角定頼と三好元長の思い描く陣立てへと変わっていった。
※ ※ ※
「おお、すまんな。銭は後で支払う故勘弁してくれ」
「へぇい。ありがとうございます」
保内衆と共に商人姿に変装した進藤は、首尾よく勝竜寺城の三好陣へと潜り込むと荷運びを演じながら見知った顔を探した。
「大和守殿。大和守殿」
呼び止められた篠原大和守長政は、進藤貞治の顔を認識して驚いた顔をした。
「山城守殿!一体その出で立ちは?」
「商人の列に紛れて参りました。人目をはばかります故に…」
「なるほど」
篠原が納得顔になる。確かにまだ六角と三好の繋がりが人目に付くのはマズい。
篠原長政は元々近江国野洲郡篠原郷の出で、長政の父の代に三好家に仕えていた。
その為、長政の家臣の中には近江に伝手がある者も多く、今回の交渉のつなぎ役としてはうってつけだった。
進藤が勝竜寺城の厨に案内されると、奥から
頭を垂れて平伏の姿勢をしていると頭上から声が掛かった。
「山城殿。やめよやめよ、そのような真似」
明るい声に顔を上げると、目の前には三好家の当主・筑前守元長が座していた。
主君定頼よりも六歳も若く、活力にあふれた顔つきは自然と周囲に明るさをもたらす雰囲気を湛えていた。
何度か顔を会わせている進藤も元長の闊達さに好もしさを覚えていた。
「弾正殿はお変わりないか?きっと愚痴をこぼしておられような」
元長がクックックと可笑し気に笑うと、進藤も自然と笑みがこぼれた。
「畠山様に今少し踏ん張って頂きたかった。と、こぼしておりまする」
「はっはっは、さもあろう。あれほどすぐに崩れるとは味方の
「朝倉の武威もなかなかに侮りがたく。というところでしょうな」
「うむ。次は我ら三好があのじい様を抑えねばならん。難儀な事だ」
二人で声を上げて笑う。すでに進藤の用件を察しているのか、軍勢は鶏冠井城への移動を開始していた。
六角が高国方の主力なら三好は晴元方の主力だ。
六角は自軍の損耗を避けたい、三好は内紛の多い晴元方がこのまま京の東と敵対する愚を避けたい。
奇妙な事に、敵対しながらも六角と朝倉よりも六角と三好の思惑の方が一致していた。
一頻り笑ったあと、一転真剣な顔つきになって元長が進藤に問いかける。
「で、どの程度かかりそうだ?」
和睦交渉に入れるまでの期間を聞かれているのだと察した。お互いに連合軍であるだけにしがらみが多いのは承知の上だ。
「……夏頃までかかるやもしれません。朝倉の兵糧はあと三月ほどは持ちましょうし、朝倉が居る以上管領様も公方様も主戦を唱えられるでしょう」
「ふむ……」
元長はしばし考え込む姿勢になった。
おそらく滞陣期間から手持ちの兵糧を計算しているのだろう。今回取り急ぎ二十石ほど保内衆が搬入しているが、二万の軍勢を半年食わすにはとても足りるものではない。
「あと五百石ほど都合してもらえんか?もちろん代価は支払う」
「ようございます。下鳥羽から勝竜寺城へと運び込みましょう」
「いや、淀川を下らせて堺まで頼む。その方が自然に見えるだろう」
「承知いたしました」
近江の湖東地域に点在する商人達は、伊勢や若狭・越前・美濃などから買い付けを行っている。
米が取れたばかりのこの時期なら安くで仕入れられるだろう。
しかも、表面上戦をしているとはいえ、領内の商人が商売に精を出す事に文句を付ける者などいない。
六角と三好は、保内衆を介して兵糧を融通する事で協力体制を取っていた。
もちろん、保内衆が受け取った米代金の一部は六角家に還流される。
戦争すらも定頼にかかれば商売のタネだった。
出された白湯をすすりながら元長としばし語り合った後、進藤は再び保内衆の列に紛れて六角陣へと帰陣した。
すでに晩秋も暮れ、冬将軍の気配が漂って来ている。
―――今年も京で年を越す事になるか
昨年から精神的に成長した定秀を頼もしく思いながら、進藤は再び具足を纏った。
今回の謀略にも定秀は進藤の片腕としてよく働いてくれている。
家臣の中では新参とは言え、定頼が深く
具足を纏って再び武将の姿になると、進藤は六角本陣に向けて馬を走らせた。
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