牧歌的そのものだった景色は、あっというまに、紫と赤と黒ばっかのまがまがしい景色になった。


 ガキっぽい妖精とか天使とかは逃げまどっている。あ、いま黒い光に一匹潰された。あ、もう一匹も。


 なんか世界の終わりって感じ。おれは奇妙に冷静だった。


 ヒマ潰しにプレイしてた、いくつかのゲームを思い出した。たしかに、魔王が支配するとワールドはこういう感じになる。



 キレーな笑顔をすっかり崩してマザリアがクラ、と立ちくらんだみたいに後ずさった。

 おれを見つめる顔は、先程みたいな慈愛に満ちた笑みではなくて、恐怖だ。



「……アラタ、さん……?」



 おれの右の拳がシュウウ……と焼けたみたいな音を立てている。


 たしかに、俺の右手だ。どす黒い光の余韻がそこにある。


 けど、おれは痛みを感じていなかった。みじんも。まったく。


 むしろこの感触はムズムズとはするがどちらかと言うと心地よかった。ぬるま湯に疲れた手を浸しているような感じ、とでも言えばいいのだろうか。



 おれはたわむれに右の拳をマザリアに向けてみた。



「ヒッ!?」



 わかりやすくビビってくれた。

 俺はおもしろいのでニヤア、と笑った。

 マザリアはもっとビビってがくがく震えはじめる。


「……ご、ごめんなさい、なんでもする、します、んで、お、お願い、ころさないで……わたしのこと、見逃してください! ねえ! お願いします!」

「なんでもって、土下座でもする?」


 俺は冗談だったのにマザリアは言う通りにした。

 終末っぽい世界の黒い光に照らされる金髪のつむじはキレイだと思った。


「アハハ、冗談だったのに。そこまでしなくても。天使族ってプライドないんだ」

「あ、あ……」

 マザリアが顔を上げたからおれはそっちに黒く光る右手を向けてやった。



「ひゃうっ!」



 また、顔を下げた。

 おれはすでに気づきかけていた。

 なんかすげー愉快な状況だ、ってことに――!



【黒曜の右手】。

 魔王、アラタ・アンドウが、もっとも最初に得た魔王となる根拠だったのだ。



 おれは自分が強者となったことがわかった。

 おれが、だ。おれが。この、おれが。

 二十三歳彼女ナシ友人ナシ、酷い虐めのせいでいわば『人間憎悪症』で、それだけでもサイアクなのにもうずっとひきこもりだ。おれの死を悲しむ人間など家族も含めてだれひとりいないと思うから電車に飛び込んだ。そんな底辺の人間が。



「は、はは――」



 これは――神からのプレゼントに違いない。

 ああ、神よ! ありがとう、ありがとう。

 おれは生まれてはじめて、神とやらなんとやら、に感謝した。



 ……さて、目の前には惨めに土下座を続けるマザリア。天使。



 おれは強者の威厳をもって、こっちにつむじも翼も無防備にさらしてぷるぷる震えて土下座しているマザリアに言った。


「おい。マザリア。おれのこのチカラは特別なものなのか?」

「あ、あ、はい……はい……それはもう……サンタレーナはじまって以来の、きっと、その……」


 おれはマザリアの金髪の頭を蹴り飛ばしてやった。マザリアはまたしても、ひゃうっ、と情けない声を上げていた。


「まどろっこしいな。もっとハキハキ答えろよ」

「……で、でも、でもそれはサンタレーナの秘密で」


 ぷるっ、と翼も揺れてた。


 そうか、翼か。

 天使だもんな。


 そこまで考えて、おれはとてもいいことを思いついた。


「……なあ、その翼ってホンモノなわけ? キレーだなあ、ゲームのキャラクターみたいだ」

「……あ、はい、わたしは天使ですので……」


 なんかマザリアがちょっと照れたみたいに嬉しそうに言うからおれはやっちゃっていいなって思った。



 黒光りするおれの大きくぶっとい右手で、

 ワシャッと、

 勢いよく、


 マザリアの天使の両翼を鷲掴んだ。


 マザリアは恐怖の顔でおれを見た。


 おれはその顔をまじまじと見つめてやりながらグイッと両翼を掴み上げた。

 マザリアはふつうに成人女性くらいの身体をしていたが簡単に持ち上げられた。おお。この右手ってどうやら握力も強化されるらしい。


 マザリアは翼を掴まれて全身をつままれてるみたいになってる。

 こういうのってデフォルメされたアニメキャラのキーホルダーとかだったら可愛らしいんだろうけど、正直生身の人間だと相当痛いだろうなって思った。

 顔めっちゃ苦しそうに歪めてるし。天使なのにそんな顔していいのか? あ、でもいいのか。生身の人間だったら問題だけど、コイツ天使なんだからな。おれと違って人間じゃないわけだー。それだったらまあ、いいか!

 まあもともと罪悪感とか皆無なわけだけど。


 おれはしばらくなんも言わずにそのままマザリアの翼を絞りきるようにして握っていた。

 ぎゅっ、ぎゅっ、と力をこめるたびに、マザリアの苦悶の表情が見れるので、楽しかった。

 けどなかなか声を上げないのとおれに対してちょっと反抗的な視線を向けてきたからムカついてグッと強く力をこめてやった。


 マザリアはかすかな声で言った。

「……痛い……」

「痛いか?」

 マザリアは反応がない。我慢しているのだろう。

 かわいそうに。よしよし。いま俺が、素直にしてやるからなー。



 ギュッ!



「――ァ、――痛ッ!!!」


「痛いか?」

 マザリアはこくこくこくとうなずく。

 おれは優しいからアドバイスをしてやった。


「じゃあ痛いって言えばいいのに」

「……そんなこと黒曜の右手、に、言って、なにが――あっ」

「黒曜の右手?」

 マザリアはあきらかにしまったって顔をしてた。


「カッコよさそう。それ、おれにも教えてくれるよね?」

「……ぁ、神さま、神さま、神さまぁ……!!! どうか、どうかわたしたちを……エンジェル族を、まもってください……あぁ……!」


 マザリアはついに神に祈りはじめた。

 おれもさっき生まれてはじめて神に感謝をしたけど、それとこれとはワケが違う。

 ずっとマザリアを下ろしてやらずにぷらーんとさせておれは手遊びみたいに揺らしていた。つままれてるー、つままれてるー。

 マザリアはがんばっていたが、ついに泣きはじめた。アハハ、滑稽。


「……痛い……痛いよぉ……ぐすっ、痛い、痛い……翼が痛い、痛いの……痛い! 痛い! 痛いのおおお!!!!! パパ! ママ! みんな! 痛いよぉ……!」

「――おまえにも仲間がいるんだな?」

 おれは冷酷に言った。俺の声はカラカラに乾いてた。

 おれには仲間などだれひとりとしていなかった。



「よし。売れ」

「……ふえ……?」



 おれはにっこり笑ってマザリアに慈悲を示してやった。



「おまえのパパやらママやらみんなやらをおれに売ってくれるんならいますぐこの手を離してやるよ?」

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