第16話:グーで握る手綱
シヴィリア孤児院からの帰り道、オルフェさんの言葉をぼんやりと反芻する。曖昧な言い回し――あえて悪く言うのなら、いい加減で無責任な言葉だった。
けれど、エリオットくんのような若い子には効果てきめんだろう。間違えてもやり直せる、未来を選べる年頃の子は、あれくらいの言葉がちょうどいいのかもしれない。
けれど、楽器の演奏ができる人に出会えた。これもなにかの縁だ。またどこかで出会えたら――と、思ったところで彼の言葉を思い出す。
「……待ってても叶わない、かぁ」
私も大概単純だなぁと自嘲する。思えば私だってこの世界ではティーンエイジャー、の肉体だ。少しくらい無鉄砲になってもいいのかもしれない。オルフェさんが去ってからそう時間は経っていないのだ、彼の情報を少しでも集めておこう。
私は帰らず、中央の商店街に寄り道することにした。商店街までは地図を使わなくても行けるはず。川沿いをのんびりと歩く。
エリオットくん、もう亡くなってるみたいだけど、新しいスタートを切れればいいな。帰るときに声をかけても返事はなかったけど、横顔は少しだけ明るくなっていた。彼はきっと大丈夫。そう思わせてくれた。
商店街に到着する頃には、にわかにお腹が空いてきた。退勤してからなにも食べていないし、なんだかんだ時間は経っていることに気付く。
それより、困った。アレンくんと来たときより不安が大きい。見知らぬ土地で一人きりなのだ、当然と言えば当然かもしれない。
だが思い出せ、私は十年近く営業を続けてきた。初めての土地に放り出され、臆さずチャイムを鳴らし続けたあの日々を思えば、見知らぬ土地の人込みがなんだ。ちょろいもんだ。
震える足を引っ叩いて、いざ出陣。アレンくんに案内された中で人の往来が盛んなところは避けたいと思った。忙しなく歩く人々に声をかけたってまともに取り合ってもらえるとは思えない。となれば、少し落ち着いたお店……例えば、カフェとか、バーとか。その方が情報収集はしやすいだろう。
「……あれ? ちょっと待って。私、いま何歳?」
そういえば“リオ”の実年齢を把握していない。もっと言えば、この世界でお酒が解禁される年齢がわからない。一度帰ってから鞄を探してみよう。もしかしたら日記に誕生日関連の書き込みがあるかもしれない。
目を伏せて立ち尽くしていたが、よし、と一歩踏み出して――。
「ひゃあっ!?」
どしっ、となにかにぶつかった。俯いて歩くのはやめなさい。幸せが逃げるし、なんなら事故に遭ったりするかもしれないんだから。
「どこに目ェつけて歩いてんだガキィ!」
ぶつかったのは、事故より質の悪いなにかでした。顔を上げれば、なんとまあ厳つい鎧を身に着けたトカゲさんでした。深い緑の表皮、うろこ。瞳孔の小さい目は金色で、フシュルルルと息巻く口からは細長く先の割れた舌が覗いている。声から察するに男性だ。っていうか、トカゲさんだ。オルフェさんのときと同じで、ファンタジーを感じる。
でもちょっと待って、すごい剣幕だ。機嫌が最悪のときの上司に匹敵するレベル。自然と腰が引けてくる。こんなところで新入社員の気持ちを思い出させないでほしかった。
私の古傷などお構いなし、トカゲさんは私の胸倉を掴んだ。落ち着いてください! っていうかどうしてそこまでお怒りなのですか!? 忘れかけていた恐怖のせいで声も出せない。周囲の人たちも驚いてこちらに注目している。突っ立ってないで警察呼んでくださいよ!
