第14話:表情豊かな弦

「いいよ、リオちゃん! 上がりな!」


「お、お先に失礼します……!」


 あまりにも馴染みのない言葉を告げて、ぎこちなく頭を下げる。店内にはお客様がちらほらと見えるが、忙しい昼時は過ぎた。せかせかと品出しをするアレンくんと、カウンターで対応するご両親の背中を見ながら階段を上る。


 ケネット商店の制服を脱ぎ、バーバラさんが用意してくれた普段着に袖を通す。うーん、やっぱり違和感。私はこういうふわふわした衣装は合わない……と思うのは、やっぱり“牧野理央”を引きずっているからだろう。この世界の“私”はこういうのが似合うのだ。思い込まねば慣れられない。


「……さて、どうしよっか」


 ケネット商店の手伝いを初めて、四日目。春明の十三日。どうやらこの世界は一つの季節を「明」「暮」「宵」の三つに分けているらしく、それぞれ三十日で切り替わるようだ。なるほど、確かにこれで三六〇日。ほとんど地球と変わらない。


 ぼんやりと自室の窓から街を眺め、ため息。まだ午後二時過ぎだ。こんな早い時間から自由を貰えたって、なにをしていいのかさっぱりわからない。普通の人って、暇な時間はなにをしているのだろう? 動画を見る? ネットサーフィン? 携帯電話は日本に置いてきてしまった。どうしよう、元現代日本人。ネット社会に深く浸かっていたことがよくわかる。


 ……あ、そうだ。ネットサーフィンじゃないけど、別に調べ物はできる。


「スタートアップ」


 たった七文字の魔法を口にすると、視界に検索スペースが現れる。さて、なにを調べようか。先日訪れた孤児院について調べてみよう。もしかすると、あの少年――あるいは、お姉さんについてわかるかもしれない。名前はなんだったか、そういえば聞いてない。


「……“ミカエリア 孤児院”」


 恒例の検索ワード。光が円を描き、ヒットした情報の群れをさらりと眺める。


 あの孤児院はシヴィリア孤児院という名前だそうだ。ミカエリア近辺にて親を亡くした、あるいはなにかしらの事情でまともな教育を受けられなかった子が入所するらしい。そういった子供たちの保護は騎士が担っているそうだ。


 騎士。騎士と来たか。高潔な響きだ。現代日本にもこういった清く正しい組織があれば、弊社の社員は悲しみを背負わずに働けてたんだろうなぁ。確固とした正義が存在することがこんなにも頼もしく感じるなんて。この世界は本当に優しいな。


「……うーん、少年については触れられてないなぁ。お姉さんの件も記述がない。“データベース”って、この世界に記されてる内容ならなんでも引き出せるんじゃなかったっけ」


 となると、調べ方が悪いか。新たに「“シヴィリア孤児院 名簿”」で検索してみる。すると、確かにその情報が羅列された。有難い機能ではあるんだけど、これって使い方によってはめちゃくちゃ悪用できちゃうよね……国家機密とかも調べられちゃうのかな。絶対やらないけど。


 名簿は新しい子が入所するたび、または離れる子が現れるたびに更新されているようだ。なにがすごいって、最新版に至るまでの過去の名簿が全て閲覧できる。“データベース”、思ったより有能だ。不老不死とか魔法無制限とかよりもよっぽど使える気がする。


「あの子の名前……が、わからないんだよね。あ、でもこの名簿、苗字は入所前のものなんだ」


 となれば、同じ姓を持つのが少年とそのお姉さんである可能性は高い。遡ると、七年前の名簿にその名があった。エリオットとモニカ。性はリデル。それより新しい名簿を見ても、同じ姓の子はいない。確定した……が、妙なことに気付く。


「……どうして最新の名簿にエリオットの名前がないんだろう」


 あの少年がエリオットと仮定する。彼が言うに、モニカはシヴィリア孤児院を離れた。だから名簿に名前がないのは当然。しかし、エリオットの名前も時を同じくして消されていた。それに、彼の名前は黒い線で一度塗り潰されている。その次の名簿から、完全に消えていた。


 これはいったいどういうこと? 新しく名簿を作る必要はないけれど、エリオットが孤児院から離れたってこと? だとしたら、あの子はエリオットじゃない? んんん……?


「……駄目だ、ちっともわからない」


 となれば、やることは一つ。営業は自らの足で全てを掴む。契約も、契約を有利に進めるための情報も、立ち止まっては得られない。


 勢い勇んで売り場に降りる私。ケネット家の皆さんが少し驚いていた。本当に驚かせてばかりだな、私。申し訳ございません。


「ちょっとお散歩行ってきますね」


「あ、じゃあオレ付き添……」


「大丈夫、一人で歩き回ってみるね」


 親切心を無碍むげにして本当に心苦しい。私はねぇ、まったく色気のない青春時代を送ってきたからね。男の子と一緒に街に繰り出したりしてみたいよ。


 でもね、いまはそれより気がかりな……というか、見過ごせないことができちゃったの。体は若返っても、心は大人になっちゃったみたいだ。なんだか寂しい。


 アレンくんも少しがっかりしたような顔をする。ものすごく胸が痛むけど、ごめんね。その顔も嫌いじゃないよ。


「そっか……迷子にならないように気を付けてね! 行ってらっしゃい!」


「ありがとう、行ってきます!」


 笑顔で告げて、駆け出す。シヴィリア孤児院の場所は“データベース”で表示できる。まだ日は傾いていない、けれど少し駆け足で向かう。あの少年に早く会いたい。社畜時代の自分に通じるところがある、と思ったからだ。


 だけど、あの子の様子には少し引っかかる。まるでそれしか言えないみたいな、そんな感じだった。もしかして本当に幽霊だった? だとしたら理由は? どうしてあそこにいる? 地縛霊みたいなもの?


