第15話:待っていれば

 エルフの奏者の顔面から解放され安心したのも束の間、シヴィリア孤児院の職員さんが様子を見にやってきた。私のことを覚えていたのか、あら、と声を上げる。


「こんにちは。今日も来てくれたのね」


「こんにちは。少し気になることがあって……お時間よろしいでしょうか?」


「ええ、構わないわ。どうぞ、子供たちもお昼寝中だから」


 少年とエルフの奏者に背を向けてひとまず中へ。昨日とは打って変わって、不気味なほど静かだ。大きな建物なのに物音がほとんどしないからだろう。寂しさも感じる。職員さんに促されて椅子に腰かける。

 

 職員さんはなにか飲み物を淹れているようだ。お茶か、コーヒーか。ペースを落とさず走っていたのと、エルフの奏者に顔で殴られたこともあって、一息吐きたいとは思ってた。出されたマグカップからは懐かしい香りがした。コーヒーのようだ。この世界にもあるんだ。


 思えばケネット商店でも缶飲料を取り扱っていたし、食文化に関してはさほど地球と変わりはないのかもしれない。


 職員さんは私の真向かいに座り、「さて」と口火を切った。


「気になることってなにかな?」


「あ、えっと……ここの子供たちで、お姉さんを探している子って、いますか?」


「お姉さん? ……ああ、もしかしてエリオットくんのことかな」


 やっぱりそうか。名簿に間違いはないようだった。しかしおかしい。エリオットくんの名前を口にした途端、職員さんの表情に影が差した。まるで腫れ物に触るような、見ていて少し嫌な感じがした。


「エリオットくんはどちらにいますか?」


「それは……」


 言い淀む職員さん。言いたくないのか、言えないのか。乞うような眼差しを向けると、職員さんは観念したかのように深いため息を吐いた。コーヒーを一口啜って、重々しく口を開く。


「エリオットくんはね、もういないの」


「いない……?」


「死んじゃったみたいなの。お姉さんを追いかけて、街の外に出て……魔物に襲われちゃったのかな、連絡があったときにはもう息を引き取っていたわ」


 思わず絶句した。あの子が死んでいる? あの子はいまも、ここでお姉さんの帰りを待っている。死んでるってつまり、あの子はここの地縛霊……? 気づいているのだろうか、職員さんは。あの子だって、自分が死んだことに気付いているのだろうか。つい声を上げる。


「で、でも……あの子はここにいました……お姉さんを探してるって、私に、間違えてごめんなさいって……」


「……ああ、そうなのね」


 押し黙る職員さん。エリオットくんのことは、あまり触れられたくないのだろう。職員さんとしても不本意のはずだし、自分たちの監督が行き届いていなかったせいで子供を一人失ってしまったと思っても仕方がない。これ以上詮索するのは酷か。


「すみません。部外者の身でありながら詮索が過ぎました」


「いいえ、いいの。……あの子は、まだここにいるのね?」


「はい。私にしか見えていないようでしたが……」


「それなら、また遊びに来てくれる? あの子を一人にさせてあげたくないの」


「……はい、是非。私にお姉さんの代わりが務められるかはわかりませんが、話し相手はさせてもらいます」


 エリオットくんを一人にさせたくない。それは生前の彼に対して思っていたことだろう。お姉さんが離れて、塞ぎ込んでしまったに違いない。職員さんとしても、なにかしてあげたかったはずだ。それすらできずに死んでしまったのなら、後悔もたくさんしたと思う。


 だったら、いまは彼が見える私にしかできない。アイドルをプロデュースするのが目標ではあるけれど、出会ったのもなにかの縁だ。大事にすれば、いつか違う縁が結ばれることもある。営業時代、それで救われたこともほんの少しだけあったからこその考えかもしれない。


 職員さんに一礼して、中庭に出る。エルフの奏者は楽器を弾きながら、うんうんと頷いていた。隣にはエリオットくん。伏し目がちな彼に寄り添う奏者はこれ以上ないほど画になる。……あれ? もしかしてあの人、エリオットくんが見える?


「あ、あの、少々お時間よろしいでしょうか」


 奏者は私に目を向け、微笑んだ。こらこら、剥き出しの凶器を振り回してはいけません。深呼吸を一つして、ビジネスモードに気持ちを切り替える。ああほら、大丈夫。私はいま、仕事中だ。キャーキャー騒ぐ暇はない。


「むしろいいのかい? きみの時間を貰っても」


「私もあなたの貴重なお時間を頂きますのでおあいこです」


「ふふ、そう。それじゃあ用件を聞こうか」


 少しだけ愉快そうに口の端を上げる奏者。ですからその出刃包丁しまってください。いかん、落ち着け私。目の前の顔面はただの取引先だ。余計な感情を抱いてはいけない。努めて冷静に問いかける。


「その子が見えているんですか?」


「ああ、見えているよ。きみにも見えているんだね」


「はい。でも、私だけみたいなんです」


「きみだけじゃない。僕がいるだろう? この子のことは、二人だけの秘密……なんてね」


 そんな悪戯な笑みを浮かべてはいけない、並大抵の女なら落ちてる。ブラック企業で十年も営業やっていてよかったと、初めて思えた。精神力が常人とはかけ離れている。良くも悪くも……。


