第5話 約束
五
朝日を浴びて、畑道を走る。成る程、この時間ならランニングもいいかもしれない。
(7時…そろそろ帰らないとか)
待ち合わせは最寄り駅。そこまで父が車で送ってくれるとはいえ、せめてシャワーを浴びたい。
(やっぱり…運動しないとだめだなぁ…)
走りながら思う。昔はもっと走りにくい靴だったし、道もしかり。それでも恐らくあの頃の方が早かっただらう。
「倭古!おはよう」
約束の5分前。ロータリーで待っていると朝陽が朔を連れてやって来た。
「待たせて悪いな」
謝る朝陽に首を振る。チリリ…と服に着けた鈴が鳴った。後ろの朔もごめんね、と手を合わせてくる。
「よし、じゃあ。行こうぜ」
朝陽が声を上げた。電車の時間もある。倭古はロータリーの隅に停まっている父の車に手を挙げておく。その様子に気がついた朔が、視線の先を見てああと呟く。朝陽も、車に乗っていた父に手を振って三人でホームへと向かった。
(電車…)
実は乗るのは初めてである。流石に二人には言えないが、自信が無いので二人の後ろに回った。
少し待っていると、ホームに電車が入ってくる。線路を走っている状態の物は見たことがあったが、至近距離では初めてだ。未知なる遭遇に、ドキドキと心臓が煩い。降りてくる人が先に出ていく。そして乗り込む朝陽と朔に着いていく。少し怖くて、足元を見ながら電車に乗り込む。
「ドア、閉まるよ」
朔に腕を引かれて、一本中に入れば背後で扉が閉まった。
(乗れた…)
ほっと安心するのも束の間、電車が動き出す。揺れもなく、思ったより静かに。最初はゆっくりと、そしてだんだん早く景色が後ろに後ろにと流れていく。
(すごい…)
「倭古、あっち開いてる」
朝陽に言われて、空いている席に座る。二人分のそこに、朔と倭古が座りその前に朝陽が立った。その朝陽の背後、向いの窓を見る。
初めてだ。電車に乗るのもそうだけど、住居から村から出るのも初めだ。世界は、私が思っているよりずっと広くて、それでも移動できる位には小さい。
真剣に窓の外を見る倭古を見て、朔はそっと朝陽を見上げれば同じ事を思ったのだろう目が合う。昨日、朝陽の家に彼女の父親である神坐裕一が来ていると連絡を受けて朔も出向いた。
彼は自分と朝陽に、仲良くしてくれてありがとうと頭を下げてこう言った。
『あの娘は君たちに隠しているだろうが、根本的な事から記憶がない…アニメなんかでは記憶喪失でも生活知識は失われていないようなパターンもあるが、あの娘には何もないんだ…』
それは、朔も恐らく朝陽も薄々気がついていたことだった。彼女に勉強を教えていれば分かる。決して彼女が勉強が出来ない訳ではない。ただ地名の読み方だったり、道具の使い方だったりその節々に違和感はあった。
『だから、一緒に出掛ける時は一から教えてあげて欲しい』
そう言う裕一に朝陽は当たり前だと笑った。そう、友達を助けるのは当たり前だから朔も頷いた。
『あと一つ…目を離さないであげて欲しい。何かあった時にあの娘は助けを呼べないから』
(そうだよね…)
倭古のような小柄な女性は何があるかわからない。彼の心配は最もだった。自分が守らなくては、なんて思っている訳ではない。自分に出来ることと出来ないこと、その線引きは分かっているつもりだ。
電車が次の駅に着く。降りる人と、乗ってくる人。少しだけ、倭古の肩に力が入っているのはきっと本人も無意識なのだろう。
「倭古さん、酔ってない?大丈夫?」
乗り物酔いの心配をして、声を掛ける。はて、と不思議そうな顔をされた。
「気持ち悪くなってないない?電車って苦手な人はいるから」
そう付け足せば大丈夫だ、とメモが返ってきた。成る程、"乗り物酔い"の概念が無かったのだろう。なら良かったと笑う。そこで視線を感じて顔を上げれば朝陽と目があった。
「あ…関口?」
「いや…そう言えばお前は大丈夫なのかなって…」
「…大丈夫だよ」
電車なら、と心の中で付け足す。中学校での修学旅行。行き帰りのバスで盛大に乗り物酔いをし、彼に迷惑をかけた記憶は新しかった。
電車に揺られて30分。駅からも少し歩けば、拓けた登山道が出てきた。
(成る程…)
山道、というよりはハイキングコースと言うのだろう。きちんと斜面には柵があるし、道には大きな岩もない。倭古の想像より遥かに人為的なものだった。
(…やっぱり電車って窮屈だね)
『まったくよ』
耳元で風が囁く。区切られた空間では上手く使うことが出来なく、少し不安だった。…まぁ人見知りというものもあるのかもしれないけれど。けれど、思ったよりきつくはない。
「よし、水分は持ってるな?」
「大丈夫だって」
朝陽に答える朔は今日も長袖だ。更に帽子を被っていた。
(ねぇ、朔君の側にも居てあげて)
流石にこれから暑くなるだろうから、風に言っておく。そよ風でもあれば違うだろう。
(…ねぇ地形も変わっちゃうの)
『日本は台風や地震もあるんだから、倭古には馴染みはないでしょうね』
(まぁあの頃はこんなに移動範囲もなかったか…)
山道を登る。ここが、私の知っている土地なのか全然違う場所なのか。実ははっきりしていない。町並みは変わっているし、あの頃は地図なんて無かったしまともに村を出たことすらなかった。
それでも近くの山なら、皆と出掛けていたこともある。懐かしい何かがないかと実はほんの少し期待してみたのだけれど。朔と朝陽と父さん…もう十分奇跡なのかもしれない。
「倭古!大丈夫か?」
ふと後ろから声がかかる。しまった、考え事をし過ぎていたかもしれない。振り返れば、バチンとウィンクで何かを訴える朝陽とその少し後方に朔。朝陽の意図を汲んで慌ててメモを取り出す。
"ベンチ、見つけたから少し休んでいい?"