 わからないことは知っておきたい。その上で、できることがしたい。訓練された社畜には躊躇がない。必要だと思ったことはすぐに調べる。一刻も早く帰宅するために身に着いた習慣だった。


 駆け出すこと十数分。川辺を走っていると、なにかが耳に入ってくる。声ではない、が、美しい音。楽器の音だ。リズムは穏やかで、曲調はちょっと切ない。ギター……ではないし、三味線でもない。ヴァイオリンかな? ただ、弦楽器なのは確かだ。


 辺りに視線を配りつつ、変わらず駆け足で。少し先に孤児院が見えてきた。音の出どころにも迫ってきている。でも川辺に姿がないってことは……この音は、孤児院から聞こえてきてる?


 だとしたら誰が弾いてるんだろう? 子供にしては上手すぎる。音の強弱、大小……抑揚っていうのかな。ゆったりとしたバラード調の曲ではあるけれど、柔らかかったり、それでいて強さもあって。表情が豊かな演奏だと思った。


 アレンくんが前に言ってた、この街を拠点にする旅芸人一座の人だろうか。孤児院になんの用だろう? 駆け足のまま向かうと、中庭にその奏者はいた。思わず目を丸くする。この世界は確かにファンタジーだと、まざまざと見せつけられた気がした。


 若葉を彷彿とさせる爽やかな緑の髪は緩いパーマがかかっている。慈しむような優しい光を放つ目は少し垂れ気味で、肌はアレンくんたちに比べると色白だ。それにしたって穢れがない、触れてはならない神聖さすら感じる。身長はそれほど高くなく、アレンくんより少し小さめか。ゆったりとした衣装を纏うその姿はどこか浮世離れしていて、不肖さをより際立たせている。だが、私が最も注目したのは彼の耳だ。横に長く尖っている。私だって知ってる。彼はいわゆる“エルフ”だ。


 エルフの奏者が音を奏でているのは弦楽器ではあった。しかしギターでもヴァイオリンでもなく、抱えられる程度の小さなハープ……のようなものだった。私が知ってるハープとは少し形状が違う。円の上部分をくり抜いたような、一見するとおもちゃにも見える。しかし弦が張られているので、やっぱり楽器なのだろう。


 こっそり“データベース”で調べてみる。見たものの詳細を確認できるのもこの能力の評価点だ。どうやらあの楽器はリラというらしい。聞き慣れない楽器名だ。いやそれより、演奏の技術が本当にすごい。声を奪われるほど圧巻の表現力だった。


 呆然と演奏を聞き届ける私。エルフの奏者はゆっくりと立ち上がり、明後日の方へ一礼した。彼の頭が下がる方を見れば、あの少年がいることに気付く。知り合いなのだろうか、つい声をかける。


「あ、あの……」


「うん? ああ、お客さんはもう一人いたんだね。可愛いお嬢さんで嬉しいよ」


「ハ、ハイ? ワタシ? カワイーオジョーサン?」


 思わず片言になってしまうが、それも仕方ない。穏やかに微笑むエルフの奏者、とんでもなく顔がいい。いや、顔がいいという俗っぽい表現でも足りない。なんというか、美しい。なんだこの顔は。生物の自然な交配でこんな顔が生まれることがあるのか。こんなの遺伝子の暴力だ、親の顔が見てみたい。


 固まる私。エルフの奏者は余裕に満ちた足取りで近づいてくる。待ってそれ以上近づかないで。あまりの眩しさに呑まれて消滅しそう。


 なんてことを考えたって、声にしなければ意味がない。エルフの奏者は私の眼前で立ち止まり、あろうことか――私の頬に手を添えた。びっくりして頭が真っ白だ。思考はシュレッダーにかけられている。鮮やかな微塵切りだ。言葉を奪われた私に、彼は柔らかく微笑んだ。はあ? 意味わかんないなんだこれ。少女漫画? 二度目の人生最大のフィクションだ。私を現実に帰して。


「驚かせてごめんね。烏滸おこがましいけど、お願い。笑顔を見せて?」


「アッ、ヘェ、ヘヘ……」


 信じられないくらい気持ち悪い声が出た。アイドルの握手会でもこんなことにならなかったのに。顔面偏差値の暴力だ、最早兵器。楊貴妃もクレオパトラもメロメロになっちゃうよこんなの。私の本能が叫ぶ。


 私は主人公じゃない! 主人公じゃない! 主人公じゃないんだッ!


 心の警鐘けいしょうが災害アラーム並みに騒ぎ立てる。そうだ、私は主人公じゃない。いまは脇役。アイドルのプロデュースが軌道に乗ってから自分の人生に目を向けるのだ。それくらいでいい。


 すぅ、と興奮が引いていく。来た来た、ビジネスシーンの心構え。社畜時代の遺産は意外と役に立つものだ。表情が一転した私を見て、今度はエルフの奏者が驚いたような顔を見せた。そんな顔も画になるなぁ。


「表情が豊かな人だね。感情に素直なきみもとても愛おしいよ」


「ッフ! ……失礼しました、ありがとうございます」


「姉さん……じゃなかった……」


 奏者の後ろで少年がぽつりと呟く。そうだ、元々はこの子のために演奏していたはずだ。なにをやっているんだ。ほら、私じゃなくて彼を見て。祈りが通じたか、奏者は少年の傍に寄り添うように座り込んだ。よーしよしよし、それでいい。


 お父さん、お母さん。異世界は心臓に悪いです。

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