「あ、あの……!」
「この鎧なァ、高かったんだぞ? 傷がついたらどう落とし前つけてくれるってんだァ!?」
「ご、ごめんなさい! うっかりしていて……!」
「うっかりで済んだら騎士様は要らねぇーんだよ!」
騎士様。この世界での警察は騎士が担っているようだ。でもこれ、絶対私悪くない。懐かしいなぁ、上司もこんな感じだった。
そうだ、思い出した。可愛い新人ちゃんがミスしたとき、なぜか二年目の私に責任転化して怒鳴りつけてきたっけ。
理不尽な怒りの矛先をかわす方法を思い出せ。相手の言葉に合理性は一切ない。心を揺らすな、真顔になれ。ここは職場、この世の地獄。即ちオフィス。すーっ、と感情が抜けていく。
しかしこれがまずかった。怯えた顔から一転、感情の抜けた私を見て、トカゲさんはさらに激高した。
「なんだそのツラァ! 反省してんのかァ!?」
「勿論です。深くお詫び申し上げます」
「反省してるようには見えねェなぁ!? 誠意が足りねェよ誠意が!」
あっ、その言葉、上司もよく言っていた。氷点下に落ちたはらわたが一瞬で沸く。立ち上る湯気で頭の中が完全に真っ白になった。
「へぇ~……誠意が足りない、ねぇ」
口の端が吊り上がる。わあ、いまの私、鏡で見られない。それくらい、表情筋が邪悪に歪んでる。そんな気がした。
トカゲさんは一瞬怯んだように目を泳がせた。そうやって狼狽えるくらいなら、初めから恫喝なんてするな! はらわたでしっかり煮えた怒りが、堰を壊して流れ出る。
「なにビビッてらっしゃるんですかぁ~!? こんなか弱い乙女を脅してなにしようって思ったんですかねぇ! 自分より立場の弱い人にしか強く出られないんですかぁ!? なんとまあはしたない! みっともない! 男の風上にも置けないですねぇ~!? お粗末な○※△いきり立たせて強気に出ちゃってまあ! 可愛いですねぇ! なまくらぶら下げてイキっちゃって! 可愛い可愛い~! ボクちゃんお幾つでちゅか~!? ママの※□○☆吸ってなさいな! 嫌ならおしゃぶり咥えてオラついてどうぞ!? 可愛いボクちゃんとっても画になりまちゅねぇ! 可愛い~! 写真撮っていいですかぁ!? ちょっとちょっと! なんで黙ってるのかな~!? 反論できないなら☆@◇※○垂らして泣き喚いてなさいよこのすっとこどっこいィ!」
一息で溢れる怒り。呼吸は乱れに乱れ、酸素をかき集めることに集中する。冷静になってくると、よく淀みなく吐き切れたものだと思う。マキノ大瀑布と名付けたい。生前は同僚との酒の席でこんな調子だったことも思い出した。ごめんね、これはあまりにもあんまりだね。
聴衆も驚いたように黙り込み、トカゲさんも間抜けな表情で私を見つめている。アレンくんがいなくて本当によかった。彼の前でこんな一面は見せられない。
しかし束の間の静寂に終わりを告げたのは、トカゲさんの金切り声だった。
「カァ~ッ! 最近のガキは口の利き方がなってねェなァ!?」
「――きみはレディへの口の利き方がなっていないね」
弦を弾く綺麗な音が聞こえた。トカゲさんの気が音の方に逸れる。続けざま聞こえてきたのは、囁くような声。甘く、気を抜けば意識を奪われそうな魔性の音。
「“ゆっくりお眠り”」
その声が聞こえたと同時、トカゲさんの険しい目つきは見る見るうちに蕩けて、そのまま倒れ込んだ。私を掴んでいた手が離れ、安心感からか尻餅をついてしまう。気絶したのかと思ったが、安らかな息が聞こえる。眠っているようだ。
声の主が手を差し出してくるが、その手を取ることはできなかった。先程別れたはずの顔面兵器のものだったから。
「オルフェさん……?」
「ああ、覚えていてくれたんだ。きみの記憶に僕がいるなんて、こんな幸せなことないよ」
「あは……いったいどこでそんな言葉を覚えてくるんですか……?」
「旅の中で、ね。それより、さっきのはなかなか衝撃的だったよ」
「……見られていましたか……」
アレンくんに見られるのと同等レベルで恥ずかしい。顔から出た火で辺り一帯を焼き尽くしてしまいそうだ。
やめてくださいね、歌にしないでくださいね。行く先々で歌わないでくださいね、えげつない罵声を浴びせる可憐な少女の歌とか本当にやめてくださいね。示談でどうにかなりますか? 銀行の有無を早く調べなければ、キャッシュカードは持ってるか“私”!