「お、本当だ。朔、そこで休憩取ろうぜ」
「え、うん…」
不思議そうな朔だが、少し呼吸が乱れている。危なかったなと、息を吐いた。
ベンチで休憩を取りながら、朔が作ってくれた資料を読み直す。その湖に何かあるのでは、と調べたが何の言い伝えもない湖だった。
「でも風が気持ちいから楽だよね」
「そうか?」
少し休んで落ち着いた朔に朝陽が首を傾げる。
(ありがと…)
自分と話ながらも、朔の側にも居てくれたらしい。本当に助かった。
『まぁ倭古の気持ちも分かるからね』
(…気持ち?)
『無自覚だから怖いのよ、貴方』
何の事だろう。
『どうして、朔にこだわるの』
どうして、か。私は本来、姫様を守る指名があって。それが果たせなくて、生き延びてしまった。だからせめて、姫様の血を持っている朔を守りたいのかもしれない。
そう、私は生き延びた側の人間だ。約束したのだ。貴方の後は任せてほしいと、伝えたのだ。
(…天慈)
私は貴方にこそ、生きて欲しかった。
「倭古さん、そろそろ行こう」
朔が言う。その姿を見て私も、腰を上げた。
「でもさ、本当に突然だったよね」
「お前…話しながらで大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫」
朝陽に朔が笑う。苦笑しながら突然、という言葉に引っ掛かった。朔の横に追い付く。チリリ…と鈴が鳴った。
「まぁ確かに…発端はネットだっけ?」
「そうそう、なんでも肝試しを夜にして動画配信してたグループが見た、とかなんとか」
"どうなったの?"
歩きながらメモを書くのは効率が悪い。朔に言われて入れたスマホのメモアプリの画面を見せた。
「別に何も。動画は荒かったし…立ち入り禁止エリアに入ってたから怒られたみたいだよ」
"なんで怪鳥なんて噂に?"
スマホの画面を見て、今度は朝陽が口を開く。
「…姿が、子牛ほどの大きさだったとか鱗があった、とか…ピアサっていうのに似てるって話があってな」
(ピアサ…)
「何でも、元は人を食べるような動画じゃなかったが戦死した人間を食べて味をしめて人間を襲うようになったって言い伝えがあるらしい」
「なんか…何時の時代も変わらない話だよね。熊とかもそうなんでしょ?」
朝陽と朔が話ながら歩いている。そっと足を緩めて一歩後ろにずれた。
『倭古』
(わかってる…)
この時代の未確認生物なのだから、と思っていた。けれど子牛ほどの大きさ、体は鱗と言った。そして朝陽が言った言い伝えが生まれた時期があの頃だと仮定すると、倭古の知る怪鳥である可能性が生まれてくる。
『貴方がやられるちょっと前に…怪鳥討伐に行ってなかった?』
風の言うとおりだった。怪鳥による被害が村で出たために、討伐部隊が組まれたのだ。
(コウと、ケイさんが…見つけられなくて結局討伐はされなかった…けれど被害も無くなったからそのまま流されたのよね)
武器になるのは、良くてリュックの中の折り畳み傘だろうか。風は居てくれる。姿形を変えることなく生き延びているとは考えにくいが、可能性は0ではない。
(守らなきゃ…)
もしそうだと言うのなら、朔と朝陽を今度こそ守らなきゃいけない。
(天慈…)
私は貴方との約束を、未だ果たせていないのだから。
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