 ひとまず、彼の言葉に付き合っていたらエリオットくんが置いてけぼりになってしまう。話すべきことを話さなければ。


「その子……エリオットくんっていう名前なんです。お姉さんを探していて……亡くなったみたいなんです」


「そう。余程お姉さんのことが大切だったんだね」


 奏者はエリオットくんの頭を撫でる。触れることもできるのか。そういえば昨日は突然のことで触れなかった。私も彼に倣うように、頬に手を添えてあげる。エリオットくんは顔を上げるが、私と気づいて――というより、お姉さんではないことに気づいて、再び俯いてしまった。


 絶対にこの子の顔を上げさせてやる。新規獲得のために初めて訪れた場所での営業を思い出せ。門前払いをかろうじて突破し、リビングでお話。そこにはテレビゲームで遊ぶお子さんの姿があった。親御さんの警戒心を解くために、お子さんと仲良くなることは効果的だった。そのときの気持ちを掘り起こせ。


「こんにちは。私、リオっていうの。きみのお名前は?」


「……エリオット・リデル」


「エリオットくんね、よろしく。きみはここでなにしてるの?」


「……姉さんが帰ってくるの、待ってる」


「そっかぁ。お姉さん、帰ってくるといいね」


「うん……」


「…………えーっと……」


 しまった。この子、たぶんほとんど自我が残ってない。お姉さんに会いたいっていう願いだけで存在してる感じがする。会話でコミュニケーションを取ろうにも、エリオットくんに明瞭な意識がないなら親睦の深めようもない。


 しどろもどろに言葉を繋げようとするが、そこにエルフの奏者が割って入ってきた。


「エリオット、きみのすべきことを教えてあげようか」


 奏者の言葉で、エリオットくんはようやく顔を上げた。私もつい彼の顔を見る。相も変わらず底の知れない微笑を湛えていた。奏者は続ける。


「ここで待っていても、お姉さんは帰ってこない」


「ちょ、ちょっと……!」


 たぶん一番言っちゃいけない言葉だ。いつかお姉さんが帰ってくる。その一心でここに留まっているとしたら、帰ってこないとわかれば消えてしまうのではないか?


 見れば、エリオットくんの顔は歪んでいる。わかっていたのに、考えないようにしていたのに、どうしてそんなことを言うんだ。恨むような眼差しに臆すこともなく、奏者は諭すような笑顔で彼の手を握った。


「だから、探しに行こう。『待っていればいつか』なんて、願いの成就を他人に委ねていたらいつまで経っても叶いはしない。願うなら、叶えたいなら、きみは歩いていくべきだ」


「…………歩いて、いく?」


 ここで初めて“エリオット・リデル”が顔を見せた気がした。奏者はきっと、エリオットくんの望みに気付いている。エリオットくんも気付いていたのだろう。待っていても帰ってこない、けれど一歩踏み出すのが怖い。そんな複雑な想いの塊がいまの彼そのものだとしたら――。


 奏者はやはり、柔らかな笑顔のままだ。けれどそこには、見守るような温かさを感じた。


「そうだよ。なにかを成し遂げたいのなら、やることはたった一つ。歩くのを止めないことさ。きみの想いは、願いは、世界の果てまで歩いていける力がある。僕が保証しよう」


「…………ぼく、どこに行けばいいのかな」


「どこでもいいさ、きみの心が惹かれた方へ行けばいい。決められないならコイントスだっていい。気の向くまま、願いに素直になればいいんだ。きみを縛るものなんて、初めからどこにもないんだから」


「…………うん……」


 エリオットくんは再び俯く。けれど、少しだけ口角が上がっているように見えた。奏者はまぶたを閉じ、小さく息を漏らす。再び楽器を手に取り、弦を弾いた。


「それじゃあ、旅立つ少年にエールを贈ろう。しがない吟遊詩人、オルフェの演奏を聞いていって。きっと勇気を与えられると思うから」


 エルフの奏者――オルフェさんは深呼吸を一つして、演奏を始めた。重く暗い空の下、期待と希望に満ちた調べが心を奮わせる。言葉なんて要らないのだと、音だけで心は動かせるのだと思い知らされた。エリオットくんも、自然と顔を上げていた。


 そうして、オルフェさんの演奏が終わる。一瞬の沈黙。私は誘われるように手を叩いた。エリオットくんも同様だった。オルフェさんは満足そうに微笑んで、頭を下げる。ギルさんといい、人を楽しませることに対して真摯なのだと思う。


「ありがとう。明日のきみたちが今日より少しだけ幸せでありますように。それじゃあ、また会う日まで」


 それだけ告げて、オルフェさんは去っていく。エリオットくんはまた目を伏せてしまうが、その横顔は少しだけ勇ましい。彼の演奏で、本当に背中を押されたのだろう。かくいう私もその一人。できることからやってみよう、と。そんな気にさせられた。


 お父さん、お母さん。異世界は、やる気にさせるのが上手です。

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