顔を隠す私だが、オルフェさんは控えめに笑う。駄目だ、視界を遮っても脳裏に彼の顔がちらつく。口元に手を当てて笑っている。クソッ、なんてことだ。まぶたの裏にオルフェさんの顔が彫られている。しっかり墨まで流し込んできて……一生ものだ。罪作りってこういう人のことを言うんだ。
「大丈夫。人間は裏と表で一つだから。どれだけ過激な言葉を吐いても、それを含めてきみなんだ。人間として自然なことさ、そんなところも愛おしい。だから、顔を隠すのはやめてほしいな。可愛い顔をしてるんだから、勿体ないよ」
「フッフハハハ……! ……失礼致しました、間違えました」
思わず溢れた低い笑い声。気障極まった台詞を直に聞かされて笑いを堪えきれるはずがない。これが会社の同僚とかならもっと盛大に笑ってるよ。でもね、これを言ってるのは顔面だけで心の臓をぶち抜くような人だ。そりゃあ地獄の底みたいな低い声も出るよ。
ひとまず彼に従い、顔を隠すのはやめよう。うわっ、無警戒で拝むと本当に凶器だな。気を確かに持て、私。深呼吸をすると、植物の香りがした。香水だろうか? なんだこの人、浮世を離れていくことに余念がないな。
「コラァ、オルフェ!」
突如、威勢のいい女性の声がした。人垣が自然と割れ、道ができる。そこから現れたのは一人の女性だった。綺麗な人なんだろう、いまは鬼のような形相を浮かべているけど。
アレンくんより少し暗い赤の長髪で、肌はシミもしわもなく瑞々しい。怒りに歪んだ眼には、草原を彷彿とさせる若々しい緑の瞳。顔立ちだってえげつないくらい綺麗だ。可愛い、ではなく、綺麗。身長も高いし。それなりに露出度の高くひらひらした衣装を着ているが、なに一つ恥じるところのなさそうな美しい肉体だった。ここが地球なら世界一のモデルになって然るべき、そう思うことを強いられている気がした。
女性は怪獣のように威圧的な歩みでオルフェさんに迫り、拳を振り上げ――って、ちょっと待って!?
「トラブル起こすなっつったろうがスケコマシ!」
容赦なく振り下ろされた鉄槌は、違えることなくオルフェさんの脳天に直撃した。彼はぐらぐらと頭を揺らしながら虚空を見つめている。相当強い力で殴ったのがよくわかる、この生物兵器を拳で制する人なんてこの人くらいなものだろう。
あまりにも突然の出来事に立ち尽くす私。見兼ねたか、女性は私の頭に手を置いた。え、美人に撫でられている……?
これはまずい。心が社畜のままだからか、優しくされると泣いてしまいそうになる。唇を結ぶが、涙は堪えきれなかった。女性はぎょっとしたように手を離す。
「だ、大丈夫か? あたし、なんか悪いことしたか?」
「いえ、いえ……違うんです、違うんです……」
「怖かったか?」
「怖かったと思うよ……エルフを全力で殴る女性はね……」
掠れた声のオルフェさん。はい、それも確かに怖かった。でも顔面を殴られなくてよかったです、あなたの顔面は人間国宝だ。いや人間じゃなくてエルフだけど……。
お父さん、お母さん。異世界は過激なものに溢れています。
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